宴の席
維心が昇って来た月を見上げて維月を想っていると、そんな維心にはお構いなく、他の王達は話しに花を咲かせていた。
そもそも維心が会話に入ることは珍しいし、黙ってあちらを向いている時に話し掛けても返って来ない方が多いのだ。
なので、皆弁えていて、この宮の主が黙っているにも関わらず、勝手に楽しんでいた。
しかしそんな維心の耳に、ふと会話が入って来た。
渡が、言った。
「ということは、主は月の宮に立ち合いに参るのか?」
漸は、頷く。
「その通りよ。蒼が最近、月になってから体が嘘のように動くと言っておっての。嘉韻と共に訓練場に立つらしい。ならばその腕を見たいと言うたら、ならば折角だから軍神達も数人連れて参って、軍の交流でもするかと言い出してな。あの宮の嘉韻はかなりできるヤツだし、最近は柊があれに指南を受けて腕を伸ばしておると聞いておるし、貫も行きたいと申すし、良いかと思うて。」
渡は、頷いた。
「我も行きたい。嘉韻は確かにできるヤツだし、うちの奴らも少し鍛えて欲しいものよ。蒼との立ち合いもしてみたいしの。」
漸が、首を傾げた。
「別に我は良いが、ならば蒼に聞いてみたらどうか?行けると思うがの。」
志心が、言った。
「ならば我も。最近、退屈にしておったし、夕凪も嘉韻と立ち合ってみたいとずっと言っておったのだ。何しろ、嘉韻は義心と良い感じに立ち合っておったからな。早速帰ったら問い合わせてみよう。」と、維心を見た。「主は。そもそもが夜には参るのならば、昼から参っておったらあちらで参加できるのではないか?」
維心は、渡が立ち合いと言い出した時から聞いていたので、考えながら答えた。
「…そうだの。義心を連れて参っても良いが、日によるかもしれぬ。我とて、日中から参れるなら参っておるが、夜しか時が空かぬからこそ夜に通っておるのよ。妃の仕事は維斗の妃の夕貴がある程度担ってくれておるが、全てはできぬからな。我がやっておることもあって、以前よりやることが多くなっておるのだ。」
炎嘉が、ため息をついた。
「まあ、我とて炎耀の妃の千子に丸投げしておったのを、最近では炎月の妃の志穂と手分けしてやってくれるようになったので、楽になっておるところぞ。その前は己がやっておったから、主の心地は分かる。我とて、そんな遊びに行きたいとは思うが、しかし維心が言うように日によるかのう。暇の時は暇なのだが、催しがあちこちあって政務が進まぬと臣下も困るであろうし。」
漸が、言った。
「だから別に我は合間に参るのだから、主らを誘おうとは思うておらなんだのだぞ?皆が来たら大層になって、蒼にもそうそう言えぬようになるし、此度は忙しいと申すなら、大丈夫そうな渡と志心だけにしたらどうか。皆で押し掛けたら、蒼がバラしおってと怒りそうで怖いわ。」
志心が、頷く。
「そうだの。内輪のちょっとした遊びのつもりで漸を呼んで、皆が押し掛けたらあちらも確かに気詰まりだろうて。ならば、我と那佐で参るか。のう那佐。」
渡は、頷く。
「そうしようぞ。まあ、まずはとりあえず、蒼が否と申して来たらこちらが決めても参れぬし。」
確かにそうだ。
志心は頷いた。
維心が、腰を上げた。
「…では、我は奥へ戻る。月も高うなったしな。」
炎嘉も、盃を置いた。
「そうか、では我も。」と皆を見た。「主らはどうする?」
焔が、伸びをしてあくびをした。
「我も戻るわ。酒を飲んで話すだけでは眠気が来るのよ。また変わった遊びでもしたいものよなあ。」
皆は立ち上がると、それぞれの控えの間へと向かった。
維心は、この時間なら維月ももうぐっすり寝ているだろうと、そのまま奥まで歩いて向かったのだった。
維月は、ルシウスの城から月へと戻ってから、月の宮へと向かおうとふと見ると、維心が龍の宮で宴の席に出ているのが見えた。
相変わらず、美しくスッキリとした様子で他の王達と並んで座っていたが、こちらを見上げて何かを考えている様は、それはそれは凛々しくてまるで彫刻のように見えた。
…ちょっと、行って来ようかな。
維月は、思った。
思えば龍の宮には、いつかの七夕で維心にキレたあの時以来、足を踏み入れていない。
だが、維心は維月の侍女も残しているし、いつなり来るが良いといつも言っていたのだ。
まだ他の王の心象もあるし、公式に宮へ行くのは敷居が高かったが、ちょっと維心に会って帰るぐらい、誰も咎めることはないだろう。
維月はそう思って、王の居間へとソッと降り立ち、維心の帰りを待つことにした。
気を抑えていると、維心にも維月を気取ることはできない。
