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月の宮での宴

夕方になり、全員が一度控えへと戻って、蒼が開いたささやかな宴の席へと向かう準備を整えることとなった。

本日来たのは漸、渡、焔と、軍神達の貫、松、多香子、清、弦だった。

嘉韻はあまり宴の席などには出ないのだが、蒼が軍神達もその席に呼ぶことにしていたので、珍しくそこへ出席することになった。

男性達は良かったのだが、女性となると甲冑でも良い漸の宮とは違い、着替えなければならない。

多香子は、滅多にきちんとした着物姿になどならないので、一応着物は持って来ていたものの、着替えるのに手間取っていた。

松が、着替えを済ませて多香子の様子を見に来てみたが、まだ内重ねの着物を着たまま、椅子に座っていた。

「まあ多香子。何をしているの、もう時間よ?座っておる場合ではないでしょう。」

多香子は、むっつりと松を睨んだ。

「主はこちらの女神であるから慣れておるやもしれぬが、我は休みの日でも軽く袿を羽織る程度できっちり着物を着こんだ事などないのだ。よう考えたら髪とて何とかせねばならぬと思うと、もう面倒になってしもうて。具合が悪くなったとか、主、王に言うておいてくれぬか。」

松は、とんでもないと慌てて言った。

「我が着付けますゆえ。ほら、立って。」頬を膨らませたまま立ち上がる、多香子に松は着物を着せ掛けた。「とにかく、我が帯を。ほら、そっちを持って。」

多香子は、仕方なく松に従った。

よく考えたら、軍神の女達は皆こんな感じのはずだった。

軍神から侍女へと転向するにも、まずは着物の着付けをしっかりとマスターすることから始まるのだと聞いていた。

皆、甲冑なら物凄い速さで着られるものの、着物となるといつも適当だったからだ。

もちろんのこと、髪だって一つにまとめて結えば良いだけなので、変わった形になど出来ようはずもなかった。

松は、時刻を過ぎてしまうと、不自由は正式な着物を身に付けたまま、必死に多香子の準備を進めたのだった。


宴の席では、もう男性達は集まって座っていた。

多香子と松が、まだやって来ない。

とはいえ、臣下を待つ必要などないので、王達はもう、酒を飲み始めていたし、軍神達にも進めていた。

漸が、言った。

「…遅いの。あやつら、何をしておるのだ。」

焔が、言った。

「女の支度には時間が掛かるものだろうが。とはいえ、遅いのう。」

それを聞いて、漸がハッとした顔をした。

「…そういえば、多香子が着物の正装をしている姿を見たことが無いな。」

志心が、顔をしかめた。

「何ぞ、そんな事も気遣えぬのか、主は。ならば、着替えも手間取って時が掛かっておるのではないのか?臣下には侍女もつかぬし、一人でいろいろ大層な正装など大変なのでは。」

言われてみたらそうだ。

蒼が、言った。

「でも松が居るから。松なら、侍女もやってたし着付けはお手の物だと思うよ。大丈夫、そのうち来るって。」

蒼が言った通り、そう言い終わるか言い終わらないかという時に、広間の入り口に二人の姿が見えた。

途端に、焔が驚いた顔をした。

「…何との。多香子とは、誠に美しいの。」

漸は、え、と振り返って、ああ、と興味も無さげに言った。

「まあ、母の妹であるから。誠に見た目は宮でも抜きん出ておるのだ。」

こうして見ると、漸にも似ている。

つまり、漸は母親似で、それで美しい顔立ちなのだと分かった。

「ならば母親に感謝せねばならぬぞ、漸。主の見目が良いのは母のお蔭よ。」

漸が面白く無さげに顔をしかめていると、松と多香子が進み出て、頭を下げた。

「遅れて申し訳ありませぬ。支度に手間取りまして。」

松が言う。

それには蒼が答えた。

「構わない。別に正式な宴でもないし、内輪で楽しもうというだけなのだ。あちらに軍神達の席があるから、そちらへ。」

二人は頭を下げて、言われるままにそちらへと向かった。

とはいえ、円を描いて座っているので、こちら側が王達、向かい合う円弧の向こう側が軍神達、というだけだ。

こちらは蒼を中心に両脇に焔、志心と座っていて、志心の隣りに渡、そしてその間が広く開いて貫、弦、夕凪、嘉韻、義心と来て蒼の隣りの焔となるので、松は何の疑問もなく貫の隣りの空いたスペースへと収まった。

多香子は、必然的にその隣りに座るので、渡の隣りになった。

松が癖で男性達より少し後ろになるように座布団を引いて座ったので、多香子もそれに倣って同じように、少し後ろへと座った。

座ったが早いか、松が扇を開いてスッと顔を隠すという、こちらの女からしたら当然の行動をとったのだが、多香子はそれを見て驚いた顔をした。

恐らく、あちらではそんな習慣がないのだろう。

だが、こちらへ来たらこちらの習慣があるのを知っているので、同じようにスッと隙の無い仕草で扇を開くと、松と同じく顔を半分ほど隠してから、隣りの松へと小声で聞いた。

「…なぜに後ろに?それから、顔を隠すのは何故ぞ。」

松は、答えた。

「こちらでは、女はあまり殿方に顔を晒すのはたしなみが無いと言われておって。それに、何事も出過ぎてはならぬので、常半歩は後ろに座るの。」

多香子は、扇の影で眉を寄せた。

「…訓練場であれだけ顔を晒しておったのに?そも、我はあちらの夕凪と弦には何度か勝ったがの。貫にもぞ。出過ぎるというならそっちの方がそうではないのか。」

まあそうなんだけど。

松は、苦笑した。

「こちらには、女の軍神が居らぬからなのよ。多香子だって己より弱い男を相手になど、思わぬでしょう。こちらの女神は皆、強い殿方を相手にしておるからだと思うて理解したら良いわ。」

