日常
今の神世は、光と闇が手を取り合って地上を守り始めてから二十年近く、安定して回っていた。
人世も、地上の中でただ一か所だけ残っていた武力で戦う場所が一掃されて、今は近代的な都市が築かれつつあり、本当の世界平和というのが成し遂げられたと、皆が戦争が終結したその日を祝うようになっていた。
地上の霧は、いい具合に悪さをしない程度が漂い、欲が残って発展に貢献している。
闇の王と呼ばれているルシウスも最近は、十六夜に言われなくても上手く霧を調節してしまうので、十六夜は楽だったが、面白くない。
何やら、存在意味を問われているような気になってしまうのだ。
維月と二人で月の宮に降りている時も多いのだが、その日も十六夜は、部屋でむっつりと窓枠に肘をついて、空を見上げて言った。
「…なんでぇ。あっちこっちオレが出る幕ねぇじゃねぇかよ。」
維月が、傍のテーブルの上に、庭で摘んで来た花を飾りながら、言った。
「何よ、また?いいじゃないの、あちこち頼むから、もう頼まれる前にやっとこうって思って、あちらは気を遣ってくれておるのよ。あなたが疲れたからちょっと半分ぐらい担ってくれとか言ったからでしょ?ルシウスは律儀なんだから、そんな事言ったらやるわよ。」
十六夜は、ハアとため息をついた。
「もう暇になったしやるのによお。ま、いいけど。」と、維月を振り返った。「なあ維月、温泉行かね?ルシウスがサイラスのとこに新しい温泉掘ったって言ってたぞ。マキシミリアン達が風呂好きだから、この際大浴場を作ったらしい。天井を空洞にしたらしいから、空が見えるぞ。」
維月は、笑って答えた。
「知ってる。掘ってる時私がお父様に場所聞いて掘ったから。でも、混浴じゃないわよ?女は私だけだし、たった一人は寂しいなあ。」
十六夜は、言った。
「だったらどうせ、オレと闇は一緒に風呂なんか浸かったら大変な事になるから、闇だけお前んとこ入るか?オレは別に一人でも。」
維月は、え、と目を丸くした。
「え、一緒にお風呂も入れないの?」
十六夜は、渋い顔をした。
「いや、入れるんだがお互いの力がぶつかり合って、風呂の中が大変になるんでぇ。つまり、オレはオレを守るためにオレの回りを囲むだろ、闇は自分を守るために自分の回りを囲む。その力が接したら爆発が起こるかもしれねぇし、ただ風呂の湯が沸騰するだけかもしれないし。」
維月は、ますます目を見開いた。
「どっちにしろ大変じゃないの!爆発しなくても茹で上がっちゃうわ!そうね…だったら、維心様もお誘いしようかしら。私は、女湯を閉鎖して闇達と入る。あなたは維心様と男湯ってことで。」
十六夜は、顔をしかめた。
「こら。いくら何でも維心が良い気するはずないじゃねぇか。オレは気にしねぇが、お前が闇達と裸の付き合いって。」
維月は、むっつりと言った。
「…確かにそうかしら。でも、本当に維心様とは、仲良くしてるのにこの二十年近く、体の関係はないのよ?もう、十六夜と同じような感覚になられたのかなって思うくらい。」
十六夜は、それには目を細めて、言った。
「…そう思うか?」
維月は、え、と眉を寄せた。
「どういう事?」
十六夜は、続けた。
「お前はさ、もうちょっと維心の努力を考えてやれ。あれだけ毎日毎日やってたやつが、この二十年だぞ。すごくないか?オレは凄いと思うぞ。で、お前はオレとはやってるわけだから不公平だよな。」
維月は、十六夜を咎めるように見た。
「もう!大きな声で言わないで。私は陰の月だから、新月にはどうしても身を持て余すの。ルシウスは、私達のように体の関係に拘りがないから良いけど、後がややこしいからどうしてもならオレにしとけって言ったのはあなたじゃないの。お父様も後からややこしくなるからやめておくって仰ってたし…。」
十六夜は、息をついた。
「仕方がねぇだろ、オレしかお前の責任なんかとれねぇんだしよ。全く陰の月の力が通らねぇのはオレだけだろうが。オレは別にどっちでもいいんだぞ。知ってるだろ。」
維月は、それには仕方なく頷いた。
