妃達と
維月は、緊張しながら几帳の中へと入った。
妃達は、皆深々と頭を下げている。
何やら覚えがあるような様だったが、思えば月の地位は高いので、陰の月である維月は、この中では最上位なのだとハッとした。
なので、言った。
「…皆様、お顔を上げてくださいませ。」皆が、顔を上げる。維月は続けた。「何分、性質の悪い闇に記憶を乱されてしもうてこの方、何を取られたのかも分からずで。皆様には、我が覚えておらぬで失礼があるやも知れませぬと、先に申し上げておきますわ。」
綾が、言った。
「皆、存じておることでありますわ。それを王から聞いて案じておりました。維月様には、皆の顔と名前は覚えておられますでしょうか。」
維月は、全員見たことがある、と思った。
そして、記憶が甦って来るままに、言った。
「…綾様のことは覚えておりました。そちら、椿様…?箔炎様の妃であられますわね。」
椿は、涙を浮かべて頷いた。
「はい、維月様。椿でございます。」
次に、維月は隣りを見た。
「…そちらは、椿様のお子で公明様の妃であられる桜様。樹伊様の妃であられる楢様、塔矢様の妃の恵麻様、仁弥様の妃の明日香様。」
維月は、スラスラと出て来るのに己で驚いた。
「…まあ。王のお名は出て参りませんでしたのに。皆様のお顔を見たら、王のお名まで出て参りましたわ。」
全員が、維月に寄って来て涙ぐんだ。
「なんと、我らの名を覚えておってくださいましたとは。綾様からご様子を聞いて、もう諦めておりましたのに。我らの名を、誰一人出て来なかったと聞いておりましたから…。」
維月は、頷いて次々に浮かび上がる名前に言った。
「…そういえば、渡様の妃の美穂様は…?漸様の妃の、瑞花様も…。」
居た気がする。
綾が、寂しげに言った。
「維月様、美穂様はまたご懐妊で今回は出席されておりませぬの。瑞花様は…あの、離縁されて。」
皆が、言葉を濁す。
維月は覚えていないのだ。
何しろ、自分が龍王妃であってことすら覚えていないのだから。
離縁…?
維月は、頭の中がグ、と何かを拒絶するかのように固まるのを感じた。
離縁、という言葉を、聞いてはならない気がしたのだ。
「…そうでしたの…?何か、頭の中が混乱して…」と、維月は、フラとふらついた。「…思い出せなく、申し訳…。」
「維月様!」
皆の叫び声が聴こえる。
維月は、そのまま気を失った。
「維月様!」
妃達の悲鳴なような声が聴こえる。
思わず維心もジョッキを置いて腰を浮かせたが、十六夜がいち早く飛んで行って几帳を脇へ吹っ飛ばして行った。
「維月!」と、倒れた維月を抱き起こした。「なんだ、どうした?!」
そんな乱暴な事をする王も居ないので几帳が吹き飛ばされて妃達は仰天した顔をしたが、維月が倒れているのでそれどころではなく、丸見えの中で綾が言った。
「我らの事を、一人一人覚えておってくださったのですわ。名を呼んでくださって、美穂様と、瑞花様はとお尋ねに…。美穂様はご懐妊だとお伝えし、瑞花様は…離縁なされたのだとお話し致しました。そうしたら、頭の中が混乱してと仰って、倒れてしまわれましたの。」
十六夜は、維月を見た。
維月は、完全に気を失っていて、目を開く様子はない。
するとそこへ、パッと碧黎が出て来た。
「…記憶に混乱をきたしておるのだ。」と、維月を抱き上げた。「部屋へ連れて戻る。また整理したら目を覚ますだろうが、その時どうなっておるのかまた分からぬ。主らはこのまま過ごすが良い。ではの。」
と、維月を抱いたまま、パッと消えた。
十六夜も、蒼を振り返った。
「オレも行く。あいつの記憶がどうなってもオレだけは分かるからよ。傍に居てやらにゃ。じゃあな。」
と、またパッと消えた。
月の眷族の移動手段はもう分かっているので、誰もが何も言わなかったが、炎嘉が深刻そうな顔で言った。
