第72話 ひとくち 4
厨房に着くと、腕を組んだマーリンが振り向いた。アリアが見たことがないような、ずいぶんと渋い顔をしている。
「マーリン殿、副料理長は?」
「宮廷医の指示で医務室に運ばれました。流涎と昏睡の症状がありましたが、重体ではないようです」
いつもとは異なる落ち着いた声で、マーリンは答えた。
「料理長。副料理長は、どういった経緯で倒れたんだ?」
「副料理長はオニオンスープの味見をしていたのですが、味に違和感があると言って、なかなか鍋の前から離れず……。そんなことは珍しいので私も味を見ようと思ったのですが、あいにく手が回らず」
「では、料理長はスープを口にしていないんだな?」
「はい。……それから二十分ほど経った頃、彼が頭痛やめまいを訴えたので休むようにと指示を出しましたが、すぐに意識を失ってしまいました。その時は、体調不良で味覚が鈍っていたのだろうと思ったのですが……。殿下方のご様子からして、そうではないのですね?」
「あぁ、まだ推測の段階だが……。他にオニオンスープを口にしたものは?」
料理長の目がわずかに泳いだ。
「…………マーリン様のみです」
「また……」
アーヴィンが呆れたように、マーリンへと視線を向けた。
「私が一番適任でしょう?」
「それはそうだが……。もう少し慎重になってくれ」
ため息をつくアーヴィンの袖口をアリアが軽く引っ張り、小声で話しかけた。
「殿下、素が出てますよ。料理長や他の方もいらっしゃいますけど、大丈夫ですか?」
「あぁ、それなら問題ない。今ここにいる者は信用できるし、俺の本来の話し方も知ってる」
「そうですか……」
「でも、気遣ってくれてありがとう」
耳にかかる息と、優しい声音にアリアの肩が跳ねた。
「ちょっと、殿下もアリア様もいちゃついてないで、原因を探るの手伝ってくださいよ」
「べ、別にいちゃついてなんか……!」
アリアが赤い顔で大きな声を出すと、料理長と目が合った。
「これは……、アリア様にまでご足労いただき、申し訳ございません。気づくのが遅くなりまして……」
「大変な時なんですから、お気になさらないでください。私は、おまけみたいなものですし」
普段であれば、隅々まで気を配ることができる料理長が、アリアの存在に気づかないほど参ってしまっている。
(当然だよね。自分たちが作った料理で何人も倒れて、今度は副料理長まで……)
「それで、マーリン殿。スープを飲んでから何か変化は?」
「そうですねぇ……。口に含んで二、三十分ほど経った頃から、軽い吐き気と全身が痺れる症状がわずかに出てますね」
「それを早く言ってくれ……。料理長、その鍋を見せてもらうぞ」
「は、はい。こちらです」
アーヴィンは手をかざして毒見をしてから、首を振った。
「やはり、毒物の反応が出ない」
アーヴィンがうなだれると同時に、カツカツカツと規則正しい足音が近づいてきた。
「すまんな、遅くなった」
神妙な面持ちでアルフォンスが到着すると、アーヴィン以外の全員が……、マーリンでさえも礼を取った。
そして、頭を下げたまま、料理長が一番に声を発した。
「アルフォンス様。この度の続いての失態、誠に申し訳ございません」
料理長はコック帽を震える手で握りしめた。
「気にするな……、とは言い難いが、厨房だけに責任があるわけではない。王家そのものの責任も大きい。あまり、ひとりで背負い過ぎるな。ただ、何か気になる事があれば、どんな些細なことであっても報告してほしい。今は、とにかく情報が欲しい」
「ありがとうございます。承知いたしました」
アルフォンスの言葉に料理長は涙をこらえながら、さらに腰を折った。
「……アーヴィン、副料理長の容態は来る途中で聞いた。それ以降、何か進展はあったか?」
「オニオンスープを試しに飲んだマーリン殿に、軽い吐き気や痺れの症状が出ています」
「やはり、味見をしていたというスープが原因なのか」
「その可能性が高いです。ただ、やはり魔法での毒見では、毒の反応は出ませんでした。……しかし、アリア殿が助言をくださったので、その方面から調べたいことがあります」
「ほお、アリア様が……」
「聖女様が?」
「アリア様が助言を……。それなら、解決の糸口が!」
一気に注目の的になったアリアはたじろいだ。
(いや、ここの人たちは普段から丁寧に接してくれてるけど、そんな急に聖女扱いされても困るんだけど……)
「アリア殿、厨房内にある野菜を調べてもらえるか? 私もあとで手伝いに行く」
(玉ねぎ、ね)
「分かりました」
「料理長は、アリア殿の指示に従ってくれ」
「承知いたしました。アリア様、どうぞこちらへ。お足元にお気をつけください」
アリアが離れていくのを見届けてから、アーヴィンは厨房の外へとマーリンを呼んだ。
「マーリン殿、少し話を聞きたい」
本当に体が痺れているのだろうか、と疑いたくなるようような軽い足取りのマーリンと二人で廊下の端に寄った。
「姿を消した使用人が二人いる、と報告があったが」
「見習いの料理人とメイドですね。どちらも最近雇ったばかりの人間です。一連の事件で使用人が減ったので、残った者への負担がかなり大きくなりまして。それこそ、アリア様が怒鳴り込みに来そうなくらいで。あははは」
「今は冗談はいいから」
「使用人たちの負担を減らすために、リスクはありましたが、伯爵家以上からの紹介状を持った人間だけを雇うことになったそうです。この件に関しては、執事長やメイド頭、料理長のほうが詳しいでしょうね。ただ、その紹介状を先ほど確かめたところ、偽造されたものだと分かりました」
「燃えたのか?」
「はい。かなり精巧に作られていましたよ。魔法で起こした火では燃えましたが、ロウソクの火では燃えなかった」
王家に出入りするための紹介状は偽造防止のために、水に濡れても溶けず、火で炙っても燃えない作りになっている。それが、たとえ魔法の炎であっても焦げることすらない。
「どこの家からの紹介だったんだ?」
「それが少し面倒くさいんですよ。今、詳しくご説明する余裕はないのですが……。とりあえず、本人たちにも尋問してみますので」
「生きてるのか……?」
「今のところは。生け捕りにして地下牢に繋いでいます。ただ、偽の騎士の例がありますし、いつどうなるか分かりません。話せるうちに情報を聞き出したいので早く地下に向かいたいのですが、ここを離れてもよろしいですか?」
「構わないが、毒は?」
「もう、ほとんど抜けています」
「そうか、無理するなよ。あと……、追い込み過ぎるなよ?」
「承知していますよ?」
「…………本当だな?」
ニコッと可愛いらしく笑いながら首を傾げたマーリンに対して、アーヴィンは不安しか感じなかった。
お読みくださり、ありがとうございました。
今回の「ひとくち」は、マーリンのひとくちでした。
いや、あの人の場合、ひとくちで済んでるだろうか……
次話も、どうぞよろしくお願いいたします。