多香子は、頷く。

「確かに我より遥かに強ければ、我とて平伏すしかないがの。」

嫌でも聴こえる、隣りに座っている渡がクックと笑った。

「…面白い。そういった価値観なのであるな。となると、主は確かに落ち着く相手というのはなかなかに見つからぬわけよ。」

多香子は、これに答えて良いものかと隣りの松をちらりと見た。

こちらの女は、出過ぎてはならないというし、渡はとにかく、かなり強い神だったし、対等のように話すのはいけないのではないのかと思ったのだ。

松が、それを気取って答えた。

「お父様、多香子をからかわないでくださいませ。こちらの常識は頭に入っておりますが、このような場に座るのは初めてでありますし、まして細かい男女のことなど、分からぬで当然なのですわ。」

これはからかっておるのか。

多香子は、ムッと眉を寄せる。

渡の隣りの、志心が言った。

「那佐よ、女神をからかうでない。それにしても、美しいことよ。正装をしたことが無いと漸から聞いたが、もったいないことよな。」

多香子は、扇を上げたまま頭を下げた。

「畏れ多いお言葉でございます。」

とはいえ、多香子は美しいと言われる事に慣れている。

焔が、言った。

「多香子は雰囲気が綾に似ておるよなあ。」皆がえ、と驚いた顔をするのに、焔は続けた。「そら、これ見よがしに妖艶で美しいではないか。ただ、多香子はこちらが油断すると負けてしまうゆえ、そんな簡単なものではないがの。だが、駿など良い相手なのではないか?あちらも落ち着いた相手が居らぬと愚痴っておったし、気が強いのが好みであろうが。厳しい宮だが、多香子なら簡単にはぐれの神も蹴散らしてしまうゆえ、案じる必要もないしな。」

それには、漸がぽんと手を叩いた。

「言われてみればそうよ。」と、多香子を見た。「主、落ち着きたいと申すなら、獅子の宮などどうか?駿は凛々しいヤツだし、そう遠い縁でもない。立ち合えるのをもろ手を挙げて歓迎してくれるのは、あの宮ぐらいであるしな。王妃であるぞ?」

多香子は、とんでもないと焦って言った。

「王、我が王妃など何と言うことを。こちらの宴に出るにも、松からどれだけ今、注意点を聞かされて参ったか。確かに王妃とは気楽な地位だと思うて見ておりました時もあり申しましたが、常、控えめに後ろに控えて黙っておるなど、我には無理でありまする。全部一から覚えて行かねばならぬというのに。それに、我はもう400なのですよ。王は若い女神の方がよろしいでしょうに。」

漸が渋い顔をすると、焔が答えた。

「必ずしもそういうわけではないのよ。というのも、我ら老いが止まって長く生きておるし、本来ならもう老人、いやそれを通り過ぎて黄泉へ参っておるような歳ぞ。ゆえ、落ち着いた歳の相手が良いが、そんな歳の女神などそうそう残っておらぬ。居っても妃に迎えようという女神でもなかったり。主はまだ美しいし、強いし絶好の相手なのだ。ま、気が合えばであるが。我はあまり、気が強いと辟易してしまう方であるから、娶るとは言わぬがの。」

多香子は、困ったように目を伏せた。

「はい…こちらの神達のお考えは、それで少し理解が進みました。」

そうとしか、答えられない。

志心が、割り込んだ。

「それまで。女神が少ないからと皆でそう、詰めるでないわ。多香子も疲れておるだろうし、気の張る席ではつらかろう。面倒なら、席を立っても良いのだぞ。」

蒼が、何度も頷く。

「無理をしてまでと思っただけなんだ。ただ、維心様が義心に酒を持たせてくれたから、珍しい龍の宮の酒が飲めるし、喜ぶかなと思っただけで。」

多香子は、迷うような顔をした。

松は、言った。

「まあ、龍の宮の。多香子は酒より茶の方が好きな方ではありますが、酒とて飲める方ですの。」と、多香子を見た。「茶ばかりではなく酒も興味があると言っておったではありませぬか。今少しこちらでお酒を戴いてから、下がりましょう。」

多香子は、頷く。

「では、そのように。」

多香子は、龍の宮の茶があまりにも良い味なので、酒にも興味を持って、いつかは飲めたらと言っていたのだ。

蒼が、頷いて微笑んだ。

「そうか、前に松の持たせた茶を飲んだんだな。今回も、帰る前に二人に持たせるように命じておくよ。何しろ、維心様が毎日来られるのに、毎日何か持って来てくださるからね。うちにはいっぱいあるんだ。」

松は、頭を下げた。

「蒼様、お気遣いありがとうございます。」

そうして、それから皆で酒を飲んで、そこからは穏やかに会話が弾んで行ったのだった。

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