維月は、驚くだろうなあといたずらっ子のようにフフと笑いながら、慣れ親しんだ奥宮の居間で、ソファに座っていた。
維心は、長い回廊を歩いて、奥宮へと戻って来た。
回廊の窓からは、月が良く見えている。
それを横目に見上げながら、居間の前へと到着すると、その扉を気で開いて中へと足を踏み入れた。
すると、何かが視界の端に動いたかと思うと、こちらを向いた。
維心は、全く気取れなかった気配に警戒して思わず構えてそちらを見ると、維月が頭を下げていた。
「お帰りなさいませ、維心様。」
維心は、目を丸くして、力を抜いた。
「…維月?」と、急いで維月に駆け寄った。「来ておったのか。知らずで…ならばすぐに戻ったのに。」
維月は、微笑んで顔を上げた。
「ふと思い付いて参りましたの。そんなに待ってはおりませぬ。月から維心様がこちらを見上げていらっしゃるのが見えて…お会いしたくて来てしまいました。」
王が戻ったと侍女達がわらわらと出て来たが、維月が居たのに驚いて頭を下げた。
維心は、構わず維月の肩を抱いた。
「おお、我とて今夜は会えぬかと主を恋しく思うておった。ならば今夜はここに泊まって参れば良いのよ。」と、急いで入って来る、維月の侍女達を見た。「あれらも主が帰って来て嬉しかろうし。」
維月は、苦笑した。
「はい。とはいえ、明日の朝には戻らねば。いきなり出て来てしもうたので、あちらも放っては置けませぬ。」
維心は、何度も頷いた。
「良い。ならば着替えを。」と、侍女を見た。「維月の仕度を。」
侍女達が頭を下げるのに、維月は慌てて言った。
「私より維心様の方を。お手伝い致します。お着替えを。」
維心は、そうだった、と維月から腕を離して棒立ちになった。
「ならば着替える。」
侍女達が、着替えの乗った平たい厨子を捧げ持つ中、維月はさっさと維心を着替えさせて行った。
手慣れた様子で、前の維月よりもさらに手際が良くなったように思う。
陰の月の時には使っていた黒い霧も、今は使う様子はなかった。
「終わりましてございます。」
維月が頭を下げると、維心の侍女達は厨子に乗った脱いだ着物を、捧げ持ったまま出て行った。
そして入れ替わりに、維月の侍女が入って来た。
「私は自分で着替えられるわ。着物だけ持って行ってね。」
維月が言うと、侍女達は頷いて頭を下げる。
思えばきっと、維月が戻らないので日々退屈していただろう。
捧げ持たれた着物は、常よりきっちり畳まれているように見えた。
きっと、やることもないので何度も虫干ししては、何度も畳んだのだろうと思われた。
それにさっさと着替えると、維月はそんな侍女達に言った。
「私が月の宮に居るから、あなた達も退屈でしょう。良ければ維心様にお許し頂いて、月の宮に日替わりで参ってくれても良いのよ。そうすれば、退屈することもないでしょうし。」
月の宮は、侍女達からしても慣れ親しんだ場所だ。
それを聞いてパアッと明るい顔になる侍女達に、維心は言った。
「ならばそうするが良い。維月も忙しいゆえ、こちらへはいつ戻れるか分からぬしな。輪番を組んで、日替わりであちらへ参って維月の世話をすることを命じようぞ。義心に申して主らをあちらへ送迎するようにしよう。」
侍女は、頭を下げた。
「はい、王よ。」
維心は頷いた。
「下がるが良い。」と、うきうきと出て行く侍女達を後目に、維月の手を取った。「主から参ってくれて我は嬉しい心地ぞ。志心や炎嘉に聞いたが、主はあれらが来るのを断っておるそうな。庭で話すぐらいなら良いのだぞ?」
維月は、首を振った。
「私は維心様の妃でございますから。十六夜は兄、ルシウスは友。そうあちらとも決めて、弁えて接しておりますの。離れておりましても、そこは違えませぬ。無理を許してくださっておる、維心様にせめてもの誠意でありますから。」
維心は、微笑んで頷いた。
「主がそのように申すのなら。だが、我は主が我を厭わぬのなら良いと思うておるのだ。主こそ我の面倒な感情と折り合ってくれた過去があるのだからの。それでも側に居てくれる今が、何より貴重なものに思えておるのだ。」
維月は、驚いた。
…ルシウスと、同じことを。
ルシウスも、自分を厭わず居てくれるのがと言っていた。
維月は、涙ぐんで維心の手を握った。
「維心様…私はいつもあなた様を愛して参りましたわ。それこそ、陰の月である時でも。厭うなど、あるはずもないことを。維心様こそ、私の事を様々な事をおしてまで望んでくださって、感謝しておりまする。」
維心は頷いて、そうして二人で奥の間に向かい、その夜は幸福に過ごしたのだった。




