雨粒の500秒
7月8日。期末テストの3日目、最終日である今日はテストの後に学校の職員会議があるだとかで午前11:10に放課となった。テストの後に午前で帰れることが分かっていたので昨夜は、さらに言うとここしばらくは夜もあまり寝ずにテスト対策の勉強を行っていた。夏休みに入る前の一学期の最後のテスト。成績が決まるということもあり多少無理をしたのだ。テストの出来は、まぁまぁ勉強しただけあって満足の行く出来。物理と数学は9割を超えたのではないだろうか。
午前11:17。正面玄関で多くの生徒が足止めを食らっていた。
ざぁぁーーーーーーーーーーっ
雨が降っているのだ。確かに朝、学校に登校する際に空はどんよりしていたがまずまず暑い日であったためか、意識がテストに行っていたためか、雨具を持たず学校に来てしまった。
折り畳み傘を差して下校する者。電話で親に迎えに来てもらっている者。鞄を頭に抱え走って飛び出して行く者。濡れる事を厭わずにずぶ濡れで歩いて帰っていく者。帰るのを一時的に諦めたのか部室やら図書室に暇つぶしをしに行く者など対応は様々である。
僕はと言えば、屋根のあるところで柱にもたれかかって腕を組んで数m先の雨を眺めている。すぐに家に帰ってお昼ご飯をかっこみ、すぐに布団に飛び込んで夢の中に、、、とぼんやり予定していたのに…。テストでエネルギーの大半を使い果たしたので疲れてして、しかも眠い…。頭の中にどうでもいい事が浮かんでは消える。
走って帰るのと歩いて帰るのとどちらが濡れにくいかの論争が小学校の6年の時にあった。歩いていると頭頂部や肩は濡れるが雨に当たる面積は少ない。走っていると歩いている時に加えて進行方向の体の前面も濡れてしまうので時間当たりで言えば走っている方が雨に濡れる。しかし、当然歩いている方が雨に晒されている時間は長い。歩いて目的地に行く方が濡れるに決まっているのだ。
………
ただ今日はどちらもやりたくない。徹夜に近い状態でテスト明けに比較的濡れないからと走る…、、いやいや、そもそも走りたくない。歩くにしろギャラリーが多すぎる。傘を忘れて観念したアホだと思われたくない。まぁ傘を忘れたアホなのはそうなのだが…
さて…突然ですがクイズです。雨が土砂降りで降っている屋根の無い屋外。乗り物に乗らず雨具を使わずに5kmの距離を移動したがほとんど濡れなかった。どうやったのでしょう?
それは雨と一緒に落下したから。なんてのはどうだろうか。うーん。でも雨粒と体では落下速度が違うからきっと実際にやったらびっちゃびちゃになるよな。水中を移動した…うーん。まぁ濡れまくりだな。
………
午前11:20。柱にもたれながらノイズのような雨の音を聞いていると気が抜けたのか一層眠くなってきた。目を瞑ったら完全に眠ってしまいそうなので薄目で堪える。そんな中で次に僕は雨に関してこんな事を思い出していた。
僕には亡くなったお爺ちゃんがいた。僕が小学4年生の秋に亡くなってしまったのだが、僕はこのお爺ちゃんが大好きだった。父が自慢げに
「お爺ちゃんは大学の物理・化学の教授をしていてとても頭が良い。世に認められるような論文も何十と通している。」
と語るのを聞いていた。しかし僕から見たお爺ちゃんの魅力はそのような事では無かった。
その頃の僕は宇宙人やUFO、UMAや心霊現象といったオカルトにハマっていた。父も母もこの手の話には一切関心が無いようで、話題を振っても「またそんなくだらない事言って」と全然話に乗ってくれなかった。しかし近所に住んでいるお爺ちゃんはその手の話が大好物だったようで、僕はお爺ちゃんの膝の上で一緒にその手の雑誌やTVを見て2人であーだこーだ言い、噂されるUFOやUMAを山へ一緒に探しに行ってくれた事も何度もあった。お爺ちゃんと一緒にオカルトを追いかけていた時、僕はずっとわくわくしておりお爺ちゃんもずっと笑顔であった。
