皇子
維心がさっさと政務を終わらせて昼過ぎに月の宮に渡って維月の部屋へと入って行くと、維月は空を見て何かを話していた。
こういう時は、十六夜と話しているのだ。
維月は、維心に気付いて振り返った。
「維心様、お早いお越しですこと。」と、維心の手を取った。「十六夜と話しておりましたの。」
維心は、頷く。
「だと思うた。何かあったか?」
それには、十六夜が答えた。
《まあなあ、別の宮のことだ。維月が気にしてるから、オレも見てたが昊ってのは小さいのにかなりズバズバ物を言う皇子だなって。》
維心は、眉を上げた。
「昊?那佐の皇子か。会うたことはないが、かなり手の掛かる皇子なのだと那佐から聞いておる。」
渡のことを那佐と呼ぶことには皆慣れている。
前世の知り合いだと、こうなるのは仕方がないのだ。
維月が言った。
「はい、私も月から見ておりますが、渡様そっくりのご容姿であられて、最近ではよう訓練場にも出て真面目に励んでおられて。とはいえその、ご気性は…かなり、お強い様子で。」
維心は、顔をしかめる。
「まあ、那佐とて前世はかなり激しい気性であったわ。戦い以外は興味もない様であったし、若い頃は回りが避けるほど荒かった。恐らく継いでおるのだろう。して?昊は那佐に口答えでもしておったのか。」
だとしても、今の那佐なら軽く流しそうだが。
維心が思っていると、十六夜が言った。
《いや、渡にではなく美穂にだ。》維心が目を丸くすると、十六夜は続けた。《ほら、籠もってるだろ?宮の仕事もせずに。あいつは渡に見捨てられると最近真面目になってたようで。そんな自分の努力とは違い、美穂が籠もっていつまでも拗ねてることに怒って叱責っての?やったんでぇ。そりゃあ母親に対するような言い方じゃなかったぞ。もうなんか、まんま渡が怒ったみたいな。まだ小せぇのによお、なんかギャップに驚いた。》
維心は、考え込む顔をした。
なるほど、昊はかなり賢しいようだ。
思えば美穂は緑翠と白蘭の子であって、志心の血筋を継いでいる。
昊はその流れで闘神として生まれ、そしてかなり頭が良いのだろう。
維心は、言った。
「…間違っておらぬな。皇子は王が滞りなく宮を回す助けにならねばならぬ。そしていつか己が継ぐ宮を、整えて治めやすいようにせねばならぬのだ。それを二十歳そこそこでやってのけるのは、かなり頭が良い証拠ぞ。例え母親であっても、間違っておったら正さねばならぬからの。昊は父親と母親を見て、間違っておるのは母親だと判断して苦言を呈したのだ。父王の手を煩わせないよう、己が悪者になることで宮を整えようとしておる。昊は正しいことをやっておる。」
確かにそうだけど。
維月は、言った。
「ですが維心様、言い方というものがございます。あのご様子では、美穂様はますます意固地になってしまわれますわ。それを案じておりましたの。」
十六夜が続けた。
《そもそも渡自身は全然気にしてなくてよ、毎日公明のとこと箔炎のとこに出掛けて行っては立ち合いやって、宮に帰ってまた軍の指南やってって、毎日忙しい。別にどうでもいい感じだ。》
維心は、ため息をついた。
「そも、どうでもいいというのが問題ぞ。宮の中は妃に任せて放置の性質な那佐が、そうして外回りばかりなのは分かるが、宮の中はどうなのだ。美穂が嫁いでせっかくに上手く回っていた宮が、また乱れておるのではと案じられる。昊はその様子でもかなり賢しい奴なようだし、となると宮を見過せなくて母親に談判に参ったとしてもおかしくはない。」
言われて、維月は十六夜の方を見た。 十六夜も、こちらを見たようだ。
十六夜は、言った。
《…言われてみたら。だが、形はできてるから、臣下がなんとか回してるけどな。このままだと、段々に乱れるのは目に見えてると言われたらそうだ。》
維心は、頷いた。
「ならば昊がキツく美穂に申したのも道理ぞ。こちらが口出しすることではない。様子を見よう。また、那佐に会合の時にでも話は聞いておく。主らは案じることはない。」
そうは言われても。
維月は思ったが、確かに他の宮の中のことだ。
なので、黙って頷くしかなかったのだった。
渡が箔炎の宮から戻ると、もう日が暮れていたのだが最近重臣に加わった加木が出迎えて言った。
「王、お帰りなさいませ。」
渡は、頷いた。
「そうか、もう夜番に変わっておるのだの。わざわざ出迎えずで良いと言うてあるのに。」
加木は、頷いた。
「はい。それは聞いておりますが、しかしながらお伝えしておかねばならぬことがございまして。」
渡は、また面倒かと顔をしかめた。
「なんぞ。何があった。」
加木は、答えた。
「昊様が。美穂様に叱責なさるようなことを仰ったと乳母から報告がありまして。我ら、誠にその通りであると、王のお耳に入れておいた方がよろしいかと。」
昊が?
