(5)
くるりくるりとノルンは回す。
くるりくるりと回るは光と闇。
くるりくるりと転がるは聖と邪。
くるりくるりと輪転するは秩序と混沌。
くるりくるりと変転するは天地万象の表裏。
くるりくるりと世界は巡る。
ノルンが回すは紡ぎ車。
紡がれるのは運命の糸。
縦糸は人の運命を。
横糸はあらゆるものを導くために。
さぁ、新しく編み上げようこの世界を。
――聖詠詩篇第二十六章の五節――
聖神教における聖詠詩篇。その中でも運命の女神ノルンに関する一部を抜粋したものだ。何故、こんなものを持ち出したかというと、我が学生時代に初めて発表した論文『スライムによる属性偏移の考察』と、それを発展させた『相対性魔法概論』の所為である。
我が生まれて初めて記述をした論文でもある。今では幾度もの改訂を行い、より高次なものへと昇華させておるものの、まだまだ満足のいくものからは程遠い。やはり世界の神秘、あるいは魔法学の深淵はなんと深きものであるのか……。
とにかくだ、最初の論文はまだ不十分かつ未成熟なものであったのだが、根源となるものは今とそう大して変わっておらぬ。
ま、この二つの論文、その内容を要約すると、今まで定説となっていた魔法属性云々の話は間違いであり、まやかし乃至は人類が抱いた妄想に過ぎないと。はっきりと言えば、人が生まれ持った属性など端から存在しないのだと断言しているのである。
我もまだ、全てを解き明かした訳ではないが、端的に言えば、魔法とは扱う者の精神性からもたらされる産物であり、想像力の限界が魔法乃至魔術の限界でもあるのだ。
当然のことながら、古来より続く魔法関連の伝承や伝統技術を否定するような論文、最初は相手にもされなんだ。当時の我はまだ駆け出しの研究者どころか、ただの学生に過ぎなかったからの。著名な研究者や有名な魔法士などからは「鼻垂れ小僧が馬鹿なことを言っておる」と鼻の先で笑われて終わるような話でもあったのだ。
だが、本来は無視されるはずの論文であったが、我と協力者のヴィオラは魔法大学内では超のつく有名人でもある。ヴィオラは開校以来の歴代トップクラスの魔法士であり、我もまた危険思想の持ち主と学校側から認知され、逆の意味で開校以来の厄介者魔術士として有名であったのだ。そんな二人――――最悪の出会いを経て校内で顔を合わす度に問題を起こすような二人が、協力して論文を発表したのだ。話題にならぬはずがない。
初めは校内でのみ注目され物議を醸していたものの、徐々にその波紋は魔法学会全体へと波及していったのである。
ま、論文には実証実験の結果データも添付してあるからの。
当然そこらあたりは、はっきりきっちりしておる。スライムの属性変異のデータやヴィオラの異名の元となった爆炎魔法の検証。ヴィオラの場合はやはりというか、炎系統だけでなく本来の属性にはない風系統の属性も混じった複合魔法との実証結果であった。しかもそれだけでなく、その後に行った我の理論に基づいた他属性魔法の習得実験においても、驚くことにヴィオラは全属性の魔法を習得するに至ったのである。我などは未だに得意の土魔法以外は火と水と風が多少は使える程度であるのにだ。
人種の長い歴史の中で、魂に刻まれたといっても良い主義思想や信念、世界感といったものはそう容易く変えられるものではない。頭では理解を示しておっても、体が又は感情が無意識に邪魔をしておる。
特に魔法全般に関しては扱う者の精神性に根差すものも多く、威力や精度など我ら古い世代の魔法職にとっては耳に痛い話でもある。今の若い世代はそうでもないのだろうが、我のような古い世代の魔法士や魔術士は、幼い頃より刷り込まれた古い思想や考えが魔力の発動を阻害し、未だに苦労をしておるのだ。であるのに、ヴィオラは最初の一歩こそ多少の苦労をしておったが、それ以後は割とあっさりとあらゆる魔法を習得し、驚くことに当時は神官のみが扱えると言われていた法術、いわゆる神聖魔法の回復系さえ発動させることに成功したのだ。
