面会
そう長く待たない間に、侍女がやって来て蒼に頭を下げ、告げた。
「十六夜様、維月様、お越しでございます。」
皆が、一気に緊張した顔になる。
蒼は、言った。
「入るが良い。」
二人は、きちんと着物に着替えた状態で中へと入って来る。
維月は、いつも月の宮ならベールも着けず、扇も持っていないのに、今朝はきちんと持っていて、それを高く上げて顔を半分以上隠していた。
十六夜の影に隠れるようにして入って来た二人だったが、十六夜が、言った。
「えーっと、維月がちょっとこんがらがっててなあ。それを何とかするためにも、連れて来た。とりあえず、挨拶からだってことで。」と、維月を見た。「ほら維月、挨拶だけで良いから。誰も獲って食やぁしねぇよ。」
維月は、十六夜を軽く睨んだ。
「まあ十六夜、失礼よ。」と、意を決したように進み出ると、いつも見ていたように、それは美しく頭を下げた。「皆様、維月でございます。記憶が混乱しておって、失礼もあるかと思いますが、何卒ご容赦くださいませ。」
いつもの維月…?
炎嘉は、じっと見つめた。
いつものと言って、この前に見た妖艶なあの維月ではない。
どこか懐かしいような、そんな維月だった。
「…維月、覚えておらぬだろうが、我は鳥の王ぞ。」維月が、炎嘉を見る。炎嘉は続けた。「名は分かるか?」
維月は、じっと炎嘉の顔を見て、あ、と手を叩いた。
「炎嘉様。はい、覚えがございます。確か…どこかで、ご挨拶したことがあるような。」
挨拶どころではないのだがの。
炎嘉は思ったが、苦笑した。
「その通りよ。それが我の名。」と、皆を見た。「皆の名は?覚えておるか。皆、一応は面識はあったのだがの。」
維月は、一人一人顔を見た。
そして、言った。
「…箔炎様、志心様。」と、じっと焔を顔を見た。「…どなただったかしら。鷲…鷲の気。焔様?」
焔は、おお、と手を叩いた。
「よう覚えておったの!」と、維心を指した。「これは?」
維月は、じっと維心を見つめた。
「…龍王様。」
名前が出ない。
十六夜が、言った。
「龍王の名前は?」
維月は、頷いた。
「維心様。」と、蒼を見た。「蒼がよく、助けていただいた気がするの。そうよね?しょっちゅう維心様維心様と申しておったような。」
それはそうだが、根本的に何も覚えていない。
それとも、まだ出て来ないだけなのだろうか。
蒼は、言った。
「確かに今も昔も、ずっと助けてもらってる。維月、いや母さん、覚えてる?オレ、昔より老けてるだろ?分かる?」
維月は、頷く。
「分かるわ。あなた、すごく大人になったわよね。あんなに子供子供していたのに。というか、それがとても昔のことで、みんなもう、死んでしまって残っているのは恒とあなただけなんだって十六夜に聞いたところだったの。それも、何となく分かっていたような気がする…頭の中で、時系列がぐちゃぐちゃになっている感じ。」と、漸と駿、高彰、渡を見た。「申し訳ありませぬが、そちらの王の方々のことは、全く記憶にございませぬで。」
直近の記憶だからだろうか。
蒼は思った。
渡が、言った。
「良い。特に仲が良かったわけでもないし、主が覚えておらぬのも道理なのだ。」と、蒼を見た。「蒼、ということは、主らの間ではかなり昔の事からしか、維月は覚えておらぬという事だろうか。」
蒼は、渋い顔で頷く。
「そうみたいですね。全く関係性が分かっていないようなので、しばらく十六夜とあちこちしながら、失ったものと、ただ忘れただけのものを取り返して行くよりありません。ただ、礼儀とかは覚えているようですけどね。」
十六夜が、言った。
「そうなんだよ。ここへ来て、子供みたいだったのに言葉がしっかりしてるし、お辞儀とか完璧にしてる。覚えてそうなんだが、おかしな記憶の持って行かれ方してるから、変な欠け方しててオレにも親父にもどう対応したもんかって感じ。自然に任せるかな。」
蒼は、頷いた。
「仕方がないよね。でも、まあ何とか覚えてる事もあるって事だしね。ゆっくりやったら?」
炎嘉が、言った。
「そうだの。ゆっくり思い出せば良いわ。我らも、時々顔を見に参ろう。共に話しておったら、思い出して参るやもしれぬだろう?」