あれ?もしかして僕のオカルト好きだった事とか物理が得意な事のルーツはお爺ちゃんから来てたのかな?と考える。ただ今やもう高校生。オカルトには全く興味が無くなってしまった。部活や勉強の時間が長くオカルトに触れる時間が無くなってしまったためだ。考えてみたらオカルトと物理は真逆だしな。
お爺ちゃんの死因は肺炎。大学の実験の一環で雨の日に何かのデータを取り、長時間雨に打たれた事が原因で急性肺炎となり亡くなったと聞いた。僕が病院に駆け付けた時にはすでに亡くなっていた。大好きなお爺ちゃんが返事をしてくれず、僕はずっとお爺ちゃんの傍らで泣き続けていた。ただ僕だけはお爺ちゃんがそのような雨の日に外に出て雨に打たれていた本当の理由が分かっていた。決して大学の実験のデータを取るためでは無いとの確信があった。
お爺ちゃんが無くなる2か月程前。夏休みで僕がお爺ちゃんの家に泊まりに行った時に、お爺ちゃんは僕に雨粒の話を聞かせてくれた。
「嵐世(僕)のお父さんはこういう話は全然興味が無かったから、嵐世が興味を持ってくれて本当に嬉しいよ。」
その話は当時の僕には、、、いや。今でも、これからも理解の及ばないような話であった。ただお爺ちゃんは孫に冗談や嘘を言ってからかっている、、、というような口調ではなくただただ事実を淡々と語っているように見えた。
雨粒は1つの宇宙である。
これは比喩表現ではなく。実際に雨粒一つが一つの宇宙なのだそうだ。3000m程上空で飽和して産まれた宇宙、もとい水滴が落下を始める。そして6~7分程落下して弾ける。そして液体として流れ、川になり、合流して海となる。そして蒸発してもう一度上空に向かいパーツが揃うと飽和し、新たな宇宙を産む。僅か500秒で宇宙が崩壊する、、、…訳ではなくこの世界と隣の世界とで時間の流れが異なるのだそうだ。その500秒は1000億年に当たるのだと何か確信を持ってお爺ちゃんは話していた。更に隣の世界に降る雨粒の1粒の中に僕達の宇宙は存在するのだと言う。
じゃあ幾つも世界があるの?と尋ねたがそうではないらしい。対応した1組2界であり、相互に500秒は1000億年なのだそうだ。その時点で僕はギブアップ。1秒が2億年に相当するならば隣の2億年は×2億で4京年?になるのかと思ったがそうではないらしい。僕が困った顔をしていたら
「パンツのゴムみたいに思ってるよりも時間も伸びたり縮んだりできるんだよ」
と、お爺ちゃんは可笑しい事を言う。僕は思わず吹き出す。
「液体が球形を成し自由落下し速度を得始めたなら宇宙が加速するんだよ。だから先月嵐世が部屋に隠していたカビパンをお母さんに見つかって怒られて泣いた時に、零れた涙の中。隣の世界で1億年で崩壊した宇宙があったんだよ。」
お爺ちゃんは僕にも分かりやすくかみ砕いて説明をしてくれた。
そんな2か月後に、雨に打たれたことでお爺ちゃんは亡くなった。僕はきっとお爺ちゃんは宇宙に呼ばれて迎えに行ったんだなと思った。そして僕が冷たくなっお爺ちゃんの傍ら。溢れて零れた涙の中にお爺ちゃんはいたのかもしれない。僕の名前を付けてくれたお爺ちゃんは今もどこかの雨粒の中で僕と一緒に山でUFOやUMAを追いかけているのだ。
午前11:24。ふと意識を外に向けると日が差しており、雨はほぼほぼ止んだように見えた。通り雨だったのだろう。下駄箱でたむろしていた他の生徒達もガヤガヤと話しながらすでに帰宅を始めていた。僕はこれから暑くなる季節を予感しつつ、屋根のある場所から一歩踏み出し、あちこちある水たまりを避けながら自宅に向けて歩き出した。