あの日、さよならをくれた君へ
なんとなく、彼とはいつまでも、このままの関係でいられると思っていた。
どうしてそう思えたんだろう。
今日と同じ明日が訪れる保証なんて何もないのに。
彼と過ごす毎日に特別なものなんてなかったけれど、いつしか彼がいる日常の風景は、私にとって必要不可欠で大切なものになっていた。
名前を呼べば振り返ってくれて、ふと目が合えば笑いかけてくれる。
そんな私たちの距離は、ずっと変わらないと思っていた。
ある日突然、なんの前触れもなく、彼から初めて連絡が来た。
スマホを持つ手が震えた。
画面に映る彼の名前を、まるで夢でも見ているように何度も見返して――。
最初は誰かの悪戯なんじゃないかと疑った。
でも、本当に彼だったら待たせちゃいけないと、慌てて気持ちを切り替えた。
何が起こっているのかわからないまま、胸をドキドキさせて待ち合わせ場所に向かう。
そこで待っていたのは、間違いなく、彼だった。
彼の姿を見つけた瞬間、心臓が爆発しちゃうんじゃないかってくらいに、激しく鳴り出した。
うっかり、何かが始まる予感がしてしまった。
「ごっ、ごめん、遅くなっちゃって」
緊張で声がひっくり返ってしまって、赤い顔が、一層赤らんだ。
「いやこっちこそ、急に呼び出してごめんな」
彼は、いつも通りの、弾けるような笑顔でそう言った。
その笑顔の裏に隠されたものに気づくことは、この時の私にはできなかった。
ただ、平凡な毎日がここから変わる気がして、勝手に浮かれて、期待してしまっていた。
そんな無邪気な笑顔で、急に私を呼び出した彼から告げられた言葉は――
優しさに包まれた、静かな「さよなら」だった。
彼が待ち合わせ場所に指定したのは、丘の上にある小さな公園。
私たちの住む街の一角が見渡せる。そこから眺める沈みゆく夕日がとても美しいことを、私たちは小さい頃から知っている。
彼の背中で輝く夕日が、街全体をオレンジ色に染め、紫、そして深い青へと移り変わっていく。まるで私たちの関係も、その空の色のように、刻一刻と変わっていく気がした。
「ここから見る夕日も、今日で見納めだな」
彼が呟いた瞬間、その声は微かに震えた。
私は、胸の奥から溢れ出す得体の知れない不安を言葉にしたかったけれど、それらはすべて喉のあたりでつっかえて、結局そのまま彼の横顔を見つめることしかできなかった。
彼が最後に呟いたその言葉は――まるで明日、彼がこの世界から消えてしまうんじゃないかと思わせた。
昔、私たちはよく、この公園で遊んだ。
まだ、私が彼と話すことに緊張なんてしていなかった頃。
私の方が背が高くて、駆け足も早かった頃。
彼はよく、一つ年上の男の子と遊んでいて、私もその中に混ぜてもらっていた。
木登りをしたり、砂場でトンネルを作って水を流し、泥だらけになったこともあった。
今でも思い出せる、手のひらに感じたざらざらした樹皮の感触や、水に濡れた砂の特有の匂い。そんな小さな記憶さえも、懐かしくて愛おしい。
あの頃の私たちには、友達とか、恋愛とか、人間関係とか、そんな難しいことは一切なくて、ただ、目の前にある遊具で、木で、草で、花で、砂で、全力で遊んで、泥だらけになって笑っていた。
私たちはただ無邪気に、遊びという世界だけで繋がっていた。
小学校は2クラスしかない小規模校で、クラス替えも2年に一度しかない。彼とは3年生の時から、ずっと同じクラスだった。
人数が少なかったから、みんなが広く、浅く、友達みたいな雰囲気で、同学年の子の顔と名前は全て知っていたし、そういえば、新しい友達づくりというものを、小学校でしたことがなかった。
中学になると、一気に校舎が広くなり、7クラスに増えた。1クラスあたりの人数も増え、大規模校だった中学校に、私は気後れしてしまった。初めて出会う人たちばかりで、心細くてたまらなかった。
1年生のクラス分けで、私は運悪く、同じ小学校からの生徒が4人しかいないクラスになってしまった。けれどその少ない数の中に彼がいたことは、私にとって大きな救いだった。
大規模小学校から来た子たちは、もうすでに気心が知れた仲間と楽しそうに話していて、私はなかなかその輪の中に入る勇気が持てなかった。タイミングを逃すたびに、私はクラスの中で居場所を失っていく気がした。
あっという間に、女子たちの間にはいくつかのグループができ上がっていて、私はそのどれにも属することができなかった。