渡は、歩き出した。
「聞こう。話せ。」
加木は、渡について歩きながら、乳母から聞いた昊の言葉をそのままに渡に伝えた。
そして、言った。
「我ら、黙っておりましたが最近の美穂様のご様子は目に余ることかと。志心様や翠明様の手前、面倒が起こるかと堪えておりましたが、昊様まであのように思われるということは余程のこと。このままでは、最上位であるこの宮が、他の宮から貶められる可能性がございます。せめて正妃ではなく妃として、扱われる方が良いのではと臣下一同思うておりまして。もちろん、王がお決めになることであるので、これよりは申しませぬが、それでも一度王にはご一考をご報告致しました。」
渡は、険しい顔をした。
…昊がの。
渡は、回廊の窓から見える庭へと視線を移しながら思った。
あの、いくら言っても勉学などには見向きもしなかった昊が、ここのところは必死に学んでいるのだという。
訓練場にも小さい体でやって来て、渡に何度も立ち向かって来るのには、急にやる気になりおってと思っていたが、そういう事だったのだ。
昊は、まだ二十歳そこそこの歳で宮がなんたるか、どう回すべきなのかを気取り、美穂に苦言を呈したのだろう。
恐らく志心の血がそうさせるのだろうが、かなり賢しい皇子のようだ。
渡は、加木に言った。
「…まあ、我が面倒だからと放置しておったのが悪いのだ。とはいえ、一度引き受けたからには本神が帰ると言わぬのなら最後まで面倒を見るのが筋だと思うておる。確かに、皇子を生んだからと正妃に据えたが、早かったのやも知れぬの。一度話してみる。務めを果たせぬようならば、妃として降格しよう。それで主らは納得するのだの?」
加木は、ホッとした顔をした。
「はい、王よ。宮の事をお考えくださり、誠にありがとうございまする。」
渡は、頷いたが気が重かった。
ここ数ヶ月顔も満足に見ていない美穂と、話をせねばならぬのだ。
しかし、臣下や幼い皇子にまで気を遣わせるようでは宮が乱れる。
渡は仕方なく、重い足取りで王の居間へと戻って行った。
居間へ入ると、侍女達がわらわらと出て来て急いで渡の甲冑を解き、部屋着に着替えさせようと渡を囲んだ。
渡はいつものように棒立ちになったが、よく考えたらこれも本来妃の仕事だった。
とはいえ、美穂を迎えるまでは勝手に侍女さえ使わず着替えてしまったりして、着付けがボロボロでも気にも留めない様子で過ごしていたのだ。
それが、最上位となって常に誰がいきなり来ても大丈夫なようにと、こうして侍女が我先にと出て来て、渡に自分で着替えないように気を遣うようになった。
それも、美穂が嫁いでからは落ち着いていたのだが、今またこんなふうになっている。
結局、なんのための妃なのだと、臣下が思うのも道理なのだ。
着替えを終えて、侍女達が渡に頭を下げるのを見て、渡は言った。
「…ここへ美穂を呼べ。」
侍女達は、驚いたように顔を上げたが、慌てて頭を下げた。
「はい、王よ。」
そうして、侍女達は慌ててそこから出て行く。
渡は、嫌な事を言わねばならぬなと、ため息をついたのだった。




