第一話 発現
友達にこんな質問をされたことがある。
「もしも、危機的な状況に陥ったらお前はどうする?」
ありきたりな質問だろう。
ナイフで刺されそうになったら?
チンピラに絡まれたら?
イジめを受けたら?
そんな状況に置かれたら、果たしてどうするのか、そんな質問だ。
そうして皆、こういう質問をされたら、ありきたりな返答をする。
かくいう俺も、その中の1人だ。
「君が危機に陥ったとして、それでも俺は、命を差し出す覚悟で君を助ける」
これは、俺が告白した時の言葉だ。
高校2年生、17歳になって人生初となる、最愛の彼女ができた。そして今、その彼女が今まさに、危機的な状況に陥っている。
「おい、こいつがどうなってもいいのか!? は、早く金を出して帰りやがれ! そうしたら彼女を解放してやる」
20XX年11月4日、時刻は昼過ぎ、漫画とかでよく見るようなコンビニ強盗が、彼女を人質にしていたのだ。
コンビニの中に仲間が1人、そして外に彼女を人質として取った強盗がもう1人の、計2人。
警察は既に到着しているし、野次馬もやって来ているものの、犯人は銃を所持していて人質もいる為、中々動けない。
どうするべきだろうか。
「ゆ、ユウマ……」
彼女が小さく俺の名を呟いたのが聞こえた。
ありきたりな状況、ありきたりな登場人物達、そこに出くわす俺。
何もかもが漫画のテンプレだった。
まるで俺が主人公だと言わんばかりの勢揃いだ。
だが後一つ、もう一つだけありきたりが足りない。
俺がこのピンチを救うっていうありきたりが、足りない。
「危機的状況? そうだな、俺なら間違いなく─」
自信満々の表情で答えていた過去を思い出す。
そうだ、ありきたりな答えだ。
「俺なら間違いなく」
……。
「立ち向かうね」
そう答えたはずだった。
なのに、何故だろうか。
何故今、俺の足は彼女の居る方向とは真反対に回っているのだろうか。
登校前の冷えた朝、警察や野次馬の集団が犯人に睨みを飛ばす中、俺は唯一として、犯人に背中を向けたのだ。
まるでそう、本能に操られているようだった。
脱兎の如くその場を立ち去る瞬間、2つの視線が俺の背中を追ったような気がした。
1つは彼女、もう1つは、犯人だろう。
自分でも訳が分からなかった。
過去に言ったはずだった。
友人にも、彼女にも。
どんな危機的状況に陥っても、出くわしても、必ず立ち向かうと。
だが、現実は違った。
無意識のうちに俺はヘタレをしていたのだ。
…………最低だ。
「……っは……はぁ」
騒ぎを聞きつけて向かってくる人混みを払い除けていき、そのまま角を曲がった。
腕は力無く大きく振られ、足は不規則なリズムで回転する。
どこを見ればいいのやら、どこへ向かえばいいのやら、俺は、今の俺がとてつもなく滑稽な格好をしていることだけ理解していた。
「な、何でこっちに向かってるんだ? も、戻らなきゃ……アイナは向こうに居るんだ……っは、くそ、なんで」
よく、性に貪欲なやつは「下半身に脳が乗っ取られている」、あるいは「脳と下半身が別々に生きている」なんて言われるが、今の俺はマジな意味でそうなっている。
足が、言うことを聞かない。
「おい、向こうで何かあったらしいぞ」
「強盗だってよ、なんでも女を一人拉致してるらしい」
「マジかよ、おっかねー」
「家族は何してんだろ、彼氏とかは?」
ここに、いる。
ここに、存在んだ!
助けに行かなきゃならない、そう頭じゃ理解しているのに、足は逃げ続けている。
彼女の命じゃなく、ただ自分の命を優先すべく。
今から戻っても、彼女は許してくれるだろうか。
いや、そこじゃない、そこじゃないんだ。
大切なのは、彼女の命が無事であること。
それだけのはず、それだけのはずでなきゃ、ならないんだ。
そんな俺の意思に反して、足はその進みを止めなかった。
曲がり、曲がり、曲がりくねってどんどん人気の無い方へと向かっていた。普段は自慢にもしている陸上部エースの称号が、こんな時になって憎く見えてくる。
意思では抗えない、これが生存本能……いや、敢えて皮肉った言い方をするならば、逃走本能というものなのだろうか。
だが、ここに来て何となく、見知った風景が増えてきたような気がする。
息も切れて思考が回らない中、俺は必死にその理由を探した。
そして、一つの答えに辿り着いた。
あれ、この道って……?
