月の眷属
維心はむっつりとしながらも、維月の手をしっかりと握って回廊を進む。
ここは裏通りになるので、他に神の姿は見えない。
維月の後ろにぴったりとつくルシウスを睨みながらも、維心は立ち止まってユージーンに言った。
「…他の王の妃に言い寄るなど、あってはならない無礼ぞ!主らはそんな婚姻という考えがないと言うておったのではないのか。」
それには、維月が答えた。
「いえ、お父様が神も増えねばならぬのだと申して。天使達とて同じ命で、こちらの臣下達と変わらずただ、呼び方が違うだけだと皆様に申したのですわ。それで、最近では婚姻にも前向きに向き合ってくださるようになったところなのです。興味もおありにならなかった皆様が、これはとても進歩なのですわ。」
維心は、言った。
「ならば他の女にすれば良いではないか!何故に我の妃に手出ししようとするのよ!」
ユージーンは、言った。
「そんなに大層なことだとは思いもしなかったのだ。気を悪くさせたなら申し訳ないの。」
維月が、首を振った。
「いいえ。」維心が、維月を睨むが、維月は続けた。「月は、元より誰のものでもありませぬ。我は陰の月であり、これは我の責務としてあることの一つ。ユージーン様は、それを学ばれて興味を持たれただけですわ。我が良いと申しておるのだから良いのです。お気になさる必要はありませぬ。」
維心は、呆然とした。
誰のものでもないと。
「…我の妃であろう。」
維月は、維心を見た。
「やはりまだ、そのように意識がお変わりになっておられないのてすね。申したはずですわ。私は陰の月だと。まだ、私を所有しておると思うておられるのですか?」
維心は、ハッとした。
所有…。
「そうではない。ただ、妃とはそういうものではないか。主は我の妃に戻ると申したのでは。」
維月は、ため息をついた。
「申しましたわね。私は月であって縛られないと。まして、ユージーン様方のことは我らが進めておりました意識改革の一貫で、異性に興味を持つようにと、時があれば空からお話しておりましたの。それを…あの時、私にああして興味を持たれたので、やっと功を奏して来たのかと驚いて喜びましたのに。くだらぬこだわりで、それを壊そうとなさるのですか。神は増えぬではなりませぬのよ。我らの仕事なのですわ。」
ルシウスも、黙って頷く。
それは、欲の範囲だからだ。
「…主は我らの立ち合いのもと、維月と約した。元の意識ではない、月の維月なのだと。それでもと言うのなら戻ると。あれは偽りだったのだの。ならば、維月はこちらに戻る事はない。」
維心は、こういうことだったのか、と急いで言った。
「そうではない!ただ、王として当然の事と苦言を挺しただけぞ!」
炎嘉も、頷いた。
「その通りよ、他神の妃に言い寄るなどあってはならぬ。維心が怒るのも道理なのだ。主らが教えるのならば、そこのところも併せて教えねばならぬのではないのか。」
維月は、言った。
「月は誰のものでもありませぬ。まして所有などできようはずはない。私が誰かの妃だけに収まるような、そんな存在だと申すのですか。強要されるのは我慢がなりませぬ。」
誰かの妃だけと。
炎嘉は、息を飲んだ。
これは、見た目もだが中身ももはや、前の維月ではない。
皆が、鋭い目で怯むことなく皆を見据える、維月の赤くなっている瞳を見つめて、悟った。
そして、維心に対しても、もはや特別感など持っていないのだということも。
絶句している皆のことを見て、ユージーンが急いで言った。
「…良いのだ。此度は我が、神の中でどう振る舞うべきなのかしらなんだのが悪いのよ。知っておったらこうはならなんだし、そこはこれから学んで参る。争いの元を作ってしもうて申し訳ないの。」
維月は、ユージーンが気を遣っているのを感じて、スッと力を抜いた。
「…ユージーン様は何も悪くはありませぬ。これは、我らのことであるのです。よく話し合うこともせずに、こちらへ戻りました我の責。ご案じなさいますな。」と、ルシウスを見た。「ルシウス、サイラス様にお頼みして、ユージーン様方に婚姻の神世での扱いなどを教えてくれる教師を準備してもらえないかしら。このままでは、せっかくに前向きになられたのに、また消極的になってしまわれるわ。」
サイラスが、後ろで聞いていて言った。
「いくらでも誰かに教えさせよう。帰ったら選別させるわ。」
維月は、頷く。
「よろしくお願いいたします。」と、維心を見た。「維心様。一度居間へ戻りましょう。宴の席に参る前に、お話しておかねばなりませぬ。」
維心は、頷いたが険しい顔だ。
炎嘉が、言った。
「待たぬか。ルシウスも参るのか?ならば我も。」
ルシウスは、維月を見る。
維月は頷くと、炎嘉を見た。
「…ならばお越しになられればよろしいかと。」
そうして、四人は重苦しい空気の中で移動して行く。
他の神達は、それをまた重苦しい空気の中で見送ったのだった。
宴の席で、ユージーンが言った。
「我のせいで。せっかくの祭りに水を差してしもうたの。」
それには、焔が首を振った。
「違う、主のせいではない。あれは…確かにあの二人の問題ぞ。あの維月の様子では、遅かれ早かれああなっておった。もしかしたら、あれが我か炎嘉であったやも知れぬ。それだけ維月は、前の維月と様子がすっかり変わってしまっておったからの。」
ユージーンは、首を傾げた。
「様子が?どう違うか。」
志心が、答えた。
「もっと、女神のように振る舞っておった。神世の理も解していて、それに沿って我らに対していたし、維心にもそうだった。維心の妃として、我らでも完璧だと思うておったほどぞ。だが…此度は違った。」
箔炎が、頷いた。
「そう。姿は美しかったがあそこまでではなく、もっと控えめな様子だったのだ。なのに本日はこれ見よがしに妖艶で、気は抑えられてあったがあれで気まで開放しておったら皆イチコロだったわ。あんなに何もかもを誘うような様ではなかった。それに、皆の面前で維心にあそこまでキツい言葉は投げなんだ。あれはまるで…まるで、誰だったかの。」
志心が、言った。
「十六夜と碧黎を足して二で割ったような様ぞ。」志心は、息をついた。「元々、あの眷属は我らとは相容れぬ。だが、維月は長い間己の中の陰の月を抑えて維心を愛し、側に居た。それが…二十年前の闇の事件の時に、意見が食い違って維心との間に亀裂が走ってな。その後、維月が戻って来ぬようになり、別居した。維心は頻繁に月の宮に行って関係を再構築しようと励んでいて、どうなるのかと思うたが、やっと戻ろうという話になっておったようだの。あの感じだと。」
ディオンが、言った。
「ならばまずいのではないのか。維月は分かっていなかった、と維心を責めているようだった。我らからしたら、陰の月とはそんなものだと思うて接して来ていたが、あの様ではそうではなかったということであろう?」
焔は、頷いた。
「そう。あれは別神ぞ。いや、神ではないか。誠に月の眷属として、維月は元に戻ったのだろうの。維心の妃であるために抑えていたものを、月として過ごす二十年で、開放してああなったのだ。我らには、それを咎める事はできぬ。無理なら、維心は維月と別れるしかないのだ。いや、もうとっくに別れておったのを、今さらであったのやもと見ていて思うた。」
焔が言う通りだ。
他の島の神達がそうお互いに頷き合うのに、西の神達は戸惑っていたのだった。