クラス委員になった女の子に、連絡に便利だからと、クラスのSNSグループに誘われ参加したけれど、毎日そこで大量に流れていく会話には入れず、時々同意のスタンプを押すのが精一杯だった。
クラスのSNSを通じて、何人かの女子からはフレンド申請が来た。
「よろしくね」の一言のあと、スタンプ一つで止まった画面。
誰も続きをくれないチャット欄を、何度も開いては閉じた。
そんな日々の中で、数週間遅れて、彼からフレンド申請がぽつりと来た。
彼の名前が表示されているその画面を何度も見つめ、彼との繋がりが、私にとってどれだけ大切かを実感した。
特に会話をするわけではなかったけれど、「繋がっている」という事実だけで、私は少しだけ救われた気がした。
中学の制服に身を包んだ瞬間、小学校までの、誰とでも仲良く話せた私は、どこにもいなくなっていた。
女子ともろくに話すことができない私は、男子との会話などできるはずもなく、ただ、遠くから彼を見つめるだけの存在になった。
小学校の頃はあんなに楽しく話せていたのに、ただ制服を着ているというだけで、彼はとてもとても遠い存在のように思えた。
彼は持ち前の明るさとルックスで、誰とでもすぐに仲良くなっていたし、教室の女子だけでなく、他のクラスの知らない女子からも、よく声をかけられていた。
私がクラスの片隅で静かにしている間も、彼は教室の真ん中でいつも笑っていた。
今日も知らない女の子が、彼を呼び止めていた。
帰り道、そっと目を逸らした私には、あんなふうに声をかける勇気はない。
「私も告白してみようかな」「あの子も振られたみたいだよ」なんて噂をしている会話が、よく聞こえてきた。
昔から仲が良かった、一つ年上の男子がいるクラスによく遊びにいくからか、先輩からも告白されることは少なくなかった。
とてもモテるのに、特定の女子と付き合う気配がない彼に、女子たちが玉砕した話を聞く度に、私は少し、ほっとしていた。
彼は、誰のものにもならない。私の手の届かない場所にいるけれど、彼はずっと誰にも縛られず、自由なんだと思っていた。
彼のことを好きになったのは、いつからだろう。
明確に、彼を意識したのは、中学1年の2学期頃だった。
その頃の私は、嫌な夢をよく見ていた。
上履きを隠されたり、体操服を汚されたり、スマホのメッセージを通じて酷い言葉を投げつけられる夢。
夢の中で感じた痛みや悲しみは、まるで現実のように私を蝕んでいった。
実際には、誰からもそんなことをされたことは、一度だってない。SNSのチャット画面を何度確認しても、そこには空白しかなく、誹謗中傷なんて書き込まれていなかった。でも、誰からもメッセージが来ないという事実が、クラスで孤立していることを突きつけてくるようで、私を苦しめた。
こんなふうに孤独を感じるのは、自分が悪いからだ――そう思わずにはいられなかった。
クラスメイトの笑い声が聞こえ、私に向けられたものだと思い振り返ると、誰も私を見ていない。その瞬間、夢の中で言われた陰口が蘇り、私の胸の中で感情がざわつく。現実と妄想が混じり合って、私を追い詰めていた。
どうしてこんな酷い妄想に囚われてしまうんだろう。ただ、自分から声をかける勇気がないだけなのに。
教室で誰かと目が合うたびに、私を貶める声が聞こえる気がして、心が擦り切れていった。
私は、自分は病気なんじゃないかと思うようになった。誰も何も言っていないのに、耳元で囁かれるような声が消えない。
そんな嫌な妄想に囚われていた頃、彼と視線が合う瞬間が増えた。それは、私が彼を見つめているからなのかもしれないけれど。
彼は私と目が合うたびに「おはよう」「元気?」と必ず一声かけてくれる。そのたった一言が、私にとってどれほど大きな支えになっていたか、きっと誰も知らない。
彼が同じクラスにいてくれたから、悪夢のような妄想と戦い、孤立して居場所のない教室に、毎日通うことができたのだと思う。
彼が私の存在を認めてくれている。それだけで私は、少しだけ強くなれた気がした。
2年になって、私は彼とクラスが離れてしまった。
新しいクラスは、どこか柔らかく、温かい雰囲気だった。教室に入るたびに感じていた重苦しさは消え去り、穏やかな空気が私の周りを包み込んでいた。
美術部で仲良くなった子と同じクラスになり、新しいクラスに小学校が一緒だった子たちが多かったことから、私はまた少しずつ、人と会話できるようになった。
嫌な夢を見ることも、妄想も幻聴も、いつの間にかなくなっていた。
クラスが変わっただけで、こんなにも世界は変わるのだろうか?