そうこうしていると狭い路地裏に入り、その短い道の向こうから、段々と光が大きくなって迫ってきた。
刹那、あえて格好のつく言葉を使って表現するならこれだ。
一瞬の瞬きの間に暗闇を抜けると、その先には今最も俺が求める光景が広がっていた。
「なんだお前! そこを動くな!」
彼女のいる、先程のコンビニだ。
先程俺が眺めていた場所よりも、警察よりも、誰よりも彼女に近い位置へと、俺は登場していた。
今さっき俺を追っていた2つの視線が、3つ4つ、8つと数を増やしていき、遂に俺はこの場のスターになった。
逃げていたはずだった。少なくとも俺の意思は、逃げていると認識していた。
ならば何故俺はここに居るのだろう。
俺は、本能の赴くまま逃げていたはずだった。
もし、俺の意思に反してあの場から逃げたのが、俺の本能から来るものだとしたら、俺の意思とは別にここへ来たこれもまた、本能だと言えるのだろうか。
言うならば、逃走本能と闘争本能というような何か。
ただどうにせよ、俺はここにもう1度来た以上、やらねばならないことがある。
それは何か。
闘わねばならないのだ。
「ユウマ!」
彼女の言葉を聞いてハッとする。
「アイナ!」
脊髄反射で発した名前の3文字の裏側には、これからどうしよう、なんて不安が込められていた。
手ぶらで銃を持った犯人に向かうバカが居るだろうか、いや、居ない。
「おいお前、まさかこいつの彼氏か何かか? なら分かるよな、今俺に近づけば、こいつに命はない。そこで大人しくしていろよ」
そう聞いて、「はい」とは言えなかった。
いや、言える体勢ではなかった。
なぜなら俺は既に、無意識的にクラウチングスタートの構えに入っていたからだ。
両手を地に着け、左脚を前、右脚を後ろにして地面を蹴る構え、だがこのポーズを、コンビニ横の何の変哲もないアスファルトの上でとっても特に意味は無い。
強いて言うなら、陸上部っぽい。
今からそっちに向かってやるぞと言わんばかりの態度を示す構えだ。
「おい、何をしている? まさか、来るって言うのか? こっちには銃があるって言うのに? は、はは、馬鹿なやつだなお前」
「な、何してるのユウマ。そのまま突っ込むつもりなの!?」
顔を上げて、今まで見る余裕のなかった彼女の顔が、ようやく鮮明に見えた。
俺が来たことによる安堵と、俺が走り出そうとしていることへの驚きの表情だ。
まぁ恐らく、きっと、希望的観測ではあるが、俺が戻ってきたから俺が逃げたことに対する怒りや疑念といった感情は無いように思える。
これが偶然にせよ必然にせよ、俺は無意識にここへ戻ってきただけだから胸を張れるものではないのだが、何にせよ少し安心した。
依然状況に変わりはないが、アイナに傷のようなものも見当たらない。
「キミ、何をするつもりだ! 待ちなさい!」
警察の声。
俺は正直怯えていた。
今、俺は何をしようとしているのか、と。
これもまた、本能と言えるのだろうか。
俺の意思に関係なく、俺は犯人の掲げる銃口へと突撃しようとしているのだ。
だが何故か、俺の心の奥底では、妙な自信が湧いてきていた。
それは何なのだろうか。
前傾姿勢になり、より重心を前に、より速く走れるように、走り出す直前の構えをとる。
「おい! 動くなよ! 動いたら……」
犯人は銃の引き金に手を掛けた。
本気の勝負だ。
強いて例えるとするなら、ガンマンの早撃ち勝負。
やつが引き金を引くのが速いか、俺が向こうへ辿り着くのが速いか。普通なら勝負をするまでもなく俺の負けは確定しているだろう。
だが、俺には根拠の無い絶対的な自信がある。
「おい、待てキミ!」
周囲の言葉は無視して、俺は走り出した。
俺は、絶対に弾より速い、と。
無駄に良い視力で見える先、犯人が引き金を引く手に力を込めるのが分かる。
あと数秒後には、決着がついている。
……一歩を踏み出した。
「っっ!」
そして、俺はその結果に驚いた。
俺の1歩は、100歩だったのである。
何を言っているんだと思うだろう。
いやしかし、これは本気の話だ。
正確には、俺が普段走りに走って辿り着く距離、あえて歩数で例えるなら100歩の距離を、今の瞬間俺は、俺が普段踏み出しの1歩を出す時間の合間に走り抜けたのである。
つまり、めっちゃ速く走った。
現に踏み出した右脚ではなく、左脚が前に出ている。
崩れた姿勢から無理やり顔を上げ、周囲を見渡してみた。
目の前には銃口、そして犯人、彼女が居る。
