捜索
そのまま、十六夜は空からニコールを探して見ていた。
だが、砂漠に落とした針を探すような作業で、ようとしてその行方はわからない。
何しろ、人の気は大きいとはいえ、空から見たらそれは小さいのだ。
加えて、イゴールのベンガルの軍神達も、血眼になって残りの一人のベンガルを探していた。
それが見付かれば、対策も考えられるので、ルシウスも密かに霧を使って探してはいたが、全く見付からなかった。
そんな様子ではあったが、とりあえず神世は平和だったので、維月は仕方なく日常を過ごしていた。
多香子の教育を任されていたし、放置しておくわけにも行かなかったのだ。
そこへ、志心の遣いがやって来た。多香子への文で、そろそろ準備はできたかとの、入内する日取りの問い合わせの文だった。
「…あまりお待たせするのもの。」多香子は、その美しい文字の文を下ろした。「ここが心地よいのでついつい居座っておったが、そろそろ覚悟を決めねばならぬわ。」
維月は、苦笑した。
「妃に収まったら、また頻繁に会うことになると思うわ。他の妃の皆様にもご紹介するし。とても気立ての良い方々よ。きっと良いお友達になれると思うわ。」
多香子は、苦笑した。
「それでも主とて、このように気楽には接してくれまいが。」
確かにそうだけど。
維月は苦笑した。
「ならば、こちらへ遊びに参れば良いのよ。維心様と志心様は友であられるから、禁じたりなさらないわ。待ってるわよ。」
多香子は、頷いた。
「ならばそれで。しょっちゅう参るやも知れぬぞ?」
維月は、笑った。
「良いわよ。私も暇だしいつでも来て。」
多香子は、クックと笑った。
「主が見た目ほど暇ではないのはもう知っておる。案外月も、忙しいものよな。」と、筆を取った。「ならばお返事を。そちらで良いように日取りはお任せすると返しておこう。」
多香子は言いながら、すらすらと筆を走らせる。
その姿も、それは美しい女神で、維月は多香子と志心が共に幸せになることを、心から願ってそれを眺めていた。
そうやって文遣いは白虎の宮へと飛び、維月と多香子は茶を飲みながら話していた。
話がふと途切れた時に、多香子は、言った。
「…我は長く犬神の宮にて籠っておったから、神世の外はそう知らぬ。退役したら、のんびりと同じ退役軍神と共に、世界を見て回ろうと思うておったのに、それももう叶わぬな。白虎の宮に入ったら、奥で王の言う通りにしか動くことはできまい。主の話から、北や北西などにも神の宮があるらしいし、広く世界とはどんなものなのか、興味を持っておったのに。残念なことよ。」
老後はそんな風に考えていたのね。
維月は、答えた。
「…まあ、どちらもそう変わりはしないけど。ただ、女神は危ないわ。どこも女神と見ると侮って来るから。男神と共に行動しなきゃ。志心様なら、あちこちの会合について行きたいと言えば、きっと連れて参ってくれると思うけど。」
多香子は、息をついた。
「ならば言うてみるかの。とはいえ、時が経ってからになるかの。入ってすぐに無理は言えまい。まあ、気長に待つ。」
それでも、何やら寂しげな気を放っている。
維月は、息をついて、言った。
「…少し、見て回ってみる?」え、と多香子が顔を上げると、維月は続けた。「十六夜が見ていてくれるし、お父様も。私と共に居て何かあることはありませぬし。少しだけ、どこか見てみたいところがあれば言ってくれたら。あちこちは無理だから、そこは志心様にお願いしなきゃだけど、どこか1ヵ所だけ、言ってみて。」
多香子は、顔を明るくした。
「誠か。ならば、北西の。広い大陸があるのだと言う。あちらは血も近いらしく龍族すら居るのだとか。ならば犬神とて居るのやもと、思うておったのよ。」
維月は、苦笑した。
「あちらで犬神は聞かないけれど、同じように籠っておるだけなのやも知れませぬ。とはいえ、近いのは確かに。鳥も獅子も居るので、よう行き来しておるのよ。私の娘が匡儀様の皇子に嫁いでおるので、訪ねることはできまする。では、参る?」