それに引き替え我は……べ、別に悔しい訳ではないぞ。こ、声を大にして、これだけは言っておく。
魔法属性云々は、先達魔法士や古代における呪術士と呼ばれる連中、又は聖職者や時の権力者たちが己れの権威を高めるために考え出されたただの妄想。大事なのは魔力を魔法へと変換する際の明確なイメージ力なのであるが……分かっておるのだが、これがなかなかどうして、無意識に古い思想に引きずられ難しいのだ。
ヴィオラなど、元々は根が単純。というよりも何も考えておらぬのだろう。我などは天才であるが故にいろいろと複雑なのである。きっとそうだ。そうに違い……ない。
それにだ、考えてみるとヴィオラが自由自在に魔法を操り、今では『世界を守護する五聖』のひとりなどと呼ばれ敬われておるのも、半分以上は我のお陰。皮肉なことではあるがな。
ま、そんな訳で、当時の魔法学会では議論百出。学者や研究者の中には、追実験や対照実験等を行う者もおり、もちろん実験結果は我らの提出したデータとそう大して変わらぬ。そうなると、学会内では当然の如く喧々諤々の大論争が巻き起こったのである。
我も学会からの反響、反論はもちろん覚悟をしておった。今までの通説を完全に覆し、下手をすると何人かの有名な学者や研究者が失業するかも知れぬほどの衝撃的な論文であったからな。だが、意外なことに、いや、必然であったのか、もっとも激しく反応したのは宗教界。論文への猛烈な反発は、我にとっては全く以ての想定外であったのだ。
彼ら教会勢力ーー司祭たちを始めとする神学者たちの言い分はこうである。
「世界は神の定めた完璧な計画に則り管理運営されている」と。
要するに、人もまた神の定めた運命のもと生を歩んでいる。だから、魔法属性も生まれた時に運命によって定められているのだと。
だから、聖神教の教えに真っ向から対立するような論は認める訳にいかぬ。議論をする事でさえ畏れ多くも憚られると激烈な対立姿勢を示したのである。
だが、これにはちょっとした裏の事情もあったのだ。
それが人の属性判定。
子供が物心もつく六歳頃になると、街や村の教会へと赴き属性判定を受けるのだ。その際に受け取る浄財等の寄附も少なくない金額なのである。そこへもっての魔法属性そのものを全否定する我の論文であったのだ。
聖神教は国家間の垣根さえ飛び越え、その網の目のように張り巡らせた組織網は大陸全土の隅々までーーそれこそ、地方の鄙びた小さな村にまで教えが行き届いておるのだ。裏を返せば、そんな辺境の一人一人にまで聖神教への献金システムが確立しているのだから驚きである。
そんな訳で、聖神教の教え以前に、これを認めれば教会勢力の財政すら傾きかねないとの少々俗物的な裏事情もあったのだが、当時の我はまだまだ若い学生でもある。世界の、国や社会の人々の仕組みに、まだそこまで詳しいわけもなくそこまで考えが至らなかったのだ。
まぁ、分かっておっても引かなかったと思うがな。何度も言うようだが、当時の我はかなり尖っておったからの。しかし、危うかったのも確かであった。
聖神教は、なにも慈愛と博愛を説くだけの平和的な集団ではない。かつては教義を流布するため、聖戦と称して邪教徒狩りを敢行していた時期もあり、かなり過激な思想を持つ教団でもあった。
現在の教団が大陸随一へと成長したのも、そのお陰であろうな。そんな暴力的な面も今では鳴りを潜めておるが、一部にはまだ過激な思想を堅持しておる輩もおる。それが教団の裏の顔であり、裏の組織でもある秘蹟管理局に所属する異端審問官、別名『裁きの使徒』と呼ばれる連中である。
教義のためなら命すら捨てる馬鹿者たち。で、当然の事ながら、その厄介な馬鹿者たちの矛先は我へと向く。
当時の我は、まだ学生の身でありながら学内に一応は研究室を得ておった。といっても、名義上は指導教授のものではあったがな。