その周りには、俺を止めようとする青い帽子を被った警官が1人突っ込んできていて、他の連中はボーッと突っ立っているか驚きの表情を見せている。
余裕がある。
人は目の前の出来事を処理して反応するのに、最低でも1秒はかかると言う。
だというのに、俺が、俺自身も反応できない程の速さでここまで来たもんだから、みんな俺が走り抜けたことに反応できていないようだった。
もし反応できているなら、ヤツの放った弾丸により、既に俺は死んでいるはずだ。
なんなのだろうか、これは。
漫画の序盤の主人公のような、本当にありきたりな展開になっている気がする。
何となくこのまま、いける気がする。
ようやく皆の反応が追いついてきたのか、犯人や彼女、そして野次馬連中の表情が曇り始めたあたりで、俺は右脚を踏み込んだ。
1歩が100歩に、それを単純に考えるならば、今の俺の脚力は普段の……。
そのまま、俺は犯人の顔面に慣れない上段蹴りを食らわせた。
「ぐぐぉああっ!!」
100倍になっていると言っても過言じゃない。
犯人はその勢いで吹き飛び、俺は、よろけた彼女を自身の胸へと手繰り寄せた。
周囲からは圧巻かそのまた別の何かか、何にせよ黄色い歓声のようなものが聞こえてくる。
「おおー!! すげぇー!」
「やるじゃーんカレシぃー!」
「あいつ、北風高校の陸上部じゃね……?」
中には俺のことに気がついた人も少々居るようだった。
ただまぁ、悪い気はしない。
「……はぁ、はぁ、何とか……なった」
大切な彼女を危機的状況から救い出せたのだ、それだけでいい。
「ユウマー! ユウマなら戻ってくるって信じてたよ、流石私のかーれしぃ!」
愛菜はそう言って、息切れしている俺の首を絞め殺す勢いで、より強く抱きしめてきた。
……胸が当たっている。
だから何だという話だが、意識はしてしまうものだ。
男としての本能のような。
そんな俺たちを横目に、警察の人達はコンビニの中へと畳み掛けるように、次の言葉を発して突撃して行った。
「何が起こったのかよく分からんが……と、とりあえず今だ! 中だ、中のやつも捕らえるぞ!」
そうだ、中にも仲間がいたはずだ。
幸いにも中に店員はいない、犯人のみだ。
視界の端で何か黒いものが動くのが見えた。
それに目を吸われ、自然とコンビニの中を覗いた。
……?
何か、見えた。
「な、なんだ? 中のヤツ、ぶっ倒れてるぞ」
うっすらとだが、中から警察のそんな声が聞こえる。
地面を這いつくばる犯人の横、そこに人影のようなものが見えた気がした。
だが、何度目を擦って中の様子を伺っても、それは見当たらない。
見たのは確かに小柄な人影だったが、中には背の高い人しか居ない。
気のせいだろうか。
「どしたのユウマ」
「あいや、中に犯人とは別の人影が見えたような気がして」
「変なの」
俺だってそう思う。
「ところでさ、私のおっぱいどう?」
「ってやっぱわざとかよ! いいよ! はいはい、はいはいはい」
さっきの怯えた表情とは打って変わって、ニンマリとした表情でアイナはからかってきた。
反射的にアイナを振り払ったものの、凄まじい勢いで顔面が熱をもっていくのが分かった。
それを見て愛菜は余計にうっざい顔をする。
「なぁキミ、キミだよね? 犯人をあんな風に蹴飛ばしたの」
「え? ああ、はい」
突然、警察の人が俺に話しかけてきた。さっき俺が走ろうとした時に、俺を止めに入ろうとしていた女性警官だ。
淡々とした口調で、冷静に、その青黒い髪を靡かせながら俺に問いかける。
コンビニの中に突撃していった部隊には寄り付かず、その人だけが、警察の中で孤立していた。
「そのことで話がある。そこの、彼女さん? は一旦置いて私に付いてきてくれないか?」
「はぁ……」
アイナがそっと俺に距離を置いた。
その瞳には「よく分からない」といった文字が浮かんでいるように思える。
俺もよく分からないが、アイナが人質に取られていたのに無謀なことをした俺へのお叱りの言葉でもあるのだろうか。
確かに、今思い返せば、かなり無謀だ。しかも彼女相手にそれをやろうとしたのだから、余計に。
周囲の人の安全も考慮すれば、警察側的には、もう少し慎重に動いて欲しいという思いもあるだろう。
少しばかり嫌だったものの、渋々その誘いを承諾した。
余談だが、この人にはどこかで会ったことがある気がする。いや、正確には、この目に見られた気がする。
不定期更新です。




