プロローグ上
逃げ出したい。
そう思ったことは過去にも何回もあった。
いや違う。逃げ出すところかもう何も思考ができない感じだ。
僕の目の前には厳格そうな男が一人、一枚の紙を片手に座っている。
眉間の皺は深くなっており、だれが見ても不機嫌そうな顔だ。
「何故お前はこうも成績が悪いのだ!」
その男性は僕に対して怒鳴る。
「お願いしますお父様! もう一度チャンスをください!」
僕は頭を下げて懇願する。
「これで何度目だ! 剣術も駄目、魔法も駄目。お前には失望したぞ」
そういうとお父様は目の前のレポートを僕に見せてまた怒鳴る。
「姉や妹だってできただろう! 何故お前はできないんだ」
確かに、姉は幼い日から魔道の天才として賢者とか言われてたり、妹も剣の腕なら大人顔負けの腕で武神の再来とか言われている。
対して僕は何もない。
でもだからってそれと比べないでほしい……
天才と謡われている姉妹。そんな常識外れの化け物なんかと比べられてもそりゃその通りだとしか言えないではないか。
だが、僕はそのことを口にしない。意味がないから。
「アルよ何か言ったらどうだ?」
そのように父親に言われても僕は無言を通す。
「はぁもういい。お前の顔を見るのもうんざりだ。今日よりお前はこの家から出て行け!」
お父様の突然の物言いに僕は唖然とした。
「我がアスタロト家に無能はいらん。明日からこの家を出て行け!」
「お父様! それだけは! どうか」
「駄目だ! お前にはもううんざりなんだ! 期待した私が馬鹿だった!」
僕は必死に懇願したが、その言葉に聞く耳を持たないお父様。
「ラセル」
「は」
お父様が使用人のラセルを呼ぶと、一人の男性が僕の右後ろに控えた。
「こいつをつまみ出せ!」
「畏まりました」
執事がそういうと、僕の襟首をつかむとそのまま退出する。
「はぁ」
僕はベットの上で横になりながらため息をつく。
大きいベットに、勉強のための机、そして、大きな本棚やクローゼット。
一人用の部屋にしては広いこの贅沢な暮らしとも明日となればおさらばともなれば自然とため息が出てしまう。
一刻一刻とこうしてだらだらと時だけが過ぎていく。
「お、お兄様……」
そんなぐーたらしている僕の部屋に入ってきたのは僕の二個下の妹フィオ。
血が交わっているにも関わらず僕とは違くふわふわの金髪に宝石でいうエメラルドごとく輝る翡翠色の瞳。ピンク色のふわふわなドレスを着ており背が小さいことも相まって見た目はか弱いお嬢様のそれだ。
しかし、一度剣を手にしてしまえば最後、その剣の腕は王国の誰もが敵わないとされている。
そんな小さきお姫様は僕から一定の距離を保ちながら下に顔を俯きながら立っている。
そんな様子に僕は忌々しい自分の黒色の髪をむしゃむしゃと掻きつつ半身を起き上がらせる。
「どうかしたのフィオ?」
僕は気軽に話しかける。
まるで何事も無いように日常的な会話を心掛けた。
「聞きましたわお兄様」
しかし、そんな僕の意図に反してフィオは声が小さく全体が重たい空気に包まれる。
そのフィオの俯いている顔は暗い表情をしている。
「お兄様が明日、この屋敷から出ていくと……」
「仕方ないよ。僕はフィオと違って才能が無いんだから」
僕は投げやりに答えた。
もうそんなことはどーでもいいことだし。
もう取り返しのつかないことまで進んできてる。
たとえ、すべて僕が嘘をついているとしても今更お父様の評価は変わらない。
そんなことは僕が一番知っている。
「嘘ですねお兄様」
そんな僕のことを見透かしているのか、はたまた現状が気に入らないのか、僕に反対するフィオ。
「何故お兄様はあの力のことを言わないのですか? 病弱だった頃の私を救ってくださったあの力を」
俯いた顔を上げるフィオ、その顔は困惑したような表情で僕を見つめている。
「何のことを言ってるのかわからないけど僕は紛れもなく落ちこぼれであることには変わらないよ」
「お兄様……フィオにも言って下さらないのですね」
フィオはまた俯いてしまった。
その場に流れる沈黙に耐えきれなく僕は無言で部屋を後にした。
夕暮れが差し込む広い庭。
僕はそこにあるベンチに座って黄昏ていた。
「あんた」
そんな僕のところに一つ年上の姉が歩いてきた。
妹と同じ金髪で翡翠色の瞳をしている。唯一違うのが背丈と無駄に育った胸の脂肪。
「この屋敷からの追放じゃなくてあの世へ追放されたいのかしら?」
笑顔で詰め寄る鬼。
「何用でございますかリーゼねえ」
僕はすぐさま、話題を変えようとその発言を聞かなかったことにして、来た理由を尋ねる。
正直、僕はこの人が苦手だ。