1年のとき、酷い妄想の中に出てきたクラスメイトがいなかったことも、幸いしたのかもしれない。
彼の姿は教室には無くなってしまったけれど、友達と笑い合う時間が増えるたび、私は少しずつ、自分を取り戻している気がしていた。
なぜだかわからないけれど、私は彼に、ずっと守られていたような気がしていた。それは私の勝手な妄想で、錯覚で、ただの恋心だったのだと、今は思う。
でも、彼が同じクラスじゃなかったら、私は今頃、こうして学校に通えていなかったと思う。彼の笑顔と、何気ない言葉には、それほどの力があった。その笑顔はもちろん、私だけに向けられたものではなかったけれど。
クラスが離れても、時々すれ違う彼を目で追ってしまう。そして彼と視線が交わるたびに、彼は必ず手を上げて「よぉ!」と短く挨拶をしてくれる。
私が「おはよう」と笑顔を返すと、彼は穏やかに微笑む。
それだけの関係。それで充分だと自分に言い聞かせていた。それで充分なはずだった。
2年になって、少しだけ自信を取り戻した私は、無謀にも彼に、告白をすることにした。
もちろん、私の告白が成功するなんて思ってもいないし、彼からの答えもわかっている。ただ、彼の存在に私は救われた。この気持ちを、どうしても彼に伝えたくなった。
「あの……すっ好きです!」
伝えた瞬間、足が震え、世界が音を立てて崩れてしまいそうだった。
緊張して声が裏返ってしまい、鼓動がさらに激しくなる。
彼が「あ」と口を開いた瞬間、私は慌てて言葉を続けた。
「あっでも! 返事はいらないです! ただ、この気持ちを伝えたかっただけだから! このまま、好きでいさせてください! ご迷惑はおかけしません! これまで通りでお願いします!」
自分でも信じられないほどの早口でまくし立て、顔を真っ赤にしながら彼の前から走り去った。
心臓が口から飛び出そうなくらいドキドキしていた。
次に目があったとき、彼はどんな反応をするだろう。
彼と挨拶さえできなくなったらどうしよう――そんな不安が頭をよぎり、夜も眠れなかった。
やっぱり告白なんてしないほうがよかったのかもしれない。
ただ、時々言葉を交わせるだけで充分だったのに。
そんな私の心配をよそに、彼は次の日も変わらず「よぉ!」と無邪気な笑顔で挨拶をしてくれた。
告白され慣れてる彼にとって、私の告白など、その程度のことだったのだ。
私は少し拍子抜けして、少しほっとして、そこからまた少しずつ、小学校の頃までとはいかないけれど、彼とほんの少しの会話を交わすようになった。
彼と同じ高校を受験して、高校一年で彼と同じクラスになれたことは、奇跡だと思った。
高校でも彼は、やっぱり目立つ存在で、早々に女子からの人気を集めていた。私はクラスで気の合う友達ができて、なかなかに良い高校生活をスタートできた。
そんな中で届いた、彼からのメッセージ。
『急でごめん。今から少し会えないかな。小さい頃によく遊んだ、丘の上の公園で待ってる』
長年空白だった彼とのチャット画面に、突然届いた彼からのメッセージ。
中学一年の時にきたフレンド申請のあと、「よろしく」「こちらこそ、よろしく」でずっと止まっていた時が、3年越しに動き出した。
けれど、動き始めた時間は、それきり、永遠に止まってしまうことになるなんて、このときは思いもしなかった。
私服だからか、それとも夕暮れ時の公園というシチュエーションのせいかわからないけれど、今日の彼は、いつもと少し雰囲気が違って見えた。
微笑んでいるけれど、いつもの無邪気なそれとは違う。どこか遠くを見ているような、とらえどころのないふわりとした笑顔。
「――あの時の返事、いらないって言われたけど、きちんとさせてもらえないかな」
「あの時って……中学の頃に告白した時のことだよね……あっ、あれはもう、気にしないで! 逆に、忘れてほしいし」
彼の顔から微笑みが消えて、夕日に半分照らされたその表情は、とても真剣だった。彼のまっすぐな瞳が、私を見つめる。
「おこがましいかもしれないけど、俺が君に返事をしないままでいたら、君がこの先、前に進めなくなることもあるんじゃないかと思って。……なんてかっこつけてるけど、ただ、俺がけじめをつけたいだけなんだ。気持ちを投げられっぱなしってのも、居心地悪くて――悪いな、こんなことに付き合わせて」
「……なんかそれって、まるでここから消えて、いなくなっちゃいそうなセリフだね」
彼は静かに笑った。
「入学してから三ヶ月経ったけど、最近どう? ちょっと遠い高校だから、俺の他に、同じ中学のヤツ、少ないだろ?」
彼が急に、そんなことを呟いた。
「うん、前の席の子がね、イラストを描く子で。好きな漫画とか、映画とか、趣味も似てて、とても話しやすいんだ」
