宴の席で
例に漏れず、月見のための席は南の庭の中に、桟敷を作ってそちらに設えられてあった。
龍王の紋が入った膜がつけられていて、まさに婚儀のような様だ。
桟敷の上にはまだ明るいのに、上位の王達が妃を伴って集まって座っていた。
その他の神達は、月の見える大きな窓を持つ大広間に案内されているので、ここには居なかった。
とはいえあの数だ。
恐らく大広間では入りきれないはずだった。
維月は、気になって言った。
「維心様、この他の皆様はどちらに?大広間では無理でございますわね。」
維心は、頷いた。
「入りきれぬと鵬が申すので、会合の宮大広間にも分けて案内させておる。主は案じることはないのだ。」
そうか、会合の宮にも場所はあるのね。
維月は、ホッとした。
炎嘉が、言った。
「主も気忙しいのう。ここの女主人であるのに、客があれほど多いとな。だが、臣下は慣れておるゆえ。本日は客のつもりでおるがよい。」
本当に婚儀の日ならここまで案じないのですけどね。
維月は、思っていた。
桟敷の手前で維心に降ろしてもらい、侍女達に手伝われて重い袿を持ち上げて、維月は頭を下げる妃達の前を、維心について静々と歩いた。
維心が正面の席に座り、維月はその少し後ろの横、炎嘉はその維月の少し前の隣りに座り、やっと収まった。
侍女達は、維月の着物の裾を整えてから、桟敷を降りて出て行った。
維心が、言った。
「皆、よう来てくれたの。表を上げよ。」
妃達が、顔を上げる。
皆維月の方を見ていたが、恐らくベールのせいで中は全く見えないだろう。
婚儀のベールはそういったものが多く、こういう時の花嫁は、外からは見えないので気楽なのだが、孤独だった。
が、何やら綾とは視線が合う気がした。
何しろ、維月と目が合って、にっこり微笑んだのだ。
焔が、言った。
「戻るとてここまで正式にやるとは思わなんだわ。臣下も慌てて祝いだなんだと厨子に詰めて大騒ぎぞ。で、維月はまた美しいな。金かそれは。冠が重そうで細い首が案じられるわ。」
箔炎が、苦笑した。
「婚儀ならばそんなものぞ。とはいえ、丸見えだが良いのか。」
…そうか、鳥族だから。
維月は、それを聞いて思った。
維心は、眉を寄せて言った。
「…我には見えぬ。炎嘉の宮から贈られた布で作りおったから、中が全くなのだ。主らが見えるのは鳥だからぞ。」
炎嘉は、ハッハと笑った。
「そうか、焔と箔炎にも見えておるのだの。維心には見えぬのだ。我らの他には見えておらぬはずぞ。」
いや、だったら綾にも見えている。
維月は、途端に綾に微笑み掛けた。
綾はそれは嬉しげに微笑み返して、小さく頷いた。
見えている、ということだろう。
他の妃とは目が合わないので、見えていないようだった。
案外に、この方が楽なのかも。
維月は、思った。
一番仲の良い綾に見えるならこれよりのことはない。
とはいえ、大きなお腹で参加してくれている、多香子も気になっていた。
焔が、それを見て言った。
「なんだそうか、綾もか。鷲であるものな。見えておるのだろう。」
翠明が驚いた顔をすると、綾は仕方なく頷いた。
「はい、焔様。美しいお姿を拝見できて、鷲であって良かったと思いましてございますわ。」
いつものベールは何のために被っているのかわからないほど透けてるもんね。
維月は、内心思っていた。
翠明が、言った。
「もういっそ、式をせぬならここで剥いだら良いのよ。」皆がえ、と翠明を見ると、翠明は続けた。「維月とてそれではせっかくに久しぶりに会うた友とも話しもできぬだろうが。式で剥いで己の宮のベールを被せるものだろう?本来。もう知らぬ仲でもあるまいに、そうしたらどうか?」
言われてみたらそうだけど。
維月が思っていると、炎嘉が顔をしかめた。
「こら、我とてそれはわかっていたが、黙っておったのに。」
維心が、頷いた。
「そうか!そうだの、良い事を言うな翠明よ。そうしようぞ。侍女、いつもの維月のベールを持て。」維月の侍女が頭を下げて慌てて出て行く。維心は維月に向き合った。「ならば今ここで。」
維月は、仕方ないかと頷いた。
「王がそのように仰るのでしたら。」
また立ち上がるのに、侍女達が急いで維月の補佐に桟敷に上がって来る。
やっと座ったのにと思いながら、侍女達と維心に手伝われて立ち上がった維月は、扇を高く上げて維心に頭を下げた。
バランスが取りにくいから、早くして欲しい。
維月が思っていると、維心は下からベールを巻き上げて、後ろへと落とした。
「…表を上げよ。」
維心が言うのに、維月は後ろへ転がらないように、慎重に頭を上げた。
維心は、ジーッと黙ってそのまま、維月を見つめていた。
