第105話 夢見の時渡り 3
王城が近いということは、アリアの私室から見える森かもしれない。
「案外、近くにいたのね」
ほっとしていると、どこかから、女性がすすり泣く声が聞こえてきた。
(え? もう、やめてよね……)
先日、城の中で、不気味な女性の声を聞いたばかりだ。
知らないふりをしようと思うが、どうしてもその声が気になってしまう。
意を決して、声がするほうへ視線をやると、うつむき加減で泣く女性が立っていた。
しかし、それは、生きている人間でも幽霊でもなかった。
(泣き女?)
バンシーは、人の死を告げに現れる女妖精だ。
彼女たちは、もうすぐ死を迎える人の家の前で、泣いたり叫んだりするらしい。
アイルランドやスコットランドでは有名な伝承で、アリアの両親の仕事仲間からも話を聞いたことがある。
直接的に危害を加えられることはないが、幽霊とどちらが嫌かと問われると、バンシーかもしれない。
(伝承通りなら、誰かが近いうちに亡くなるってことよね……?)
ここは家ではないが、王城に隣接する森を所有しているのは王家の可能性が高い。いわば、広い庭のようなものだろう。
考えを繫げてしまうと、心拍数が一気に上がった。
(どうしたらいいの?)
話しかけても、彼女が泣き止むことはないだろう。
むしろ、かえって良くないことが起こる気がする。
せめて、口裂け女のような都市伝説なら対処方法を知っているのに……と、現実逃避のような思考が浮かんでくる。
そんな考えを打ち消していると、馬のひづめの音とガラガラと車輪が回る音が遠くから聞こえてきた。
(馬車? あれは王家の……)
馬に乗った護衛騎士たちが囲んだ馬車が近づいてくる。
(そうだ、メリッサ様たちが帰ってくるんだ。良かった。これで、また進展があるはず)
メリッサたちが帰城することに安心したアリアは、バンシーの存在を一瞬忘れてしまった。
そして、気づいた時には、馬車にいくつもの矢が刺さっていた。
窓ガラスを貫通した矢がリガードに当たり、侍女の悲鳴が森の中に響く。
アリアも騎士も、矢が飛んできた方向を警戒するが誰もいないどころか、物音すらしない。
アリアは、人の気配や視線に敏感だ。
馬車が到着するよりも先にこの場所にいたが、人間の気配はまったく感じなかった。
とにかく、まずは国王の命が最優先だと、数人の騎士を森に残して、応急処置をしながら馬車は城へと急ぐ。
帰城後、リガードはすぐに寝室に運ばれた。
アリアの意識も、彼の寝室前の廊下に飛ばされたようだ。
湯や手ぬぐいを持った侍女たちが、アリアの前を通っていくが、彼女たちはアリアの姿を認識していない。
(大丈夫。これは、まだ夢よ。現実じゃない)
震える両手を胸の前で強く握りながら、自分に言い聞かせる。
サーベルは刀身が長過ぎて、馬車の中では抜けなかった。
一本目の矢はリガードが鞘でなぎ払ったが、二本目の攻撃には間に合わず、自分をかばって負傷した、と説明するメリッサの声が寝室から聞こえてくる。
幸い急所は外れていたが、矢じりに毒が塗られていたらしい。
すぐに分析にかけたが、ブルームではあまり知られていない毒で、解毒剤を作るには時間を要した。
その間に、リカードは弱っていった。
最後のほうは、シーンが断片的に早足で移り変わっていった。
夢から覚めたアリアはガバっと起き上がって夜着を脱ぐと、ベッドの上に放った。
そして、一番早く着替えられるワンピースを頭から被る。
念の為、リラに書き置きを残しておいて、そのまま廊下を駆け抜けた。
陽が出たばかりの城内は、とても静かだ。
無作法だと彼女を咎める者はいない。
そして、こんな早朝であっても、アーヴィンは執務室にいるだろうという確信があった。
アリアの私室から、彼の執務室までそう遠くないことは幸いだ。
執務室の前で軽く息を整えたが、まだ肩が上下してしまう。
コココンッと慌ただしくノックをすると、補佐官のひとりが、何事かとドアを開けた。
「アリア様!? いかがなさいましたか?」
「殿下にお会いできますか? 急ぎ、お伝えしたいことがあります」
「……少々お待ちください」
「アリア殿か?」
驚いた顔をしたアーヴィンが、執務室の奥から出てきた。補佐官が呼ぶ前に、アリアの声に気づいたらしい。
「殿下、お話したいことがあります。お時間をいただけますか?」
「わかった。アレク以外は、少し席を外してくれ」
「承知いたしました」
補佐官たちは、アリアとアーヴィンに礼を取り、部外秘ではない書類の束を持って退室していった。
お読みくださり、ありがとうございました。
神話や妖精は好きですが、バンシーやケルピーなど、あまり会いたくないものも多いです(-_-;)
ただいま、次話を推敲中。
明日、明後日には投稿できそうです。
どうぞよろしくお願いいたします。