多香子は、何度も頷いた。
「参る!だが、志心様に問い合わせぬで良いのかの。まだ妃ではないが。」
維月は、答えた。
「そうね、一応問い合わせておいた方が良いかも。私が娘に会いに参るのについて参って、礼儀が大丈夫なのか確認してから宮に入りたい、と書いてはどう?恐らく良いと言ってくださるわ。何しろ匡儀様なら、あの大陸を治めていらっしゃる力のある神だから、何かあるとは思われぬでしょう。」
多香子は嬉々として頷いて、急いで筆を取った。
維月も、一応維心に知らせておこうと、筆を取ったのだった。
思った通り、志心はすぐに行って参れと返して来た。
あちらからも、己の妃になる女が参ると挨拶の文を送ってくれるという。
維心も、気をつけよとまた、一緒に行きたいのだが政務が詰めておってとごちゃごちゃ書いて来てはいたが、結局行って参れと許してはくれていた。
だが、意外にも十六夜が言った。
《まじか。お前な、まだあれこれ分かっちゃいねぇのに、大丈夫なのかよ。大陸は広いから遠いとはいえ、地続きなんだぞ?止めても行くんだろうが、間違っても元不干渉地域に近付くんじゃねぇぞ。》
維月は、ため息をついた。
「なに?維心様でさえお許しくださったのに。分かってるわ、多香子も居るのに、無茶はしないわよ。お父様もルシウスも、あなたも居るのに何があるって言うの?まして、匡儀様の結界の中から出たりしないわよ。大丈夫。」
十六夜は、同じようにため息をついた。
《ならいい。だが、気をつけろ。まあ、弓維だってお前に会いたいみてぇだしな。あっちじゃ維月が来るって大騒ぎだ。喜んぢまって回りは失礼があったらと変なプレッシャー感じてる。匡儀は来るのか、ぐらいの感じだがな。》
匡儀様はそうよね。
維月は、苦笑した。
「私だけなんて、久しぶりだものね。当日は維心様も義心に護衛させるとか言って、こちらに来させてくれるみたい。私と多香子相手に、敵う神なんか居ないのにね。」
フフフと笑う維月に、それはそうだがマジで気をつけろと、十六夜は案じていたのだった。
その日、しっかりと義心と軍神達に守られて、維月と多香子は月の宮を出発した。
志心も夕凪を送って来ようかと言ったのだが、あまりにも大勢で押し掛けてもということで、今回の警備は龍に一任される事になったのだ。
弓維からは、お母様に久しぶりにお会いできるのを楽しみにしている、と文が来ていて、維月は長く放って置いたのを後悔した。
あちらは、夫の黎貴がとても弓維を大切にしてくれるし、匡儀の結界が揺るぎないしで、維月としても全く案じる事など無かったのだ。
維心との間には、多くの子達が居て、前世は将維、明維、晃維、紫月、亮維、緋月と6人、そして今生は維明、維斗、瑠維、弓維の四人と、維心が月に上がっていた時にできた、双子の将維と葉月が居た。
将維は、一度黄泉へと渡ってまた、二人の子として戻って来たので、名前を同じにしたのだ。
その二人も、育って来て今は二人とも、月の眷族として誰かの代わりができるようにと、修行中の身だ。
紫月と緋月の二人は、維心と維月が黄泉へと一度行った間に、同じように世を去って今生はもう居なかった。
それでも、龍の王族は未だかつてないほどの数がひしめいていて、今では龍に逆らおうという神など、この島には一人も居なかった。
北西の大陸の匡儀も、黎貴と夕貴という二人の子が居たのだが、夕貴は維心の子の維斗の妃としてこちらの宮に入っていて、黎貴は弓維をあちらへ娶り、とてもうまくやっていた。
黎貴と弓維の間には維匡と祥儀という皇子も居て、匡儀はその孫達をとても可愛がっている、と聞いていた。
ちなみにこちらでは、維斗と夕貴の間に維知という皇子が居て、現在独身を貫いている兄の維明の次は、恐らくその皇子が宮を継ぐ事になるのだろうと、しっかりと育てられていた。
維月が子達のことに思いを馳せながら輿に揺られていると、眼下に大きくそびえたつ、匡儀の宮が見えて来たのだった。




