闇の城
維月は、寝台の上に寝かされていた。
霧は、十六夜が居るのでそこには全く入って来なかったが、ルシウスはお構い無しに維月を調べて、言った。
「…段々に主の力の殻も弱くなりつつあるな。何しろ、内から陰の月の力が侵食してる上、外から力のある闇の力が、少し取り込んだ陰の月の力を使いながらじわじわ侵食している。時はないぞ。」
十六夜は、言った。
「何だってこんなことに。無理やり取り込むなんざ無理だと知ってるんじゃねぇのか。なのにこいつは、維月に媚びるどころか喰おうとしてるわけだろう。」
ルシウスは、言った。
「…それだけ愚かなのだ。ちょっとは知恵があるようだが、こんなやり方ではすぐに陽の月に消される。だが、これにはこんな方法以外、思い付かぬのよ。そういう性質なのだ。」と、十六夜を見た。「さあ、主でなければ維月の中の闇を逃がさず消せぬ。やれ。我では維月ごと、悪くしたら取り込んでしまうやも知れぬゆえ。」
十六夜は、維月の手を握った。
「…お前は離れてろ。どこまでオレの力が波及するか分からねぇから、サイラスの城へ行くんだ。着いたら知らせろ。急げ。」
ルシウスは頷いて、デロイスとダヴィートの玉を手に、言った。
「頼む。」
ルシウスは、そこを飛んで出て行った。
十六夜は、じっと維月の顔を見つめた。
どこかを持っていかれたかもしれないと…だが、それを気にしている暇はない。
《サイラスの城へ入った。》
十六夜は、頷いた。
「…やるぞ。」
十六夜の力が、一気に維月の中へと流れ込んで行った。
維月の中では、闇が右往左往していた。
逃げ出したいのに、ここを出ることもできない。
外に置いて来た、他の欠片はもう、消失したのを感じ取り、しこたま苦しんだ後だった。
目の前には、全裸で膝を抱えて眠る金髪の維月が、光輝く玉の中に入って浮いている。
ほんの少し削れた陰の月の力を何とか駆使して外からつついてみるものの、その玉はびくともしなかった。
…中から、破らせるしかない。
闇は、思った。
なので、外から話し掛けた。
《陰の月!陰の月よ…!目覚めよ!我のためにこれを破って出て参れ!》
だが、維月は目を開きもしない。
聞こえているのかも、定かではなかった。
だが、目を閉じたままの維月は、囁くように言った。
《…十六夜…。私はここよ…。》
陽の月を呼んでおるのか!!
闇は、焦った。
月の陰陽は、どこに居てもお互いを気取るのだと言う。
それを、どこかの意識で聞いた気がするのに、闇は深く理解していなかった。
陰の月は何と言っていた…?
…我がお前に共感せねば、取り込むことなどできぬわ!愚か者!
そう、陰の月から手を貸そうと思わせねばならなかったのだ。
なのに、自分は力を手にしたいからと、無理に取り込もうとした。
この月に、ひれ伏さねばという本能に抗い、こんな女は喰らえば良いと思うたばかりに…!
《…そこか。》
ふと、聞きたくないと本能的に感じる声がすぐ側で聴こえた。
慌ててそちらを見ると、陽の月の気配がする男が、こちらを睨んで浮いていた。
《…陽の月…!!》
逃げ場はない。
相手は、フンと鼻を鳴らした。
《オレの相方に結構なことをしてくれてるじゃねぇか。》と、手を上げた。《抵抗するなよ?長引くだけだ。おとなしくしてりゃ一瞬だよ。》
闇は、咄嗟に側の維月の玉の裏に入った。
《…これ諸とも消せるなら消してみよ!》
十六夜は、軽く力を放って維月の玉に当てた。
その玉は、光輝いてさらに分厚く中が見通せなくなった。
《馬鹿かお前は。オレがオレの力に守られてる相方を消せるはずがないだろうが。お前は死ぬしかねぇの。もう復活はできねぇぞ?他の欠片は処分した。そら、その玉に触れるから手が消えてるっての。》
闇は、ハッして手を見た。
確かに、そこにはもう、手がなかった。
《ま、待て!》闇は、十六夜に土下座した。《何故に我は死なねばならぬのよ!闇だからか?!闇だと言うだけで?!》
十六夜は、呆れたように言った。
《維月の記憶の一部を使ってるんだろうが、よく考えろ。オレ達は、良い闇には共に生きる選択をする。だから維月は他の闇達を守ろうとしてただろうが。お前は何だ?喰おうとしたじゃねぇか。ホントに馬鹿だな、気の毒になるわ。》と、手を上げた。《次は賢く生まれろよ。まあ無理かもしれないが。》
《待て!》闇は、十六夜の力に捉えられてもがいた。《…我らは飼い闇にならねば生きることも許されないのか…!!》
