第100話 隠されたカルテ 1
「アリア様、少しよろしいですか?」
食堂が上手く機能し、視察の回数も経った頃、ニールがひとりで温室へやってきた。
アリアに話しかけながら、やけに周囲を気にしている。
「はい、大丈夫ですよ。今は、私ひとりですから」
「すみません。露骨過ぎましたね」
ニールは苦笑しながら、懐からノートを取りだしてアリアに差し出した。
彼女が反射的に手を伸ばすと、ニールは驚きと困惑が混ざったような顔をする。
「やはり見えるんですね……」
「うーん、見えるといえば見えますけど……。かすれていて、読むのは難しいですね」
表紙にタイトルのようなものが書かれているが、紙が劣化して、ほとんど消えてしまっている。
「このノートが見えるだけで、十分に特別なんです。私とマーリン様以外は、見ることも触れることもできなかったので。見つけた時に、一緒にいらしたスズ様も認識できませんでした」
アリアがしっかりと持っているノートを、ニールが人差し指でトントンと叩いた。
「――防音と盗み見防止の魔法を少し強化しますね」
安全な温室の防犯をさらに強化するということは、そうとう重要な話なのだろう。
温室に透明な膜が張られ、ニールがノートに手をかざす。
すると、『メリッサ妃殿下の診療記録』という文字が浮かび上がってきた。
「え? メリッサ様の……? 宮廷医が書いたものですか?」
「いえ、私の父が密かに記していたもののようです。倉庫の隠し金庫に納められていました。……私とマーリン様の魔力を合わせなければ、扉が開かない仕組みで――」
ニールたちの父親が、あの場所で何らかの研究をしていたのなら、あり得る話だ。
「あなたの血縁者も見えないの? ニーナやお母様とか……」
「二人とも見えないとのことです。マーリン様のご両親については、今のところ調べようがありませんが……。ご存知なんですよね? 私たちの父について――」
「はい。勝手に聞いてしまってごめんなさい」
「いいえ、むしろ知っていただけて良かったです」
「そうですか? なら、良かった。……すでにご存知かもしれませんが、私の両親も行方不明なんです。同じく、八年前から」
「…………っそう、なんですね」
ニールは目を見開いて動揺した。この様子から察するに、彼は知らなかったのだろう。
(殿下たち、話さなかったのね)
マーリンやニールたちは隠していないが、アリアの事情については、本人から許可が出ていないため配慮したのかもしれない。口が固い人は信用できる。
「アリア様は、どう思われますか?」
「何か関連してるのか、単なる偶然か、ということですか?」
ニールは息を飲んで、軽く頷いた。
「どうでしょう? 今の時点では、まだ何とも。……でも、同じ境遇の人が集まったのなら、何かヒントになるものがあると良いですよね。それなら、この世界に来たかいがあります」
そう言いながら嘲笑するアリアに、ニールは縮こまった。
「申し訳ありません……」
マーリンのすぐ下、塔の副責任者ということは、転移の儀式にも当然関わっているだろう。
(ちょっと嫌味が強かったかな)
ニールの様子を見たアリアは、「気にし過ぎないで」と笑った。
さすがに、「まったく気にしないで」とは言えないが、この世界での出会いや経験が、大切なものとなっていることも事実だ。
もし、日本でリラたちに出会っていたとしたら、永く付き合いたい友人に含まれただろう。
「あの、この診療記録はどうしたら?」
恐縮したままのニールにノートを返そうとしたが、受け取ってもらえない。
「可能であれば、アリア様にお持ちいただきたいのです」
「大事なものですよね? メリッサ様ご自身か、王族の方にお渡しするほうが良いのでは?」
王妃の診療記録など、そうそう外に出して良いものではない。
「一度、中をご覧いただけますか?」
躊躇しながらも、パラパラとノートをめくって内容を確認する。
(これは……)
「アーヴィン殿下がお生まれになった頃までの記録です。お恥ずかしながら、私たちの知識では分からないことも多く……」
たしかに、この国の医学で、すべてを理解するのは難しいかもしれない。
「それから、父の筆跡で、このメモが挟まれていました。――アリア様に当てはまると思います」
『ニールへ。この診療記録は、異世界から来た者に預けなさい。医学や薬の知識があり、なおかつ、王族が信頼していることが条件だ。それから――、このノートの存在を知っているのは、ごく一部の人間のみ。王族の方々もご存知ない。これを見つけたあと、どう扱うかについては、お前たちに委ねる。頼んだぞ』
メモには、そう書かれていた。
異世界から来た者云々の前に、ひっかかることがある。
「まるで――、外出前の書き置きのようですね」
失踪、という言葉を使うのは避けた。
「そうなんです。いなくなることを予期していたように捉えられますよね」
その言葉を聞いて、不自然なほどに、両親が早い自立を促していたことをアリアは思い出した。
しかし今は、このノートをどう扱うかについて考えるほうが優先だ。
「預かるかどうかを決める前に、いくつか伺いたいのですが……。メリッサ様が、輿入れされたあとの主治医はどなたですか?」
「今の宮廷医です。マーリン様のお母様が、その補佐を。以前、巫女の力と魔力の両方を持つハイブリッドの方がいる、とお話ししたことを覚えていらっしゃいますか?」
「はい。ごく稀な存在なんですよね?」
「そうです。その中のお一人が、マーリン様のお母様です。行方不明中の――。いたずら好きなところもありましたが、お優しく、とても能力の高い方でした。今の宮廷医よりもずっと……」
(駄目だ、やっぱり嫌な予感しかしない。これ、私に扱いきれる?)
ノートの中身をざっと読んだだけでも、あまりにも重い内容だった。
(でも、たぶんこれで、メリッサ様を苦しめた原因が分かるはず)
そして、最後の確認だ、というようにアリアが問いかける。
「お母様やお父様方は、宮廷医と折り合いが悪かった……ということでしょうか?」
「…………良好な関係とは言えませんでした」
「分かりました。しばらくお預かりします。他の方には見えないかもしれませんが、念の為に、温室と私の部屋のみで閲覧しますね」
「ありがとうございます……! どうぞよろしくお願いいたします」
アリアが了承したことで、ニールは少しだけ肩の力を抜いたあと、深々と頭を下げた。
お読みくださり、ありがとうございました。
第100話、とうとう3桁です。
ここから、ラストまでに必要な情報がバラバラと出てきます。
※次話は、流産や死産についての話となります。
苦手な方はご注意ください。