姉がまだ魔導士として目覚めていない頃までは元気あふれる女の子でいつもこの庭で走り回ってて遊んでいた記憶はあった。
そんなリーゼねえがいつからか天狗になってしまわれた。
「ふん! あんたにもう姉と呼ばれる筋合いはないわ」
僕を憐れみ蔑む目。リーゼねえはいつからか僕のことをストレスの吐け口としていじめるようになった。
「お父様から聞いたわ。やっと無能が家から出ていくのね。あーこんなに清々しい気分は初めてよ」
高笑いするリーゼねえ。
「そうでございますか」
僕は適当に相槌を打った。
正直、まともに相手にしたくはない。
「なんか言ったらどうなのよ! あんたは無能って言われてるのよ!」
だが、そんな僕の態度にイラついたのか足をドンとその場に踏み込むリーゼねえ。
「いえ、事実でございますので」
少しは会話をしないと先ほどのようにイラつかせてしまうかもしれないので僕は少しだけ会話に乗った。
「ふーん。あ、そうだ。私に服従を誓いなさいよ。そうすればお父様に私から追放しないように言って差し上げても良いわ」
僕を見下してあざ笑う姉。すごく機嫌が良いのか滅茶苦茶笑顔になっている。
「ありがたい申し出でございますが、わたくしめ如きでは役に立ちそうにもならないので辞退させて頂きます」
ちょっと癪に障ったから僕はやんわりに丁寧に断った。
「ちっ」
流石に露骨過ぎたか、再び機嫌悪くするリーゼねえ。
「ふん。無能は無能らしくしぶとく生きて行けば良いのだわ!」
そう言い残すとリーゼねえは足をどんどんとわざと大きく踏み込みながら屋敷へと帰っていく。
何故リーゼねえがあそこまで怒っているのか最後の最後まで分からなかった。
そして追放される翌日。
僕はお父様に別れの挨拶をしようとしたが、朝から用事があるため家にいなかった。
仕方ないので、僕はそのままの足で屋敷から出た。
「待ってください!」
屋敷から出た直後、引き留める声がした。
後ろを振り返ると妹のフィルが走り、その後ろからは姉のリーゼねえと使用人のラセルが歩いてくる。
「お兄様! せめて町の外まではフィルも一緒に」
「なりませんよお嬢様。わたくしめはもうアスタロト家の者ではございません」
僕とフィルはもう赤の他人である。そのことも踏まえて僕はあえて敬語で接した。
「お、お兄様ぁ」
「ちょっとあんた!」
フィルは泣きそうな声で震えて、リーゼねえの方はかなり怒っていた。
「最後の別れくらいまともにやりなさいよ!」
もっともな意見をリーゼねえの口から出て僕は驚いた。
そりゃそうだ。別れの口もしないまま出るのは如何なものか。
「大変失礼いたしました。お嬢様方。どこの馬の骨とも知らぬわたくしめの為に足を運んでいただき至極光栄でございます。自分が生まれて10年もの間。良くしていただきありがとう存じ上げます」
僕はそう言い礼をすると、フィルは何故か座り込んで泣きわめいた。
「あんたはぁ!! ……はぁもういいわ」
リーゼねえの方も凄く怒っていた。しかし、すぐに諦めて僕の方に歩いて行った。
「これは選別よ。あんたのことだからお金とか持って行って無いでしょ」
リーゼねえから僕はお金と手のひらサイズの白く輝く石を貰った。
「お嬢様! 流石にこんな大金は受け取れません」
僕は驚きつつすぐにお金を返却しようとしたが、リーゼねえは受け取らずふんと顔をそらした。
「受け取りなさい! これは命令よ」
僕は唖然とした。
これでは受け取らざる負えないからだ。
しかし、僕のような無能にこんな大金を与えて、一体何を望んでいるのか……そもそも追放される人に何を期待しているのか僕にはわからない。
そう、考えていると、リーゼねえはフィルの元まで戻ると抱き寄せて子供をあやすように背中をさする。
そして、一瞬だけ僕の方にギロリと睨みつけてはフィルを抱きかかえながら屋敷の方に向き直るリーゼねえ。
「もうどこにでも好きに行けば良いんじゃない? せいぜい死なないようにスライムのようにしぶとく生きるのがお似合いよ!」
ふん! とそう言い残し、リーゼねえはラセルの方へ顔を向ける。
「任せたわ」
「御意に」
リーゼねえはラセルに一言いうとお屋敷の方へ歩いていく
「お別れの挨拶を済みましたでしょうか?」
ラセルはタイミングを見計らってか僕に声をかけてくる。
何故ラセルはリーゼねえと一緒に屋敷に帰らないのか不思議だ。
「坊ちゃま。隣町まで馬車の手配は済ませております」
そして、ラセルは僕に畏まった態度でお辞儀する。
「ちょっと待って! 僕はこれから追放されたんだよ?」
「作用でございますが、これらは旦那様からのご命令となられております」
お父様が……。
もしかして、まだ希望があるのでは?