論文の発表をしてから数ヶ月。すでに騒ぎは、いや、大混乱は魔法学会の中だけで治まらず、大陸列強諸国の研究機関にまで及んでおった。
で、その中心が我であったからの。学生や教授連、その他諸々への影響を考えての大学側の措置でもあったのだ。
ま、はっきりといえば隔離である。
我の周りには、列強各国の情報機関の調査員から刺客や暗殺者といった者まで、ありとあらゆる組織の非合法の工作員で溢れ返っておったからの。その中でも一番厄介なのが、『裁きの使徒』と呼ばれる狂信者たちであったのだ。
面倒臭い事この上ない程の状況であったが、少々手狭ではあるものの研究室を得たのは有り難かった。この時すでに、ヴィオラ以外にも我の魔法理論に賛同し協力を申し出る研究者も大勢おったからな。これで研究も大いに捗ると喜んだものよ。
そんな活況を呈しつつある研究室に、あの狂信者共が乱入し、いや、いきなりの強襲といっても良かった。
ちょうど午前中に行っていた研究課題の実験がひと段落つき、ヴィオラを含めた幾人かの協力してもらった研究者と談笑している時であった。
突如、轟音を鳴り響かせて、入り口の扉が吹き飛んだのだ。そして、研究室内に爆裂系の戦術魔道具『メギドの火』が、複数個投げ込まれたのである。
完全に油断であった。まさか昼日中の校内で襲撃があるとは思いもしなかった。
室内にいた協力者といっても、我と同じ研究一筋の魔術士。魔法は扱えても、どちらかといえば戦いから縁遠い魔法オタクな者が殆ど。とっさに反応できたのは、さすがに戦闘特化の魔法士クラスで歴代トップのヴィオラのみであった。が、それでも側にいた我を引き寄せ、二人の周囲に魔力障壁を張るので精一杯であったようだ。
我などは室内にあった机や椅子などの備品、実験用の資材や研究資料が吹き飛ぶのを呆然と眺める事しか出来なかった。そして、我とヴィオラの二人以外の協力してくれた研究員たちは悲惨な状況に。が、幸いな事に直前まで行っていた魔法実験ーー我が入学当初から何度も改良を施していた『反転防御結界・改』。問題点は向けられる属性魔法の反転・反射にあった。土地を特定し、結界魔法の術式を刻んだ複数の楔を周囲に打ち込むような大規模なものと違って、個人でも身に付け運用出来るような小型化した魔法具では、膨大な量となる反転・反射結界魔法の術式を刻むのは不可能に近い。そこで考えたのが、我が発表した『相対性魔法概論』の理論を応用した術式。属性魔法の全てを一つの魔法として捉え、単一の術式にまとめたのである。
言葉にすれば簡単なようにも聞こえるが、並の研究者であれば生涯をかけて取り組むほどの案件。それを我自身が発見した理論を応用したとはいえ、僅か数ヶ月で構築したのだから、いかに我が天才か分かるというもの。やはり我は、偉大な天才錬金術師として歴史に名を残す事であろうな…………とにかくだ、これを額、胸、手足の甲と都合六箇所に魔法印を刻み、又は魔道具を配して左右に手足を広げれば、己の身体自身を起点とした星型魔法陣を起動して展開する事が可能なのである。
一般人の微量な魔力であっても、魔法士が展開する魔力障壁なみの、いや、反転・反射の術式も組み込んでおるのだから、それ以上の結界障壁が個人でも扱えるはずなのだ。
午前中に行っていたのは、その小規模運用実験。しかも運良く範囲を拡大しての時間経過を観察中で、その合間の談笑であったのである。ただし、研究室内での実験でもあるため、耐久性は二の次。想定通りに作動するのか、効果時間はどれほどになるのか、といった初期段階の実験であった。だから爆発には耐えられず、あっさりと結界は砕け散ったのだが、本来は複数個の『メギドの火』であれば研究室そのものが消し飛んでもおかしくないはず。それが大幅に威力を軽減しての爆発である。
我とヴィオラの二人は無傷。他の研究員も、中には血を流し倒れる者はいたが、命を落とすような者はいなかったのは救いであった。
