第97話 あなたに寄り添えたなら
「キク科のアレルギーがなければ、殿下もカレンデュラティーいかがですか? 眼精疲労に効きますよ」
「もらう。最近は特に疲れやすくて……」
ティーカップに指をかけながら、アーヴィンは眉間を揉んだ。
王太子としての通常の公務に加えて、立て続けに起こる事件への対応に日々追われている。
そして、また新たに騎士団の問題が浮上してしまった。そのうえ、ここ数日は国王と王妃も不在だ。
巫女の国の玉座を降り、精霊が多く住む森の中で隠居している、メリッサの父母に面会しに行っているらしい。
普通の人間は立ち入れないような神聖な森で、やっと訪問の許可が出たとのことだ。
今回の事件に関することで、確認したいことがあるらしい。
この状況で、国王が城を離れてまで知りたい情報というのなら、よほど重要なものなのだろう。
そして、アルフォンスがいるとはいえ、城に残ったアーヴィンは完全にオーバーワーク状態となった。
まつ毛が長くて分かりにくいが、うっすらとクマができてしまっている。
このような非常時に仕事を分担し、助け合える兄弟がいないことは痛いだろう。
側妃や兄弟が多ければ、王位継承権争いなど、別の問題も生じるだろうが。
(あんまり眠れてないんだろうな。もっと私に聖女の力があったら……)
中途半端な立場のアリアについても、悩みの種であることから、申し訳ない気持ちや、やるせない思いが積み重なっていく。
聖女であるスズに求めている内容が、『ブラックだ』と初対面で糾弾したため、さらに罪悪感がある。
「なんだ?」
見つめ過ぎたせいか、アーヴィンが居心地悪そうに瞳を揺らした。
「いえ、本当にお疲れですね。当然の状況ですけど……」
「まぁな。仕事は増えたが、新しい可能性が見つかったことは、良しと考えるべきだろう。ただ……、こんな時、ニールたちの父親がいてくれたら、とは思ってしまうな」
「あの倉庫を使っていた方ですよね? マーリン様のお父様と一緒に……。今はどちらに?」
「勝手に話すのは気が引けるが……。彼らも隠してるわけじゃないから、情報共有として伝えておくな」
アリアが神妙な顔で頷くと、アーヴィンは軽く目を伏せながら話を続けた。
「行方不明なんだよ。ニールとニーナの父親と、マーリン殿の両親が……。姿を消してから、もう八年が経つ。あの実験室も、ほこりが溜まってただろ?」
アリアは、自身の手が急速に冷たくなっていくのを感じた。
「…………リラが薬瓶を持ってきた時、私が話そうとして中断してしまったことを……覚えていらっしゃいますか?」
「あぁ、もちろん」
「私の両親も行方不明なんです。は、八年前から――」
リラとアレクに打ち明けた時のように、冷静でいられると思っていたが、声が震えて視界が滲む。
(こんなつもりじゃなかったのに……)
こちらの世界に来てから、自分が脆くなってしまったように思えて、アリアは不安を覚えた。
「…………辛かったな」
アーヴィンがアリアの手を握ると、ぽぉっと温かくなってくる。その行動に甘さはなく、ただただ、彼女の心に寄り添うような魔法だ。
両親を思って泣いてしまうと、ひどい時は一、二時間以上、断続的に涙が流れるため、できるだけ泣かないようにする癖が十代の時についた。
嗚咽は出ず、表情も変わらないのに、壊れた蛇口のように涙だけが頬を伝い続ける。
泣くことはデトックスになるとの説もあるが、アリアには向いていなかった。かえって、心が揺らぎ、しばらく不安定になってしまうのだ。
涙と鼻水で湿ったティッシュでゴミ箱をいっぱいにしていく姿は、あまり人に見られたいものではない。
幸い、今まで誰にも見られたことはなかった。
だから、いつもは涙が止まるのを、ひとりでぼんやりと待ち続ける。
しかし、今日初めて、アーヴィンに見られてしまった。
ほんの少しだとしても、恋心に近いものを抱いている異性に見られるとは、何ともやるせない。
「すみません。さっき泣いたから、変なスイッチが入ってしまったみたいで……」
アーヴィンがゆっくりとアリアを抱き寄せると、アリアの膝の上にいたサンが苦しそうに身じろぎする。
今までも、転びそうになったところを抱えられたりはしたが、こんなに彼と密着したのは初めてだ。
空気を読んだロードが、サンをどこかに連れていった。「褒メテ」と、あとで催促されるかもしれない。
二人の姿が見えなくなったところで、抱きしめるアーヴィンの力がさらに強くなった。
しかし、アリアは緊張するどころか、なぜか安心して体が緩んでいく。彼の肩口に額を寄せると、眠ってしまいそうなほど心地が良い。まるで、温めの湯船に浸かっているような気分だ。
それでも、まだ涙は溢れてしまう。
指で目を擦ろうとすると、その手を止められ、目尻の涙を唇で吸い取られた。
その上、あろうことか、頬骨あたりを猫のように舌先で舐められた。
「な……っ」
「擦ると傷がつく」
「衛生上、かえって良くないだろう」「そんな間柄じゃない」という考えが、頭のすみに浮かぶが、驚きすぎて言葉にならない。
「驚いて、涙止まっただろ?」
たしかに止まりはした。しかし、もっと違う方法もあっただろう。
アリアは、のぼせたように真っ赤になりながら、アーヴィンの両肩を押して距離を取った。
彼の行動にも驚いたが、何よりも、それが嫌ではなかった自身に困惑する。
アーヴィンに対する気持ちは、どんなに淡くとも恋愛感情だとは思う。しかし、ここまでしたいという感情を抱いたことはなかった。
(でも、嫌じゃなかった……)
それでも、恋愛経験が少ないアリアにとっては刺激が強すぎる。
それに、関係がはっきりしない状態で、このような接触は良くないという思いもある。
アリアが距離を取ろうとしても、アーヴィンはまだアリアの頬を撫でようとする。
お互いに緩い力で攻防していると、ノック音がした。
魔導師の塔に繋がるガラス扉へ視線を向けると、マーリンが意地の悪い顔で楽しげに笑っている。
「お邪魔しましたか?」
「そうだな」
照れも焦りも含まない声で、アーヴィンが短く答える。
その言葉を聞いたアリアは、首を痛めそうな勢いでアーヴィンに視線を戻した。
ぽかんとした表情で見つめてくるアリアと視線を合わせると、彼は吐息だけで笑う。
「お楽しみのところ申し訳ありませんが、食堂として機能するところまで進みましたので、インテリアなどを確認していただけますか?」
アーヴィンの突拍子もない行動のあとでは、マーリンが常識人に見えてしまう。
「……そちらが最優先だな。――貴女の心に、少し近づけたようで嬉しかった」
そう言って、アリアの頬を軽くつまむと、彼は微笑しながら立ち上がった。
そして、何事もなかったように、紳士的に手を差し伸べる。
(スズさんとおそろいのラピスラズリ、今もつけてるくせに……)
アリアはアーヴィンを軽く睨みながらも、エスコートに応じた。
お読みくださり、ありがとうございました。
二人の距離が少し縮まった回になったのですが、「アーヴィンの行動、パートナーや両思いじゃない限り、現実だとアウトだよなぁ」と思いながら執筆していました(・_・;)
フィクションで、一応、両片思いな二人なので、ここはひとつ緩く見守っていただけると……m(_ _)m
次話は、食堂(元倉庫)へ場面が移ります。
また、お付き合いいただけますと幸いです。