「…せっかくに思い出しておったことが無くなるとか、全部一気に思い出すとか、あるという事か?」
蒼は、几帳を直すように侍女達に指示をしながら、答えた。
「分かりませんが、混乱して出て来ていない記憶と、完全に取り去られて消えてしまった記憶がありますので、どちらにしろ全く元通りにはならないと思います。思い出していたことが無くなることは…多分、ないと思うんですけど。毎日、ちょっとずつ思い出しては時系列を整理して過ごしておりましたからね。今回は、妃達の顔を見て一気に記憶が出て来て、すぐに整理がつかなくて気を失ったのかもしれませんから。」
綺麗に立て直された几帳の向こうで、椿の声が言った。
「我らが一度にお目通りしたばかりに。少しずつ、思い出して頂けば良かったのですわ。まして、出て来た記憶を違うところがあったら、混乱もなさるかと…。」
瑞花が、居なかったからだ。
維月は、自分が龍王妃であったことすら覚えていないのだから、瑞花の離縁やら、そんな事まで覚えているわけはないのだ。
とにかく、出て来ても時系列がバラバラなのだろう。
蒼が、言った。
「ここには維月も友に会いたいと自分で来たことだから。あの事件から、いろいろ確かに時系列がおかしくなっていて、オレ達も接する時にどの時点の自分で接したら良いのか迷う時もあるんだ。誰が悪いという事はないし、このままで良いとも思っていない。記憶が落ち着くきっかけになるのなら、いろいろ試してみるよりないと思っている。」
だが、楽し気に話し始めていたはずの、几帳の中では今、シンとしていてお通夜のようだ。
焔が、言った。
「…ま、分かっておったことぞ。さあ、我らは正月を楽しもう。維月は、今頭の中を落ち着かせるために励んでおるのだからの。何かある度に、回りが一喜一憂するのは維月にとっても負担ぞ。落ち着いたらまた戻って参るやもしれぬし、気にしないようにする方が良い。」
焔に言われて、皆がまたジョッキを持ち上げたが、何やら微妙な空気だ。
蒼は、ため息をついたのだった。
碧黎は、十六夜と維月の部屋に現れて、維月を寝台へと寝かせた。
すぐに十六夜が追って来て、それを後ろから覗き込んだ。
「親父、混乱って大丈夫なのか?また変な事にならねぇだろうな。」
碧黎は、険しい顔をしながら、維月の額に手を置いた。
「…確かに混乱しておるのだ…何か、思い出そうとしたようなのだ。妃達と対面して、一人一人の顔を見ておって芋づる式にどんどん名前と夫の名が出て来ておったからの。もしかしたら、思い出してはならない事を思い出そうとして、維月の意識がシャットアウトしたのかもしれぬ。」
十六夜は、顔をしかめた。
「ってことは…維月自身が、思い出したくないと思ってるってことか?」
碧黎は、目を閉じている、維月の顔を見つめた。
「分からぬが…我には、そう見えたの。維月の潜在意識が、何かを思い出したくないと思っているとしたら、そうなのかもしれないと思う。あまりにも、ピンポイントに維月の心が楽な方に記憶がない。維心のことは全く覚えておらぬのに、我の事は覚えている。主は分かる。何しろ、維月という人格が作られた時から主は居るから覚えておって当然なのだ。だが、その次ぐらいに長い時間愛して来た維心を、記憶の中から失くすなど、普通ではない。維月の、何らかの意識が働いておるとしか考えられない。」
十六夜は、維月の顔を見つめた。
完全に陰の月として生きていた維月は、もしかしたら維心をまだ、愛していたのかもしれない。
だが、ああして自分というものが別の方向に確立してしまった以上、維心から離れるしか仕方がなかったのではないか。
もしかしたら、維月は心の奥底では、維心と愛し合っていた頃に、戻りたいと思っていたのかもしれない。
だが、それがもう叶わないのだと、維心と同じように諦めていたのかも…。
十六夜は、維月の頭を撫でながら、ため息をついたのだった。