「そっか、よかった」
私の答えに安心した表情を見せた彼は、穏やかに微笑み、手すりにつかまって夕日を眺めた。
太陽が地平線に溶け込んでいく瞬間、私たちの周りに静寂が広がった。
彼の視線は、地平線の向こうに身を隠す太陽に向かっていた。刻一刻と変わる空の色は、まるで今までの私たちの時間に終わりを告げるようにも、新しい何かが始まる合図のようにも見えた。私も彼の視線の先を追う。
「ここから見る夕日も、今日で見納めだな」
そう彼が呟いた瞬間、胸の奥がぎゅっと痛んだ。いつもと、どことなく雰囲気が違う彼に戸惑い、まるで大切なものが、この夕日と一緒に消えてしまうかのような、不安と恐怖が押し寄せてくる。
今日の彼を、何らかの形で残しておきたい――そう強く思って、焦り混じりに言葉が飛び出した。
「写真……撮っていいかな。夕日がすごく綺麗だし。あ、別に変な意味はないよ……いや、でも振られたのに写真だなんて、迷惑かな……」
言い訳を重ねる私に、彼は穏やかに微笑んで「いいよ」と頷き、夕日に背を向けた。その微笑みさえも、もう二度と見ることができないのではないかという気持ちが胸を締め付け、私は必死にスマホを取り出した。
夕日を背に微笑む彼を、スマホ越しに見つめる。
美しくて。
儚げで。
今にも消えてしまいそうな彼の姿が、そこにあった。
彼の胸元で、ペンダントが夕陽をまとって静かに輝いていた。
彼はふと、そのペンダントにそっと手を伸ばし、指先で優しく触れる。
しずく型の青い小さな宝石は、彼が流した涙のように見えた。
ピアスやペンダントが似合いそうな雰囲気の彼だけれど、これまで一度も、そういったアクセサリーを身につけている姿は見たことがない。
女性もののような優しい曲線。
その青い宝石が、彼の大切な誰かのものなのか。それとも、彼自身が選んだものなのか。
わからないけれど、胸が少し痛んだ。
彼がいてくれたから、私は今、ここに立っている。
中学の頃、彼の何気ない一言や笑顔にどれほど救われただろう。あの孤独な教室で、彼の存在だけが私を支えていた。
特別な関係になれないことはわかっている。でも、特別じゃなくても、彼はいつものように明るい笑顔を携えて、そこにいるのだと思っていた。
彼がいる日常が、永遠に失われてしまうかもしれないという不安が、私の心をかき乱していた。
そして本当に、
彼はその日を最後に、
私の世界から消えてしまった。
*
高校を卒業し、大学2年になった頃、中学の同期会の案内が来た。
美術部で仲が良かった玖美子から「行ってみない?」と誘われ、行くことにした。
もしかしたら、彼も来るかもしれない。
そんな期待をほんのり抱いていたけれど、会場をどれだけ見回しても、彼の姿はなかった。
同期会の幹事の一人で、小学校が一緒だった木村くんが、ワインのボトルを持って私たちに近づき「楽しんでる?」と赤ら顔で言った。
玖美子はすかさず、彼は同期会に来ないのか、と訊いた。
「あ~なんかどこかに留学したまま、ずっと海外にいるみたいで、連絡とれなかったんだ。もし今後、彼の連絡先がわかったら教えて! 次は絶対に呼ぶから」
そう言うと木村くんは、私たちのグラスにワインを注ぎ、隣のテーブルに挨拶に行ってしまった。
「残念だったね」
そう玖美子に言われ、「なんで?」と驚いたけれど、どうやら玖美子はとっくに、私が彼をずっと好きなことに気づいていたようだった。
「あれだけわかりやすく見つめてたらね」
きっとみんなにも、同じように私の気持ちは筒抜けだったのだろうと思うと、今更ながら恥ずかしさで消えてしまいたくなった。
この日、彼とは会えなかったけれど、同期会の幹事だった木村くんに、実はずっと好きだったと告白された。中学のときは、私が彼をずっと目で追っていたことを知っていて、告白することすらできなかったそうだ。
「もし今フリーなら、お友達からよろしくお願いします!」
酔った勢いもあったのだろうけど、「じゃあ……友達から」と私は応えた。
その頃の私は、どこかで彼がふいに現れて、あの頃の無邪気な笑顔のまま、「やぁ」「久しぶり」と言ってくれるのではないかという幻想を、捨てきれていなかった。
彼のことをまだ完全に忘れたわけではなかったけれど、木村くんの真っ直ぐな気持ちに応えないのも、どこか不誠実な気がしたのだ。
そんな感じで始まった私たちの関係は、本当にトントン拍子に、結婚の話までいってしまった。
玖美子から聞いた話だと、木村くんは同期会の幹事を引き受けた時に、私のために、彼の行方をけっこうしっかりと探してくれていたようだ。
自分の好きな人の好きな人を必死に探してしまうなんて、お人好しにも程がある!
