決断
維心は、言った。
「…長い年月、主のことは十六夜と、最近になってからは碧黎と、分け合うより手元に置く方法がなかった。我はそれを飲み、それでも主を側にと望んでいた。今もそう。ルシウスが増えようと、我にとり今さらよ。そも、主らは体の関係はないのだという。ならば、これまでよりもっと楽に受け入れることができる。主が我を愛しておるのだと申すなら、我は主と共に居たい。宮へ入れぬのならそれでも良い。再び妃として、こちらへ通うことを許してはくれぬか。我はそれでも良い。通い婚ではならぬか。」
維月は、驚いた顔をした。
「え、維心様はそれで良いのですか?確かに私は、もう前の陰の月のように奔放な己がしたいままにしておるのではありませぬが…わざわざ出向かねばならないのに?」
維心は、頷いた。
「我はそれでも良い。何より今の主は、我が愛したあの維月。陰の月に染まっておらぬ、抑えながらも慕わしい気を放つ主そのままぞ。我は主を愛している。今も変わらず。共に暮らせぬでも、我は主を、主だけを望む。」
維月は、維心から覚悟を感じて、そこまで言ってくれるのならまた、龍の宮に入っても良いのではないか、と思ったが、やはり躊躇った。
なぜか月の宮から離れたいとは思わないのだ。
「…私だって、維心様を愛しておりますわ。そこまで私を望んでくださるのなら、こちらでお待ちしております。私は、他の神を通わせるようなことは決して致しませぬから。神の中であなた様以上に、愛せるかたなどおりませぬ。」
維心は、ホッとして身を乗り出すと、維月の手を握った。
「維月…ならば、ここにいながらにして我の妃に。我は、こちらへ通う。」
維月は、その手を握り返した。
「はい。私などをそこまで想うてくださるあなた様を、唯一の神とお仕え致します。他の神の訪問は、もうお受けしませぬわ。例え庭を歩くだけだとしても。」
維心は、それを聞いて頷くと、維月を抱き寄せた。
そして、唇を寄せて、その夜は正に何十年ぶりかで、維月と共に過ごしたのだった。
次の日の朝、目を覚まして隣りに維月が眠っているのを見た維心は、昨夜の事が夢ではなかったのだ、と維月をそっと抱き寄せた。
間違いなく実体のある維月の温かさに、維心は身悶えするほど心が満たされた。
ここ最近はいつも、寝返りを打って維月の気配がない事を感じる度に、心が痛んで胸が締め付けられるような心地だった。
布団を抱いて、じっとそこに熱があるように思いながら、かつての維月を想い出すことしかできなかったのだ。
それが、今は間違いなくここに維月が居る。
維心が維月の髪に頬を寄せて懐かしい香りに癒されていると、維月が言った。
「…維心様?」
維心は、起こしてしまったか、と維月の目を見つめた。
「目覚めたか?まだ夜明けぞ、起こしてしもうたかの。」
維月は、微笑んだ。
「いいえ。もう明るくなって来ておりますし。最近はおっとり過ごしておりますから、夜明けに目覚めたりも致しますの。」
維心は、頷いた。
「そうか。ならば良かった。」と、額にそっと口づけた。「…まるでまた初めのような心地であった。長くよう主と離れて生きていられたものだと思うたものよ。それに…己が、主を娶ってどれほどに幸福であったのかも、やっとわかった気がする。」
維月は、維心に抱き着いた。
「私の方こそ。維心様とよう離れておれたものだと思いましたわ。これからはご不自由をお掛け致しますが、お時間がおありの時にこうしてこちらを訪ねてくださいましたなら。」
維心は、頷いた。
「時など作る。主と共に居たいと願うゆえ。我は…主と離れておる間、とても寂しかったのだと今、思うた。こうしておると、満たされる。まるで湯に浸かっておるように、心が楽になる気がする。」
維月は、維心の頬に触れた。
「お寂しい思いをおさせしてしまいました。ですが、これからはこちらへ来てくだされば、いつなり私が居りますから。宮へと上がることはできませぬが…維心様がそれでも良いと仰ってくださるのでしたら。」
維心は、維月を抱きしめて頷いた。
「良い。我は良い…己が愚かにも主の心を失って、この手で主を殺してしもうたのだとどれほどに悔いておったことか。こうして主が戻って参ったのが、夢のように感じてまだ消えてしまうのではないかと案じておるほど。何度でも通う。待っておれ。」
維月は、フフフと笑った。
「夢と仰るなんて。夢ではありませぬわ。」と、侍女を気配を感じて、ハッとした。「…どうしたの?誰か居る?」
侍女の声が答えた。
「はい。あの、龍王様に、炎嘉様から応接間に出て来ぬかとの事でございます。」
月の宮の侍女は、呼ばないと来ないのに気配があったのは、恐らく炎嘉に言われて来たものの、維月が居たので声をかけられなかったのだろう。
維心は、息をついた。
「…一時ほどで参ると答えよ。」と、維月を見た。「共に参るか?記憶が落ち着いたのなら、友と語らいたいのでは。」
維月は、苦笑して首を振った。
「いいえ。落ち着いてからまた、お伺いいたしますわ。維心様に通って頂かねばならないのに…どんな顔で妃としてお側に参れるでしょうか。今少し、世が許してから公式にお側に上がりたいと思います。」