「…なんとまあ、美しいの、維月よ。」維心が黙っているので、志心が口を開いた。「龍の冠が確かに重そうだが、それ以上に簪の数よ。常も多いが、本日はまた凄まじいな。」
これでも軽くしてもらった方なんです。
維月は、内心思っていたが、維心が黙り込んでいるので、気になって小声で言った。
「…維心様?お気に召しませんでしたか?」
維心は、ハッとしたように言った。
「いや…主はこんなに美しかったかと驚いて。」え、と維月が驚いた顔をすると、維心は続けた。「ついぞ龍王妃の正装をしているところを見ておらなんだゆえ。なんと美しいのだ主は。」
いやいやここには絶世の美女である綾様も多香子も、妖艶な恵麻も居るから。
維月は、維心がそんな事を皆の前で躊躇いもなく言うので、恥ずかしくて顔を赤くした。
炎嘉が、言った。
「であろう?維月一人に龍の技術の結晶がこれでもかと費やされておるから、まるで大きな人形、芸術品よな。」
椿が、隣りの箔炎に言った。
「あのお髪の結い方は初めて見ますわ。ご覧になって、髪に金の糸のような物が編み込まれて。簪がまたなんと細工の細かいこと。」
すると、隣りの綾が言った。
「お着物もですわ。万華の…あれは最新の形ですわね。白の奥に透けて見える紅が絶妙で…何やら朱色にも見えるような箇所もあるのに過ぎた事もなく。金糸があちこちに…なんと見事な。」
私は人形なのね。
維月は、思いながらひたすらそこに立っているしかなかった。
すると、侍女が必死に戻って来て、維心にいつものベールを差し出した。
「王。お持ち致しました。」
維心は、頷いてそれを受け取ると、維月の頭からそれを被せた。
「もったいないゆえ、これぐらいで。まともに見るのは我だけで良いわ。」
もったいないって。
維月は思ったが、頭を下げた。
「はい、王よ。」
そうしてまた座るのに一悶着あり、とりあえずまた、そこに収まって維月も侍女もホッとした。
翠明が、言った。
「また龍王妃とは大層なことよなあ。今維月一人を拐えば、宮は数年回るほどの価値があろうぞ。世界一高価な作品ぞ。」
炎嘉は、言った。
「ゆえに龍の着物は重いのだ。龍以外には簡単には運べぬのだぞ?我は、維心が破邪の舞いを舞う時に、維月を維心から任されて、それを知らぬで運ぼうとしたが、気を使っておるのに重過ぎて堪えられぬでな。最後まで運べなんだ。それを見兼ねた義心は軽々運んでおった。我がそこまで難儀したのにこやつ、後で忘れておったとか申して。」
焔が、言った。
「誠か。主なら気を使えば山でも簡単に崩すのに、維月一人を運べぬと?」
炎嘉は、頷いた。
「嘘など申しておらぬ。だったら主、今持ち上げてみよ。無理であるから。」
今?!
維月がやっと落ち着いたのにとぎょっとしていると、焔は立ち上がった。
「維心にできて我にできぬことなどないわ。」と、維月に手を掛けた。「…お?何ぞ龍の着物は。どこを持つのだ、帯はどうなっておる?」
炎嘉が、苦笑した。
「であろう?飾りが多うて何が何だか分からぬから、持つ事すらままならぬのだ。」
焔は、それでもキョロキョロしているので、維月は仕方なく言った。
「焔様、違いますのよ、こちら。そうですわ、反対側はこちらを掴んで頂いて。」
焔は言われるままに維月を掴むと、フンッと力を込めた。
ちょっと浮き上がったが、すぐに床へと降ろした。
「…なんだこの重さは?維心、このまま持ち上げてみよ。」
維心は、うんざりした顔をしながらも、横から軽々維月を持ち上げて見せた。
「こう。座ったままでも持ち上がるわ。」
炎嘉が、笑った。
「だから言うたではないか。妃の逃亡対策と、誘拐対策らしいぞ。」
箔炎が、言った。
「知らなんだ。昔から龍に嫁いだら宮から出るなどなかったが、このせいだったのではなかったのか。皆忠実に仕えておるのではなく。」
維心は、ムッとして言った。
「別に逃亡対策だけではないわ。龍王妃とにもなると誘拐のリスクが高いゆえ、こうして対策をとっておっただけよ。」
志心が、ため息をついた。
「まあ、どこの宮でも妃にはこれでもかと着飾らせて、己の財力を誇示するのと同時に妃の逃亡対策を施していたのは確か。とはいえ、やり過ぎとは思うがな。」
焔が、頷いた。
「今はそこまでではないしなあ。ただ美しいから飾っておるだけで。」
着物一つでここまで会話を広げられるなんて凄いなあ。
維月は、思って聞いていた。
そこへ、鵬が疲れた様子で来て、膝をついた。
「王。月の宮より蒼様、杏奈様お着きでございます。」
やっと来たのね。
維月がそちらを見ると、蒼と杏奈が並んで歩いて来るところだった。