そう思いながらも、胸の奥がじんわりと温かくなった。私は木村くんのそんな不器用な優しさに、どんどん惹かれていったのだ。
木村くんは、彼のことが好きだった私を、まるごと受け入れて好きになってくれた。
「不思議なやつだったよな」
と時々彼を懐かしむようなことも言う。
「あいつとは小学校の3,4年でクラスが一緒で、中学になってからもそんなに話したことないはずなんだけど……気の合う仲間、みたいな雰囲気を感じていたんだ。まあ、顔も人当たりもよかったから、あいつが醸し出してる雰囲気ってだけなのかもしれないけど」
横浜の港を二人で歩きながら、そんな思い出話をしていた。
ちょうど夕暮れ時で、海に沈む夕日が美しかった。
空が深いオレンジ色に染まり、太陽がゆっくりとその姿を消していく。その光景を眺めながら、私はふと、あの日、夕日を背に微笑んでいた彼の姿を思い出し、どこか切ない気持ちが胸の奥にじんわりと広がった。その切ない気持ちを丸ごと包み込むように、太陽の光が私たちを温かく照らす。
木村くんがそっと繋いでくれた手の温かさが、過去から今へ、私を優しく引き戻してくれた。木村くんの存在が、私の中で徐々に日常を彩るようになっていた。
私が夕焼けに見とれていると、木村くんが写真撮ろうか、とスマホを取り出し、夕日を背に二人並んだ。木村くんはスマホを持った手をぐいっと伸ばす。
「ありゃ。ボケちゃった。ごめんもう一度……」
再びぐいっと腕を伸ばす。
「ふふっ、木村くん、半分写ってない」
そんなやりとりをしていると、「写真、撮りましょうか?」と中高生くらいの女の子が声をかけてきた。
「あ、お願いできますか? ありがとう」と、木村くんがスマホをその女の子に渡す。
「こんな感じに撮れました。どうですか?」と彼女は撮った写真を木村くんに見せる。その瞬間、女の子の胸元に輝くしずく型の青い宝石が目に飛び込んできて、胸の奥がきゅっと締め付けられる。
それは、かつて彼がつけていたペンダントと同じ色合いで、瞬時に彼の姿が脳裏に浮かんだ。同時に、夕暮れの中に消えていったあの日の記憶が鮮明に甦る。
――あの時と同じ夕日が、今も私たちを包んでいた。
「アクアマリンです。私の誕生石なの」
私がペンダントをじっと見つめていたことに気付いた女の子が、そう教えてくれた。
「おーい、みらい、行くぞ」
父親に、そう声をかけられて、その女の子は「お幸せに」と私たちに笑顔を見せ、父親のもとへ駆けていく。
こちらに向かって軽く会釈した父親と、楽しそうに話しながら並んで歩く、その女の子の後ろ姿を見ていたら、これから先の私の未来も、あんなふうに幸せなものになるような気がして、隣の木村くんに微笑んだ。
大丈夫。私は前に進んだよ。
心の中でそう呟くと、夕日に溶けていった彼の微笑みが、遠い記憶の中でそっと輝く。
あの日、夕焼けを背に微笑んだ彼は、「さよなら」を告げに来たんじゃない。
きっと、私の幸せを願ってくれたのだ。
ありがとう。
あなたも、どうか幸せでありますように。