第46話 ふいうち 3
「そろそろ出るか……。リラをこれ以上放っておくと、アレクの身が危なそうだ」
(本当に、リラとアレクの関係っていったい……)
以前、二人は恋愛関係ではないとリラが言っていたが、パワーバランスはリラのほうが優位なようだ。
「リラには心配をかけてばかりで申し訳ないです」
「いや、今回はこの部屋に引っ張り込んだ俺の責任だし」
(今、“俺”って言った……)
アーヴィンの一人称が“私”であることは、王族として対外的なものだろうとは思っていた。
成長過程でそのように教育されたのか、成人前の男子であっても周囲から見くびられないようにと造った姿なのか――。
(いや、でも、公私で一人称を分けることは別に珍しくはないよね)
しかし、父王のために出来の悪い王子を演じるのであれば、公の場でも“僕”など幼く感じるほうが合っているような気がする。
それとも、誰を信用したら良いのか分からない世界で大臣たちを欺きながらも、その裏では先王アルフォンスにも認められるような王太子になるべく、必死にもがくなかで“私”となったのだろうか――。
父親や国を守るために造り込んだ不出来な王子と、次期国王としての責務を背負ってひたむきに努力する王太子。
そのどちらもが、確かに彼の中に存在する。
そして今、そんな彼の口から出た“俺”という言葉に対して、顔には出さないがアリアはひどく動揺している。
公私で一人称を分けているのであれば、アリアと過ごすこの時間は執務だけではなく、プライベートの範囲でもあるのだろうか。
(でも――、イジワルな時は年相応に見えるし、“俺”でも別におかしくないはずなんだけどなぁ。小説とかゲームでも一人称が“俺”の王子もわりといたし……。何でこの人には、こんな気分になるんだろ……)
たった一言で、異世界の王子ではなく年の近い男子として意識しまい、急に落ち着かなくなった。
そして、もし、素の姿が無意識に出てしまうほど気を許されているのだとしたら……と思うと、くすぐったい気持ちになる。
「……アリア殿、聞いてるか?」
「え? あ、ごめんなさい。聞いてなかった。殿下がご自身のことを“俺”って言ったことに驚いて……」
「え?……あっ?」
やはり無意識だったらしい。
「すまない。少し気が抜けていたようだ。……聞かなかったことにしてくれないか」
アーヴィンは、かぁっと赤くなった顔を手の甲で隠した。
「私やスズさんは殿下の本性を知ってますから、別に素のままでも良いと思いますけど……。殿下も、たまには肩の力を抜かないと。無意識に出てしまったということは、アレクや親しい人たちの前では“俺”って言ってるんじゃないですか?」
「確かに、アレクやリラの前ではそういう場合もあるが……。しかし、年齢が二桁になって以降は、両親や祖父母の前でさえ“俺”なんて使ったことはなかったからな……。正直、自分でも驚いてる」
「まぁ、対外的な威厳や礼儀は必要でしょうから他は今まで通りで、私とスズさんの前だけでも楽にしたらいかがですか?」
「いや、スズ殿の前でそんな姿を見せるわけには……」
(ふーん。スズさんには、子どもとして見られたくないってこと?)
アーヴィンの発言に、少しばかりモヤッとしたものを感じた。しかし今は、悩み多き王太子のストレス緩和を優先したい。
「じゃあ、私と二人きりの時ならいかがです? もう、ばれちゃいましたし。自然体でいることで殿下が気楽になるなら、私はそのほうが嬉しいですよ」
「か、考えておく。……でも、ありがとう。『肩の力を抜いて良い』なんて言われたのは初めてだ」
「別にお礼を言われるほどのことでは……」
理想の王太子になるためには、まだまだ努力が足りないと自分を責めるアーヴィンが、少しでも素のままでいられる場所が増えれば良いと純粋に思っただけだ。
そして、スズが知らないアーヴィンの姿を見れたことで、ふわふわと柔らかいような温かいような気持ちになったことには静かに蓋をした。
(きっと勘違いよ。こんな出会って間もない人になんて……。それに、私には必要ない感情だから――)
「戻ろうか」
アーヴィンに連れられ、行きと同じように小さな扉を抜けると緊張が解けた。見慣れた私室の景色にホッとする。
しかし、隠し部屋から出ても、アーヴィンはアリアのほうを見ようとしない。それに、まだほんのりと顔が赤い気がする。
「殿下?」
呼びかけてみると、アーヴィンの肩がビクリと跳ねた。
(あー、これはまだ照れてるな?)
アーヴィンの素顔を見つけてしまい、知れば知るほどに可愛いとさえ思ってしまう。
為政者としては、そんな姿を公にするわけにはいかないのだろうが……。
それこそ、アルフォンスに「脇が甘い」とでも言われてしまうだろう。
しかしアリアは、自分しか知らないアーヴィンをもっと見てみたいと思ってしまった。
(……もう! 私は日本に帰るの! だから、こんな気持ちは何の得にもならないんだから……)
アリアが額を押さえて眉根を寄せていると、足元に影が落ちた。
いつの間にか目の前に立っていたアーヴィンに驚き、アリアは思わず飛び跳ねるように後ろに下がろうとしたが、左腕を掴まれ強く引き寄せられた。
意図せず、アーヴィンの胸に飛び込むような体勢になったアリアは慌てて距離を取ろうとしたが、腕を掴まれたままでは身動きが取れない。
「あの……離してください……」
「もう少し、このままで。……体、熱いな。病み上がりに無理をさせたか?」
そう言ったアーヴィンが、アリアの前髪をかき上げる。
「いや、これはそういうのじゃ……」
(さっきまで、“俺”って言ったくらいで赤くなってた人が何してんの!?)
焦るアリアの前髪を押さえたまま、アーヴィンはゆっくりと自らの額を近づけた。
お読みくださり、ありがとうございました。
アリアとアーヴィンの節目となる回のため、毎日、推敲改稿を重ねていました。
「ふいうち 4」に続きます。
明日、明後日には投稿できるかと思いますので、次話もどうぞよろしくお願いいたします。




