第57話 すれ違い 2
結局、私室にたどり着くまで、アリアが足を止めることはなかった。
アリアの無事を確かめたアレクは、自分はいないほうが良いだろう、と部屋には入らず、フォローはリラに任せた。
息を整えながら、アリアは少し昔のことを思い出していた。
中学3年生の時のクラスメイトに、不思議な雰囲気の男子生徒がいた。彼はアリアの家庭事情に興味を示すことも、同情することもなかった。
周囲の男子よりも大人びていた彼は、休み時間によく本を読んでいた。
その隣にはいつも、彼の幼なじみの女子の姿があった。彼女は彼を邪魔しないように、にこにこと眺めるだけ。そして時々、彼も本から目を外して彼女を見つめると、かすかに笑う。
そんな二人の様子を見ると、アリアの心も温かくなった。
あんな彼氏がいたら良いなぁ、と思ったことは何度もあった。しかし、彼の隣に自分以外の女子がいても心が痛むことは一度もなかった。
どんなに彼の雰囲気を好ましく思っていたとしても、あれを恋とは呼ばないのだろう。
胸の中をひっかかれるような痛みも、隣にいる女性を羨む自分の醜さに落胆することも、今日まで経験したことがなかった。
温室に向かう際にリラが慌てていたため、紅茶のポットなどが乗せられたワゴンが置きっぱなしになっている。
それを見て、今朝の紅茶占いのもうひとつの模様を思い出した。
読み取れた少し不穏な結果は「切り傷」だった。
しかし、紙や何らかの破片に気をつければ問題はないだろうと放っておいた。
全身を鏡で確認したところ、どこにも傷を負った箇所はない。やはり、気にする必要はない結果だったのだろう。
しかし、ふと思った。
(あぁ、そうか。傷を負ったのは体の表面じゃなくて、心の中だったのね……)
ふらふらとベッドに横たわったアリアは、ぼんやりと天蓋を見つめてから、ゆっくりと瞳を閉じた。
(目が覚めたら、全部忘れてたら良いのにな……)
翌朝、眩しさで目が覚めた。
(こっちの世界に来たばっかりの頃を思い出すな……)
顔を洗いに行くためにベッドから降りようとした時、ルームシューズの中に花びらが入っていることに気がついた。
(昨日の花びら?)
いや、それはないだろうと顔を上げると、ベッドから少し離れたテーブルに枝付きのアーモンドの花が飾られていた。
そのテーブルには毎日、リラが花を活けてくれている。
しかし、今日はいつもの陶器やガラス製の花瓶ではなく、床の間に飾るような土製の花器が置かれていた。
おそらく、桜に似たアーモンドの花に合わせてくれたのだろう。
「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿……」
思わず、日本のことわざが口から溢れた。
桜はむやみに切ると、枝の切り口から腐ってしまう。剪定するのであれば、葉がすべて落ちた冬頃だ。
同じサクラ属でも、アーモンドは違うのだろうか。
(そもそも、常に咲いてるような異世界の樹には関係ないのかもね)
そして、枝を切る切らないに限らず、昨日のことを思い出させるような花をリラが選ぶとは思えない。
(じゃあ、これは……)
「アリア様、お目覚めですか? ご気分はいかがです?」
「ありがとう。もう大丈夫……」
昨夜は、夕食頃に一度起こされたが、頭痛がすると言って食事は断った。
すると、アリアのためだけに、ミネストローネのようなスープをシェフが用意してくれたらしく、それだけはありがたく飲み干した。
宮廷医が鎮痛薬を処方しようとしたが、丁重に断り、湯浴みもせずに床に就いた。
「リラ、これって……」
アリアがアーモンドの枝を指差すと、リラが困ったように笑った。
「気が利かない人で申し訳ありません」
仮にも王太子殿下であるアーヴィンへの言い草に、アリアは苦笑した。
「そう、やっぱり……。リラは私の好み、よく分かってくれてるもんね。毎日、楽しみにしてるの。いつも、ありがとう」
「あ、いえ、そちらも……」
「……え?」
「実は毎朝、アリア様のためにお花を用意されているのは殿下なんです。そのお花に合わせて、私が花器を選んで活けておりました」
「いつから?」
この部屋に通された日には、すでに花が活けられていた。
当時は、メイドが掃除やベッドメイクをした際に、インテリアのひとつとして飾られたものだと思っていた。
「最初からです。さすがに本日のお花は断ったのですが、アリア様と約束をしていたのに、スズ様と先に見ることになってしまったお詫びを兼ねた贈り物だとおっしゃるので……。大変迷ったのですが、そのまま飾らせていただきました」
「お詫びを兼ねた贈り物……」
(これがいわゆる、『もう遅い』ってやつ?)
「本当に申し訳ございません。あの方に他意はないのですが、女心が分からないと申しますか、幼いと申しますか……」
「ふふ、ほんとね。……え、女心?」
「はい。アリア様は殿下のことを……、ではないかと」
『好き』というワードはぼかされているが、言っているようなものだ。
「え? 噓……」
「申し訳ございません。少し前からそうではないかと思ってはいたのですが、昨日のご様子で確信いたしました」
「噓でしょ!? え、じゃあ、殿下にもばれて……」
「そちらはご安心ください。私共はお伝えしておりませんし、あの人がアリア様のお気持ちに気づけるような感性を持ち合わせていれば、昨日の今日でアーモンドの花を贈ったりはいたしません」
「そ、そっか。それなら良かっ、た? ……わたくしども?」
「……はい。アレクは気づいております」
「嘘でしょー!?」
アリアの本日二度目の叫び声を聞きながら、恋愛初心者同士の恋とは、こんなにも恐ろしいものなのか……、とリラは思った。
しかし、彼女もいずれ自身の恋で叫ぶ日が来ることを、リラはまだ知らない。
お読みくださり、ありがとうございました。
「リラ、お疲れ様」と言いたいところですが、彼女もまた恋愛初心者なんです。
なんて、大変な人たちなんでしょう(笑)
「すれ違い 3」に続きます。
次話もどうぞよろしくお願いいたします。




