第83話 リラの薬瓶 1
翌朝、控えめなノックの音で、アリアは目を覚ました。
アリアの膝に座るようにして眠っていたロードも、羽と足をぐーっと伸ばしている。
どうやら、ロードを抱きかかえたまま椅子で眠ってしまったようだ。
何重にも施錠された鍵がひとつずつ開けられると、そっと室内を覗くリラと目が合った。
「アリア樣、もうお目覚めでしたか?」
「あ、いや、椅子に座ったまま寝落ちしちゃったみたいで。ロードが温かくて、つい」
「ロード、アリア様のお部屋にいたの? ダメじゃない。ちゃんと殿下の部屋に戻らないと。……殿下が心配してたよ?」
ロードは無言で、コクンと頷いた。
「もう!」
「リラ、体調はどう?」
「昨日はご迷惑をおかけいたしまして、申し訳ございません。この通り、回復いたしました」
「そう、良かった」
「ヨカッタネー」
「ロード、どうして話してるの? あなた、ずっと私たちに隠してたでしょ?」
「ヤッパリ、キヅイテタ?」
「殿下もアレクも知ってるわよ。でも、ロードが隠したがってるみたいだから、そっとしておいたのに。どうして、今になって……」
「オヒメサマト、オハナシシタカッタカラ」
「お姫様って、もしかして」
「オヒメサマハ、オヒメサマデショ? ネー?」
まだアリアの膝の上にいたロードが、顔を上げてアリアに同意を求めた。
「……そうだね」
アリアは困りながらも肯定し、ロードの背中を撫でる。そして、リラのほうを向いて苦笑した。
「なんかね、ロードの中では、私はお姫様らしいの。そんな柄でもないんだけど」
「いえ、そのようことは決して……」
「ありがとう。気を遣わせてちゃったね」
「オヒメサマハ、オヒメサマナノッ!」
「うん、そうだね。私はお姫様なんだよね?」
「ソウダヨ」
そのやり取りを聞いて、リラの顔色が悪くなっていく。
「リラ? 大丈夫?」
「あ、はい! 失礼いたしました。何でもございません」
「本当に大丈夫? 今日もお休みしたほうが……」
「いえ、大丈夫です。私がアリア様のお世話をさせていただきたいんです」
そこまで言われてしまっては無下にはできない。
その会話を聞いていたロードは、アリアの膝からテーブルに飛び移ると、羽をパタパタと小さく広げながらリラに尋ねた。
「ナンデ、リラハ、オヒメサマッテ、ヨバナイノ?」
「私もアレクも、アリア様って呼んでるのよ」
「ソウナノ? ドウシテ?」
「お名前をお呼びするほうが良いでしょ? ロードは、メリッサ様やシェリル様のことを何てお呼びしてるの?」
(メリッサ様とシェリル様と話してること、リラも知ってたんだ)
「メリッサ、シェリル」
「呼びすて……」
ロードの答えに、リラが額を押さえた。
「ダッテ、ソレデイイッテ、イッテタモン」
「そう……」
王妃たちが許可しているのだから、リラもそれ以上は踏み込めない。
「ジャー、オヒメサマハ、アリア?」
「うん、それで良いよ」
「デモ、トキドキハ、オヒメサマッテ、ヨンデイイ?」
「良いよ」
「ヤッター!」
アリアが了承すると、ロードは翼を大きく広げながらクルクルと回る。どうやら、喜びの舞らしい。
アリアがそれを見てクスクスと笑っていると、リラが急に慌て始めた。
「アリア様、申し訳ありません。先にこれをお伝えしなければいけませんでした」
「なあに?」
「これを……、見ていただけますか?」
リラは厚手の布に巻いた薬瓶と、銀製のフィンガーボウルを机に置いた。
薬瓶は蓋もガラス製の遮光瓶。現代の日本では、おしゃれな雑貨扱いになっているデザインだ。
「――銀が変色してるね。この薬瓶は?」
「昨日、寝込んでいる時に宮廷医が持ってきた薬湯です」
「飲んだの!?」
「いえ、あとで飲むから置いておいてくださいと伝えて、医師が退室した後に瓶に移して、空になったカップを返しました」
「匂いを嗅いだり、中身に触れたりしてないよね?」
「はい。移し替える時も細心の注意を払いました。ただ、匂いに関しては、あまり気にならないと申しますか、ほとんどしなかったように思います。目や喉への刺激もありませんでした」
「そう……。揮発性じゃないのかもね。でも、念のために窓開けるね。あと、マスクとゴム製の手袋、厚手のビニールぶくろと新聞紙。それから、新しい銀製の器とスプーンもらえるかな?」
「すぐにお持ちいたします」
「あ、待って! ……殿下にも、ここへ来てくださるように伝えてくれる?」
「かしこまりました」
アーヴィンと会う心の準備が、まだできていないなどと言っている場合ではない。
リラは廊下に出ると、しっかりと鍵を閉めてから走り出した。
「ロード、危ないから外に出たほうが良いよ」
「アリアガ、アブナイコトスルナラ、オレモココニイル」
「じゃあ、このテーブルから一番離れた窓枠にいて」
「ワカッタ」
しばらくすると、ドアを小さくノックする音が聞こえてきた。
「リラ、手が塞がってるのかな」
そう呟きながらドアを開けると、そこに立っていたのはリラではなくアーヴィンだった。
(たしかに、呼んでとは言ったけど。リラより先に来るなんて……)
「今、ドアの外を確認してから開けたか?」
「いえ、リラだと思い込んでいて……」
「本当に気をつけて」
「すみません」
「いや、別に謝らなくても。……俺こそ、ちゃんと謝らないといけないと思って。その……、この間のこと」
「あれは……、もう気にしてませんから。大事な物にむやみに触れようとした私が迂闊だったんです。今のドアと同じです。だから、殿下は悪くありません」
「そんなことはないだろう……」
謝罪と否定が堂々巡りしそうになると、思わぬところから助け舟が出された。
「アーヴィン!」
その呼びかけで、アリアとアーヴィンの意識が窓のほうへ向いた。
そこには、よぉ! と挨拶でもするように片翼をあげたロードの姿が。
「お前、やっと話す気になったのか?」
「アリアト、オハナシ、シタカッタカラ」
「呼びすて……」
アーヴィンがあからさまに不機嫌になる。
「私が良いって言ったんですよ」
「そう、なのか。…………鷹に先を越されるとはな」
そうなのか、と言ったあとのアーヴィンの声は小さすぎて、アリアには届かなかった。
お読みくださり、ありがとうございました。
少し間が開いてしまいました。
第一章のラストが見え始めたので(作者の中では)、崩れないように、ゆっくりしっかりと積み上げているところです。
毒物事件に、アリアとアーヴィンのすれ違い。
もう少し見守っていただけますと幸いです。
次話もどうぞよろしくお願いいたします。