ここは大陸随一の最高学府。腕の良い治療術士は数多くいる。たとえ重傷であっても、息さえしておれば助ける事は可能なのである。だから直ぐにも学内の治療院に運ぼうとしたのだがーーーー。
「神の教えの背く邪教徒に神罰を与えん!」
爆発の余波で充満していた煙が薄らぐと共に、狂信者どもが怒号を飛ばしながら刃物を振り翳して乱入して来たのだ。が、しかし、狂信者どもも焦っておったのであろうよ。何せ、投げ込んだはずの『メギドの火』が思ったような威力を発揮しなかったのだからな。しかも此方にはヴィオラもおる。此方についての情報を入手しておらなかったのか、それともまだ学生と甘く見ておったのか、いずれにしろ教団の裏の顔としてはお粗末であるな。まだ学生とはいえ、将来の英雄候補の魔法士に対して、真っ向から肉弾戦を挑むとは愚の骨頂というほかないのだから。案の定、模擬戦闘訓練の時の、我の二の舞。瞬殺、目にも止まらぬとはまさにこの事である。この時、乱入して来た狂信者は五人であったが、研究室内に侵入したと同時に五人が五人とも倒れておった。怒りにいつもより魔力が昂っておったのあろうが、この時のヴィオラは古の勇者を彷彿とさせるような動きを見せるほど神がかっておった。我が瞬きする間も無く、気が付けば侵入した五人は手足があらぬ方向へと捻じ曲がり、白目を剥いて泡を吹いておったからな。
かなり厄介な連中ではあったが、大学側の警備の甘さをついて校内へ密かに潜入しての破壊行為。研究室への突入時の言動から聖神教の狂信者であるのは明らかであり、しかもヴィオラによって即座に意識を刈り取られたのだ。
本来であれば頑迷な狂信者であれば、捕縛されし時には自決の覚悟もあったのかも知れぬがな。
研究室は魔法学の最高峰の世界的頭脳の集まる大学構内にある。学会の重鎮も数多く在籍しておった。
当然だが騒ぎに集まる職員や教授連の中には、一部の国では禁忌とされる精神系魔法の重鎮もおったからの。襲撃者の意識がないのをこれ幸いにと、すぐさま自白を強要する精神系魔法にかけたわけだが……でるわ、でるわの非合法活動の数々。挙句に狂信者に破壊活動を命じた者の中に枢機卿の名前まで飛び出したのは驚きであった。
枢機卿は巨大宗教「聖神教」を管理運営する約100名ほどからなる要職。次代の教皇も枢機卿会議によって選出されるほどであった。
この事件の騒ぎは大学側だけでなく、魔法学会全体、列強各国指導部にかなり大きな衝撃をもたらす事となったのである。
実際のところ、当時のまだ若い我などはまわりの騒ぎはあまりわかっておらず、学会や各国非合法員や聖神教の裏組織の間で、暗闘も含めてかなりの数のやり取りがあったとか。行方不明となった工作員の数も三桁に届くとか噂になっておった。
しかし研究室まわりだけは何故か静かで平和なもの。我も「我関せず」とばかりに研究に没頭しておった。
ただこの襲撃事件は後に『パラケ事変』とも呼ばれるのであるが……我の名前を冠するとか、まるで我が世界転覆でも図ったかのようでどうにも納得できなかったがの。
とにかく事変をひとつの契機となり、我の論文が世の中に広まるきっかけともなっておった。
街の飲み屋では、
「おい知ってるか? 魔法大学が襲われたってよ!」
「えっ、マジで! なんで?」
「発表された魔法論文のひとつが気に食わないからだってさ。幸い死んだ人はいないようだけど大怪我した人はいたようだぜ」
「こえーな、論文ひとつで命狙われるとか」
てな具合にだ。
我の預かり知らぬところで、我の論文が学会や各国指導部だけでなく、世の中の魔法士や街の工房の魔術士にまで広く知られる事となったのだ。
そうなのだ。『パラケ事変』以降、古い魔法理論を押し除け、新しい魔法理論が台頭して、魔法工学、いや大陸各国の魔法文明そのものが大きく前進、急加速していくのであるから、論文を否定しようとしておった『聖神教』にとっては皮肉なものであったろうな。