「どこまで行くの?」
追放とは嘘の話。ということを期待して僕は聞いてみた。
「ここから馬車で3日ほど遠くまでにございます」
「そっか」
なるほどね。僕をそんなに遠い町に……。
そりゃそうか、普通に考えたらこのお父様がいる領地から物理的に出るの難しいもんね
追放するくらいだもん。顔も見たくないのは当たり前かもしれない。
それなら、物理的に見れないくらいに遠いところに飛ばすのが当たり前か……。
希望を軽くへし折られた僕は、そのままラセルと共に、馬車に乗って行った。
僕は馬車の中でこれからのことを考えてみた。
これからどうやって生きて行こうか。
リーゼ様から頂いたこのお金と白く輝く石でどうやって生き延びるか。
巷で聞いた冒険者というのをやってみるのもいいかもしれないのかな?
というかそれしか生き延びる道はなさそう。
それにしても、僕が冒険者か……。
アスタロト家というレティシア王国の七大魔皇族がうちの一つの生まれだった僕には無縁のお話だと思ってた。
姉や妹に比べて無能な僕は貴族として、ほかのところに婿入りすることだと思ってたから礼儀作法だけを重点的に学んでいたのに。
これもそれも全部無駄になってしまった。
「はぁ……」
僕は上を向きながらため息をついた。
「お坊ちゃま。もうそろそろで馬車を止めます」
ラセルの声が聞こえた。
ああ、もうそろそろで僕は自分の力であれこれしないと行けないのか……。
考えれば考えるほど。僕は憂鬱になっていく。
ん? あれ、ちょっとおかしいな?
「ねぇ、ラセル? 3日ほど遠くの辺境の町に行くんだよね?」
「作用でございますが、如何致しましたか?」
「なんで馬車を止めるの?」
「これはこれは、さすがの馬も休憩なしに歩かせるのは酷でございましょう。これから休憩に入るところでございます」
「あ、それもそうか」
僕は納得した時には馬車が止まったのか揺れが収まった。
僕はそのまま馬車から降りると、あたり一面に森が生い茂っている。
ここはもう町でもなんでもなく、モンスターがうろついている森の中。
そして、すぐそこに崖が……。
「え?」
すると、僕の胸に確かな違和感が過ぎ去った。
胸を見ると、一つの血に濡れたナイフが刺されている。
僕は後ろを振り返ると、そこにはラセルが笑みを浮かべながら立っている。
「ラ、ラセル……ぐふっ」
「ふふふ」
僕は、突然のことで脳が停止して考えるのがおろそかになっている。
ラセルが僕を刺した……?
「実はわたくし、あのお方から無能であるあなたを抹殺しなさいと申しつけられました」
「お父様が……そんな」
「リーゼお嬢様もあなたのことうんざりにしてましたよ? そのお嬢様から任されました。だから、早く逝ってくださいよお!」
そういうと、ラセルは僕を蹴り崖から突き落とす。
訳が分からなかった。
なんで僕が殺されなければいけないのか。
分からない。
分からない。
それほどまでに無能の僕が邪魔だったのであろうか。
分からないが、一つだけ納得したことがあった。
あの時、リーゼねえが僕に大金を渡したことだ。
きっと、僕が喜ぶと思って渡してきたのだろうか?
そして、死ぬ間際で一気に真実を打ち明けて絶望をたたきつけようと……。それなら、あの時、僕が喜んでなかったことに対して不満げな態度を示したのは納得行く。
ああ意識が朦朧する。
風前の灯。死ぬ間際は時の流れがゆったりとなると聞くが、本当にそうだった。
ゆったりと落ちて行く身体。
「ハハハハハ!!!」
遠のいていく笑い声を背景に意識が暗転する。
僕はその日、奈落の底に堕ちて行った。