第23話 異世界の地図
2023年 12月30日
第23話、改稿済みです。
どうぞよろしくお願いいたします。
どの本から取りかかろうかと一瞬迷ったが、やはり“コレ”からだろう。
『THE 聖女』
B5サイズに辞書の半分くらいの厚み。表紙はマゼンタとボルドーの間のような、鮮やかな赤紫色。そこに金色で『THE 聖女』と大きくタイトルが書かれている。
唐草模様と作物の箔押し加工の美しい装丁だ。
(稲と小麦……、かな? 豊穣の象徴みたいなもの?)
背表紙、裏表紙も確認したあとに恐る恐る開いてみると、中身はかなりカッチリとした内容だった。論文のような考証も記載された専門書だ。つまり、一読して理解できるような内容ではなかった。
(ほんとに何で、こんな軽いタイトルにしたの……。あー、『THE Saint』なら様になるのかも? いや、それもまた違うか)
やはり気になってしまうが、タイトルに気を取られている場合ではない。少しでも早く内容を理解しなければ――。
そして、三十分ほど読み進めてみたが、読めば読むほどに混乱してくる。ニュアンスは分かるが、本質が分からない部分だらけだ。
しかも、不自然にインクが滲んだように字が潰れて読めない箇所も多い。まるで、遺跡や壁画に書かれている文字を紐解いているような気分になる。
しかし、ところどころで白猫と黒猫が会話をしているようなイラストがあり、それがワンポイントアドバイス、噛み砕いた解説となっている。こうなると、資格試験のテキストや参考書のようにも見えてくる。
そして、猫のセリフはアドバイスには違いないのだが、「そのはし、渡るべからず」のような「とんち」に近い解説だ。
(この世界の感性ってどうなってるの……)
アリアは深い溜め息をついた。
しかし、あるひとつの考えが浮かぶ。
魔法が存在する国の書物。もしかしたら、読む人間によって内容が変わるのではないか……、と。
「リラ、アレク、少し良い? この本の内容、何が書かれているか分かる?」
アリアは、さわりの部分のページを開いて、二人に見せた。すると、リラが眉を寄せて首を振った。
「申し訳ございません。文字が滲んでいるような、煤で汚れたように見えて、読むことができません」
「汚れたように見えるのは、数カ所だけよね?」
「いいえ、そのページ部分のすべてです。一文字も読むことができません」
アリアは思わず、目を見開いた。
「そう、なの……? じゃ、じゃあ、アレクはどう?」
アレクは長身のため、腰や膝を折るようにして本に顔を近づけた。
「『我が求める異世界の巫女。聖なる乙女は国の危機、己の危機で訪れる。乙女が扉を見つけし時、真の力を得るであろう。』と書かれているようです」
「その文章はどの部分?」
「ここです」
アレクが最後の一行を指さした。
「そこは私が読めない部分よ。ちなみに……、猫の絵は見える?」
「いいえ」
ものすごく不思議なものを見るような視線を二人から向けられたアリアは、少し気恥ずかしくなった。しかし、すぐに気を取り直して考えを巡らせる。
「やっぱり、人によって見えているものが違うのね……。それに、たとえ読むことができても、何を指しているのか分からないと何もできない。とりあえず、『巫女』や『乙女』は、おそらく聖女のことよね。『国の危機』も分かる。『己の危機』は、聖女自身の危機っていう解釈で良いのかな……」
また、アルフォンスの言葉を思い出した。
『召喚される方は、元の世界で何かしらから逃げたい、捨て去りたいと思うことがあるように感じます。また、その内容が重いほど、比例するように聖女の力が強くなるのではいかと――』
(聖女自身の危機、ね……。また、ここに繋がるのか)
アリアは二人に悟られないように、小さく息を吐いた。
(あとは、『乙女が扉を見つけし時』か。これが一番分からないな。まぁ、古文書なんて、だいたい解読不可能なものが多いしね。調べ続けるしかないよね)
「二人は、『扉』について何か知ってる?」
「いいえ……。申し訳ございません」
二人は叱られた子犬のようにうなだれた。
「知らない」「分からない」という答えしか出せないことに、罪悪感を感じてしまったようだ。
「あ、いや、良いの良いの。聞いてみただけ! そんなにすぐに分かったら、苦労しないよね!」
アリアが明るく笑ってみせるが、やはり二人の表情は憂いを帯びている。
(うーん、困った。二人とも根が真面目で優しいんだな……)
アリアがどのようにフォローしようかと迷っていると、隣の机からカサカサと乾いた音がした。視線を向けると、広げていた地図が独りでに動いていた。
長い間しまっていてクセがついたのか、くるくると二枚とも丸まってしまったようだ。
アリアは地図が置かれた机に移動し、まずはこの国のみが描かれた地図を伸ばした。
(ずいぶんと直線的な地形ね。でも、不思議ね。海に面した場所や港が、角の数点にしかないなんて。ん? え、下が尖った正五角形……? これってまさか――)
アリアは世界地図のほうも、両手で勢いよく伸ばした。
「やっぱり五芒星だ……! こんなことって……」
正五角形の各辺に、三角形の国が五つ繋がって、ひとつの世界になっている。
そのうちのひとつは、メリッサやシェリルの母国である巫女の国だ。あとの四つについては、まだ聞いたことがない。
血相を変えたアリアの様子に、リラがうろたえた。
「アリア様、どうなさいました? 何かおかしな所でもありましたか?」
「おかしな所って……。リラたちは、この国や世界の地形を知ってた?」
「もちろんです。地理を学ぶことも教養のひとつですから」
「今まで、この地形について何か不思議に思わなかった?」
「いいえ、これといって特には……」
リラが同意を求めるようにアレクに視線を向けると、彼も静かに頷いた。
「そう……」
アリアは頭の中が真っ白になるような、かえって思考がフル回転するような不思議な感覚に陥った。
(五芒星。少なくとも三角形が陸地で五つ、海域で五つもある……)
現実世界の地球には、バミューダトライアングルというものが存在する。それは「魔の海域」とも呼ばれ、都市伝説が好きな人であれば、耳にしたことがあるだろう。
フロリダ半島とプエルトリコ島、そしてバミューダ諸島を線で結んだ三角形の海域では、飛行機や船の不可思議な失踪が多いとされている。
そして、それは、アリアが研究したかった事象のひとつでもある。
バミューダトライアングルについては「科学的に解明された」と、近年では言われている。しかし、異世界なんてものが存在するのだから、研究結果が覆ってもおかしくはない。
「何かお困りですか? アリア様」
足音ひとつ立てずに、すぐそばまで近づいていた人物に声をかけられ、アリアは驚いて顔を上げる。
すると、何とも言えない色気と怪しさをまとった、二十代半ばくらいの男性が目の前に立っていた。
中性的で美しい顔立ちに、陶器のように白い肌。緩く編まれた烏の濡羽色の髪が右肩に寄せられている。その姿は、まるで美女が男装をしているようで――。
(……誰?)
男性が身に着けている、見覚えのあるローブ。リラは少し下がって礼をとり、アレクもこの人物を警戒していない。そこから導き出された答えは――。
「イケメン魔導師団長……」
「……はい?」
スズからの情報をそのまま声に出してしまったアリアは、慌てて口を手で押さえた。
お読みくださり、ありがとうございました。




