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源氏将軍家

 源氏将軍家という呼称は余り使われませんが、源頼朝から源実朝に至る鎌倉幕府の三代の将軍に関して、他に良い呼称が見当たらず、源氏将軍家とここでは呼称しています。

 家格というものがあります。

 

 この辺りは時代によって変遷があり、又、保元の乱から承久の乱に至るまでや、南北朝時代や戦国、織豊政権時代といった戦乱の時代においては、家格の乱高下が起きています。

 更に言えば、当時、自分の家格を当人たちはどう考えていて、又、周囲からどう見られていたのか。

 憶測も多々入ることになり、論者によって色々と違う主張が為されたりもします。


 例えば、(源頼信から源実朝に至る)源氏将軍家の最終官位から、私なりに源氏将軍家の家格を考えてみます。

(尚、敢えて職務は基本的に考察から外しています。

 何故ならば、官位は十二分に昇進しても、職務を務める人材は別にいることから、その人が異動しない限り、職務に付けないというのは、よくある話だからです)

 河内源氏の祖となる源頼信は従四位上、源頼義は正四位下、源義家も同様です。

 務めた職務も少し考えあわせる、この頃の源氏将軍家の家格は、受領層の中では上位の家格といったところでしょうか。


 しかし、源義親の濫行や一族の内紛によって源氏将軍家の家格は下落し、源為義になると従五位下に止まり、源義朝は正五位下(平治の乱で一時的に四位になっていますが)で終わりました。

 この頃は、武家の棟梁と言えば、源氏将軍家(?)では無く、平家、それも平忠盛から平清盛へいう時代と言ってよく、平忠盛は正四位上にまで昇っていて、平清盛にしても平治の乱勃発時点で正四位下にまで昇進していました。

(もっとも、この頃に武家の棟梁なんてあったのか?

 とツッコまれれば、その通りとしか言えないのも、又、一面の真実です)


 そして、保元、平治の乱で躍進することになった平清盛は従一位太政大臣にまで昇りつめますが、以仁王の挙兵から壇ノ浦の戦いに至る源平合戦は、平家を滅亡させて、源頼朝が武家の棟梁といえる立場となり、源氏将軍家といえる存在になります。


 源頼朝は官位は正二位にまで昇り、征夷大将軍になり、又、権大納言兼右大将にもなりました。

 源頼家も若死にしてはいますが、正二位にまで昇り、征夷大将軍になっています。

 いわゆる公卿は基本的に従三位以上に限られますが、正二位にまで昇ったということはそれ以上で、完全に大臣級の官位ということになり、更に源頼家は22歳の若さで正二位になっています。


 これが如何に破格かというと。

 同時代に清華家の家格が成立していたか、となると疑問があるようですが、この頃に後に清華家、久我家の祖になる源通親が22歳の時は正四位下(正二位になったのは40歳)、三条家の祖である藤原実房が22歳の時は従二位(正二位になったのは24歳)等ということからすれば、源氏将軍家は清華家よりも若くして上位の官位が与えられていることが分かります。


 そして、源実朝に至っては21歳で正二位に昇進しています。

 職務としては、右近衛中将、美作権守に過ぎませんが、官位からすれば完全に大臣級です。

 こうした背景、自身が高位に上っていたことから、源実朝は実子に恵まれない現状を考えあわせて、皇子を将軍に就けようと考えるに至った。

 更に、こうした現実から、摂家に准じる家格に源氏将軍家は昇っていたといえることから、後鳥羽上皇も源実朝らからの皇子を自らの養子に迎えたいという要望に同意する事態が起きたのではないか、と私には考えられてならないのです。


 更に言えば、こうした源氏将軍家の家格上昇が、鎌倉幕府の将軍に摂家将軍、親王将軍を生んだのではないか、とも私には考えられてなりません。

 征夷大将軍になるには、それなり以上の家格を持つ皇族や摂家の家で無ければならない、そういった意識が鎌倉時代に涵養されていったのでは、と私は考えます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 征夷大将軍という役職自体、元々はそう格が高かった訳でも無いので、源氏三代が思いっきり家格を上げた事により、摂家や宮家出身者が征夷大将軍になる道筋を付けた、というご意見、納得です。 [気にな…
[気になる点]  源氏三代の家格が他の武家から突出し過ぎたせいで二代三代が若年だった事もあり結果として看板将軍みたいになって家宰ぐらいの立ち位置の北条が暗躍する土壌になったと思うと上方の“位打ち”はあ…
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