その闇は、呆気なく消えて行った。
《…だからそういうことじゃねぇ。》
十六夜は言って、闇が居た場所を見つめた。
そして、維月が籠る玉に触れると、それは弾けて維月が気を失ったままそこから十六夜の腕の中に落ちて来た。
《…十六夜…?》
維月は、うっすらと目を開いて言う。
十六夜は、ホッとして頷いた。
《もう大丈夫だ。目覚められたら目を開けな。外で待ってる。》
だが、維月は言った。
《…眠いの…。後でね。》
十六夜は、苦笑した。
《分かった。》
そうして、十六夜は維月の中から出た。
目を開くと、穏やかな顔で寝息を立てる維月が目の前に居て、十六夜はその手を握りしめていた。
ルシウスが、入って来て言った。
「…終わったか?」
十六夜は、振り返って頷いた。
「ああ。維月は無事だったよ。どこを持って行かれたって感じじゃなかったな。オレを見て、すぐに十六夜?って言ってたし。」
ルシウスは、じっと維月を見た。
維月は、見た目は変わらない様子でそこに横になっているだけだ。
あの時は無表情で生気がなかったが、今は安らかに眠っている感じだった。
「…分からぬが、しかしどこか、何かが欠けている感じがする。主も分かるはずだ。何かが違うだろう。」
十六夜は、じっと維月を見下ろした。
「…確かに。だがとりあえず、人格が無くなるとかそんな事はなかったし良かったよ。眠いから寝かせろって言うから、このまま月の宮へ連れて帰って寝かせとく。目が覚めたら、いろいろ聞いてみてどこがおかしいか見とくよ。それより、デロイス達は?」
ルシウスは、頷いた。
「サイラスの城で、殻から出した。まだ眠っているので、連れて帰ってあれらの元の部屋に寝かせている。ディオンには、問題があってこちらに連れて戻っていると知らせておく。いきなりあちらに戻らぬと、あれらも案じるだろう。」
十六夜は、頷いた。
「そうか。」と、眠っている維月を抱き上げた。「こいつ、一回寝たらなかなか起きねぇからよー。必ず何かあったら知らせるから、心配すんな。」
ルシウスは、ため息をついて維月の髪を撫でた。
「…案じられる。何やら嫌な予感がするのだ。一見、何でもないのだがの。」
十六夜は、確かに不気味な不安が脳裏をかすめたのだが、それを振り払って、維月を抱いてそこから消えた。
ルシウスは、どうか生活に支障が出るような所が持って行かれていないようにと、祈ったのだった。
蒼が、維心達が揃っている応接間に、やっと姿を現した。
皆、楽器が目の前にあるのに、それを弾くつもりにもならないようで、まるでお通夜のようにちびちびと酒を飲みながら静かに語らっている。
焔が、蒼に気付いて急いで言った。
「蒼!どうなった、闇は消せたのか?」
蒼は、頷いた。
「今しがた、十六夜が維月を連れて宮へ戻って来ました。まだ何を削られたのかまだ分かっていません。何しろ、維月は闇を消してから眠っていて、確認のしようがないんです。碧黎様も見に来てましたが、よくわからないと言ってました。闇の力が維月を掠めた程度だから、そんなに大したものを持って行ってないだろうって言ってましたけど。闇を消した直後には、十六夜を見て、十六夜?って言ったらしいし。眠いから後でって普通に話していたみたいで、おかしなことにはなっていないんじゃないかって十六夜は言ってましたけど。ただ、ルシウスはかなり案じておったらしいです。」
今、月の宮に戻っているのか…。
炎嘉は、チラと維心を見た。
花見に来るにも、維月が居ないならと来たぐらいなので、まだどこかわだかまりがあるのは確かなのだ。
前の維月のことをこよなく愛していた維心は、今の維月を見ると、もうあの維月が居ない事を突きつけられているようで、つらいようだったのだ。
まして、その現状を作ったのが、他ならぬ自分自身となれば、尚更だった。
炎嘉は、息をついた。
「まあ、命が無事ならまずは良い。十六夜の事を認識して言葉を交わせておるなら良いだろう。蒼も少し休まぬか。皆が案じて大変だったのだ。せっかくの花見で集っておるのだし、楽でもやるか。」
蒼は、確かにせっかく呼んだのに、と、急いで頷いた。
「そうですね。琴の音がしたら、維月も目を覚ますかもしれないし。さあ、じゃあ皆様畳の上に。遅くなりましたけど、楽しみましょう。」
皆はやっとホッとしたのもあって、気持ちを切り替えようと畳の方へと移って行く。
外では、月が高く昇って桜の木々を照らしていた。