維月は、慌てて言った。
「まあ。神の王の方々に、そのようなご無理をおさせするわけには行きませぬわ。お暇がおありの時がありましたなら…ご政務のついでなどに。」
落ち着いている。
炎嘉は、維月の話す様を見て、そう思った。
以前の維月と話している時のように、落ち着いた感じで、陰の月のどこか棘があるような、ピリピリとした何かがない。
志心が、言った。
「良いぞ。ここは気が清浄であるし、我らも気分転換になる。主の記憶の回復を助けるためなら、こちらへ来て話し相手にでもなろう。」と、維心を見た。「主もどうよ?」
維心は、チラと志心を見る。
維月は、慌てて言った。
「あの…龍王様はそういう事はあまりと聞いておりますし。無理にとは思うておりませぬの。十六夜が居りますから、あちこちで思い出せるように励んでみますわ。」
ということは、維心に対する記憶は恐らく、女嫌いで有名だったあの頃のままだ。
維月からは、本気の気遣いが感じられ、維心と過ごすのが嫌だとか、そんな感情は欠片も感じなかった。
つまりは、全くの他神の扱いなのだ。
しばらく黙っていたが、維心は、言った。
「…蒼の母であるしの。我も、暇があれば参るとしようぞ。」
蒼は、驚いて維心を見た。
確かに今の維月なら、何も覚えていないのだから構える事もないだろうが、大丈夫なのだろうか。
急に思い出して、気まずくなるとか無いだろうな。
蒼は思ったが、割り込む事もできない。
維月は、頭を下げた。
「皆様のお気遣いに感謝致します。」と、十六夜を見た。「あの、十六夜。あまり長くお邪魔するのもだから…。」
十六夜は、ああ、と維月が言いたい事を汲み取って、頷いた。
「じゃあ、オレ達は部屋へ帰るよ。すまねぇな、邪魔をした。」
炎嘉が、答えた。
「またの、十六夜、維月。」
維月は、十六夜にホッとしたように微笑み掛けると、また皆に頭を下げて、そうしてそこを出て行った。
その二人の後ろ姿は、前世見た恋人同士の二人のように、懐かしい雰囲気を漂わせていたのだった。
扉が閉じて、二人が去ったのを確認してから、炎嘉が言った。
「…なにやら落ち着くの。元の維月ぞ。陰の月に染まらぬ前の。」
志心も、頷く。
「気も無理をして抑えている様子ではなかった。だが、いったいどこまで持っていかれたのかの。覚えている範囲がまだ分からぬ。いきなり思い出してまた急にあの妖艶な様になられたら、こちらも困るし話す時は慎重にせねばならぬな。」
蒼は、言った。
「そうですね。オレに対するあの話し方はまんま前世の母さんでしたし。でも、皆様にお話しする時はきちんとした口調でしたでしょう。あれは、龍の宮に行ってからの維月なんですよ。多分、覚えてはいるけど出て来ていない感じなんじゃないかと思うんですけど。でも、何をどれだけ持っていかれたのかわからないから、ホントに何も出て来ない可能性もあります。」
炎嘉は、息をついた。
「維月と出会ったのは維心と婚姻後だったのに、あれはそれを覚えておらぬようで、我のことは覚えておった。だが、顔を見たからと思い出す様子もなかった。かき混ぜられた感じなのかも知れぬな。そのうちに、整理がついて出て参るだろう。我も、言うた通りこちらへ時があったら来るようにするわ。あの維月なら、我とて話しておりたいしな。落ち着いておって、何より慕わしい。」
志心も、頷いた。
「確かにその通りぞ。覚えておってくれたのは素直に嬉しい心地よな。」
箔炎は、苦笑した。
「こら、おかしな気を起こすでないぞ?また急にあの、ここ最近の維月に戻るやも知れぬのに。面倒なことになる。そこそこにしておけ。」
そんな話を皆がしている中でも、維心はじっと黙っていた。
元々あまり話す方ではない維心だが、蒼は気になった。
維心は、あの維月を失った、己が殺したと言っていたのだ。
それを、束の間かも知れないのに、また目の当たりにしたら、複雑なのではないだろうか。
しかも、また元にいつ戻るのかわからないのだ。
蒼は気になったが、しかしこちらから心境を聞くこともできなくて、月の宮を飛び立って行く皆を黙って見送ったのだった。