「分かってる。でも…維心様が、全く誘って来られないんだもの。あのかたをこっちから誘うなんて、そんな勇気のある女が世の中に居ると思う?」
「居るならお前だろ。」十六夜は言った。「新月の時に維心に来てもらったら、多分陰の月ががっつり出てるから抵抗なく誘えるぞ?」
維月は、困ったような顔をした。
「…そんなことして、維心様の誠意を踏みにじってしまわないか心配で。せっかく、ああして月の眷族の考え方を身に付けようとなさっているのに。陰の月は、抵抗されたら力を使ってでもその気にさせちゃうから、維心様の意思は関係なくなっちゃうのよ。それが維心様の望みなのか、そうでなかったのか、分からなくなってしまうの。だから、できないわけだし。」
十六夜は、言った。
「そこんとこ、また話し合っとけ。というのも、維心の最近の…なんていうか、我慢してる感が半端ないんだよな。オレから見ると。」
維月は、え、と目を見開いた。
「どういう事?私は何も感じないけど。感じたら二つ返事でオッケーしてたし。」
欲を司ってるはずなのに。
維月がびっくりしていると、十六夜は首を振った。
「だから言っただろ、あいつは努力で何とかしたの。あいつがその気になってできねぇことはねぇから、お前に気取られないように、向こう出て来る前にしっかり自分に術を掛けて抑えてるんだっての。分かってやれ、頑張ってるんだって。多分。」
多分て。
維月は思ったが、維心がそこまでして頑張ってくれているとは思わなかった。
だったら、一度話しておかなければならない。
「…分かったわ。その時、十六夜とのことも話しておいたほうが良いよね?だって、こうなる前はもう、何もなかったんだもの。」
十六夜は、渋い顔をしながら頷いた。
「そうだな。オレはマジで今はどっちでも良いんだけどよ。あいつがそれで何か言うようだったら、ちょっと考えたらどうだ?まあ、言わねぇと思うけどな、今のあいつなら。ほんとならお前、陰の月全開だったらあっちこっち月替わりで行ってやっててもおかしくないわけだからよ。オレだけなんだからお前なりに考えてたって分かるから、何も言わねぇよ。それともお前、他でやって来てねぇだろうな。」
維月は、ブンブン首を振った。
「だから!私は陰の月だけどちゃんと守るところは守ってるの!それに…」と、下を向いた。「まだ維心様と離縁したわけじゃないでしょう。何もないとはいえ、あの方はこちらへ月に数回は通って来られるのだし。表向きは、そういう関係が継続してると皆、思ってるわ。維心様に恥をかかせないためにも、私はあっちもこっちもなんて、できないわよ。」
十六夜は、ため息をついた。
「だな。まあ、お前らがもう、夫婦に戻れるかどうかは、話し合いで決めたらどうだ?もうあれから二十年近く経ってるし、あの頃から心持ちも変わったんじゃねぇのか。」
維月は、息をついた。
「そうね。でも、龍の宮に帰るかどうかはまだわからないわ。公にはまだ龍王妃だから、何かの行事の時には一緒に出席しているけど、やはりあちらも片手間にできるお仕事じゃないし。陰の月のことも、陰の地もやらなきゃならないから、私今、結構忙しいの。段々に落ち着いてはいるけど…これまでのように、十六夜に全部任せてってわけにはいかないものね。」
十六夜は、頷いた。
「それはそうだが、ルシウスがお前の代わりを担えるようになってるからな。オレは今、楽になってるが、それを元通りにしたら良いだけだ。お前の分をルシウスに振り分けたら問題ない。お前次第だと思うぞ?」
私次第…。
維月は、考え込む。
思えば、確かにそうなのだ。
ルシウスが慣れて十六夜とも上手くやっているし、意思疎通ができている。
結局、維月があちらに帰りたいと思うかどうかなのは、維月にも薄々分かってはいたのだ。
…また、龍王妃として維心様のお側に仕える。
維月は、そんな自分が想像できなくなっていることに、気付いた。
…どうしたいのかしら。
維月は、庭を眺めながら、考えに沈んだのだった。