確かに、離縁した仲であるのにおかしいかもしれない。
維心は、息をついた。
「ならば…仕方がない。」と、また維月を抱きしめた。「本日は初夜の心地であるのに。一時も離れとうないのだ。誠に友というのも、こんな時は疎ましいことよ。」
維月は、維心をなだめるように背中を撫でた。
「維心様、これからはお会いできますから。今夜もお傍に上がります。ですから、ここは皆様をお会いになられた方がよろしいですわ。ご準備を手伝いますから。さあ。」
維心は、仕方なく頷いた。
「分かった。ならば参るか。」
維月は頷いて、起き上がった。
「お着替えを。お手伝い致します。」
維心は、そう言ってさっさと維心の着物を準備する維月を見つめながら、こんな何気ないことが、これほどに幸福なのだと、目を離すことができずに居たのだった。
応接間へと身を切られる心地で維月と離れて向かうと、そこには皆がもう揃っていた。
維心は、席につきながら言った。
「何ぞ、早いの。」
炎嘉がむっつりとした顔で答えた。
「あのな。昨日は結局戻ってこなんだくせに。お陰で皆、やることもないし早寝したから本日は早う目覚めたのだ。そら、昨日皆で散々話して対策を練った。あの遊びをしに大広間へ参ろうぞ。」
例の人狼ゲームか。
維心は、苦笑した。
「誠か。少しはやりがいのある様になったのだろうの?どうよ。」
志心は答えた。
「誰より上手くできるような気がしておるものよ。それより主、何やら落ち着いたの。そういえば、維月がまた倒れたとか蒼が申しておったが、大丈夫だったか?主が共に居る時であったと聞いておるが。」
維心は、頷いた。
「そう。昨日、我はやはり維月は思い出すべきだと思うて。我らがどんな仲であったのか話したのだ。そして、別れた事実もの。そうしたら、倒れて。維月は、すっかり思い出した。」
炎嘉が、驚いた顔をした。
「え、すっかり?ということは、龍王妃であった事実もか。」
維心は頷いた。
「その通りよ。ただ、陰の月としてどう感じてどう判断したのかは空白なのだそうだ。つまり、そこの辺りを取られてしもうたのであろうの。維月は、陰の月の価値観は今の自分には到底受け入れられないらしゅうて…つまりは、陰の月を抑えた、前の維月であるのだ。」
ということは、神をどこか見下したような、あの陰の月の維月ではもう、無いということなのだ。
「なんとの。ではまた話しておきたいものよなあ。」炎嘉が、言った。「後で庭でも歩こうと申し入れておくか。」
維心は、首を振った。
「主にしたらまたかと思うやもだが、維月は龍の宮には戻れぬが、我が通うと申したら妃として我に仕えてくれると。なので、昨夜そう約して娶り直したゆえ、我の妃ぞ。恐らくあれは、主の申入れを断るのではないかの。」
これまでの維心なら、維月に手を出すなと憤ったものだったが、何やら淡々と落ち着いたままだ。
炎嘉は、また維月が維心の妃に収まった事実より、そっちの方が気になった。
「え、主がはそれで良いのか?何やら落ち着いておるの。どうしたのよ、他に取られるとか焦らぬのか。それともそこまで執着はないのに娶ったとか?」
維心は、首を振った。
「何も。今でも維月のことは愛しておるし、それは宮に居た時より更に深いと思う。だがの、焦りなど無い。そも、維月を信じておるし、何事も維月が決めることぞ。我が何を言うても、維月次第なのだし、焦っても仕方がないわ。我が維月を愛しておって、あれも我を愛してくれる。それ以上は求めようとは思わぬ。仮にあれが他に目を向けようとも、我が維月を愛しておるのは変わらぬのだから。あれが我を受け入れてくれるのなら、それ以上は求めぬよ。」
悟っている。
炎嘉と志心は、顔を見合わせた。
つまりは維心は、いろいろな出来事を経験してそういう結論に至ったのだろう。
自分が維月を愛していて、維月がそれを受け入れてくれるのなら、他はどうでも良いと。
焔が、珍しく真面目な顔で言った。
「…主、大した奴よな。ようそんな風に考えられるようになったの。我には無理だが、しかしそれぐらいでなければ月など娶れぬわな。近くに居たゆえ、軽く考えておったが闇の事件で我も考えさせられた。確かに月は我らとは違う存在。我は身の丈にあった相手が居たら良いなと思うわ。月には、憧れるだけで充分よ。」
それを聞いた志心が、ため息をついた。
「…確かにそのように。深くは分かっていなかったが、月を妃になど苦労しかない。維心であったからここまで来れたのだと我も思う。それにしても、深い結論だの。我にも無理よ。そうであろう、炎嘉?」
炎嘉は、険しい顔をしていたが、肩の力を抜いて頷いた。
「…その通りよ。ここ最近はあれの気を感じて話しながら歩くのが癒しと思うておったが、確かに娶るだけの覚悟は我にはない。あまりにも障害が多すぎるのだ。維心でなければ無理。もう、維月にちょっかいは出さぬよ。」と、立ち上がった。「さ、では参ろうぞ。本日で最後なのだぞ?せっかくに話し合って対策を講じたのに。あのゲームをやらねば気が収まらぬわ。」
維心は、頷いた。
「負ける気はせぬがの。」
そうして、一同はまた、大広間の箱の方へと移動して行ったのだった。




