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少し昔のこと

途中、視点が変わります。

 



 真っ暗な部屋。目に悪いテレビの眩しさにしがみつく。



「は、は……」


 何やってるんだこの芸人さん。馬鹿だなぁ。


 ほんと何やってるんだろう。こんなところから飛び降りたら死ぬじゃん。


 あはは。



 しぬ、じゃん。



「 は……」



 ひゅう、と息を吸い込んだ。


 わたしはなにをわらっているの?



「あ……」


 ごめんなさい。


「ああ……っ」


 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい


「ああああああああああ!!!」


 死ねばよかったのは私なのに。

 こんなに冷たい私なのに。あんなに優しい2人の死を忘れたみたいに笑い飛ばしてしまえる私なのに。

 私が死ねば私が消えれば私がいなくなれば。


 戻って、くる?



 だめだ、もう二度と戻ってこない会えない話せない

 今日はテストでこのテレビが面白くてあの子に彼氏ができておばあちゃんが朝ごはんつくってくれて、それでそれでそれで


 ふたりが、死んだ。



 それで?


 どうして私は笑っているの?

 どうして私は笑えているの?


 こんなにくるしくてくるしくていきができないのにどうしててれびをみてのんきにわらえているのあのひとたちはにどともどってこないにどとあたまをなでてはくれないなのになのになのにどうしてわたしはわらっているの


 おかあさんおとうさん


 ごめんなさい


 はくじょうなむすめでごめんなさい

 ほんとはわたしはすきじゃなかったのかな

 だいすきだとおもっていたのに

 かなしくてかなしくてむねがいたいのに

 これはぜんぶにせものなのかな




「小弥……っ、小弥!?おい、どうかしたのかい!?」


「おばあちゃ……」


「待ってろ、今病院に……」


「ごめんな、さい」


 それきり、ぷっつりと意識が途絶えた。






 ―――



「いい加減柊くんや四宮さんに近づくのやめてよ!」


「濱野、さん……?」


「あなたは自分が楽しいからいいかも知れないけど、あの人たちが迷惑してるのが分からないの!?」


 そんな、ことない。


 だって、何だかんだ言いながら一緒にいてくれる。


 だって、笑ってくれた。



「嫌がってるのに無理に近づくなんて、人が苦しんでるのに自分だけ楽しんでいるなんて、あんた、最低だから!」


 わた、しは。



 最低だ。



「おかあ、さん……お、とうさん……」


「……は?何言って」


 わたしは、人のことを思いやれない、冷たい人間だ。


 全身に力がはいらない。


 私はそのまま全ての感覚を放棄した。




 幸せだった。

 柊が好きだと言ってくれて、私が好きだと言うのを受け入れてくれた。

 千才が私の冗談に笑ってくれて、一緒に遊びに行ってくれた。

 幸せだった。もうこれ以上はないというくらい。


 幸せに、なってしまった。

 私だけ。




 お父さんもお母さんもいないのに。

 お父さんもお母さんももう笑えないのに。もう幸せになれないのに。もう何も出来ないのに。

 私だけ、薄情な私だけ幸せになるなんて、そんなの嫌だ。


 あの悲しみを、胸を裂く痛みを、忘れてしまう。また笑いでかき消してしまう。お父さんをお母さんを、忘れてしまう。

 もう、あの笑顔を思い出せなくなる。もう、私を撫でる大きな手のひらの温度が薄くなっている。


 嫌だ。駄目だ。そんなのおかしい。忘れたくない。忘れたくない。忘れたくない。


 柊は私が迷惑だった?

 もしかしたら、千才も?

 話しかけられたくなかった?放っておいて欲しかった?邪魔だった?

 なら、無かったことにしてしまえばいい。

 私みたいな女につきまとわれることも、私みたいな女と付き合うなんて真似事をすることも、無かったことに。

 私だけ幸せになってしまうなんて馬鹿げたこと、初めから無かったことに。


 そうだ。これで、これで、忘れないで済む。


 ぽろり、と何かが零れ落ちた。



 ―――









 彼女は一言で言えば、謎の女だった。

 うざったくて飄々として、いつも楽しそうで。かと思えば、どこか他人を優先してばかりいて、自信の無さを奥に隠している。


 高校に入学してから、俺はそんな彼女に振り回される一方だった。


 それは四宮千才も同じだった。

 俺たちは気づけば、いつも三人で笑っていた。


 俺も四宮も人付き合いが酷く苦手で、しかも別にそれでもいいと思っているふしがあった。

 そんな俺たちに人の温もりを無理矢理教えた彼女から、もはや離れることなんて出来なかった。


 そして、俺はごく自然に、彼女に恋に落ちたのだった。


 それから、彼女に追いつくために、面倒な人付き合いもするようになった。

 身なりにも気を使うようになった。

 大勢の中でも、自然に笑えるようになった。


 そうして努力して、やっとの思いで告白した俺を、彼女は受け入れてくれた。

 幸せそうな笑顔に、これ以上ない喜びが溢れた。


 四宮はやや不満そうだったが、それでも応援してくれた。



 それが……突然、途切れた。

 ぶつり、と。

 比喩ではなく俺たちの思い出も歴史も途絶えてしまったのだ。



 彼女が学校で倒れた。

 それを知って駆けつけた俺たちは、医師と、それから彼女の祖母と対面した。


「記憶障害……?」

「ええ、おそらく心因性のものでしょう。俗に言う……記憶喪失、のようなものです」


 記憶喪失。彼女が?


「日常的な生活に関するものには影響は無いようです。それから、お祖母様に関しても。ただ……学校生活、特に、親しい友人に関する記憶がとても曖昧です」


 医師が痛ましげな瞳で俺たちを見る。

 つまり、俺たちの記憶が、ない?

 ただ真っ白になる。何も考えられない。怒りも悲しみも、何も浮かばなかった。


「ただ、全て忘れているというわけでもなく、クラスメイトの名前や教師の名前などは覚えているようです。それから、辛かった記憶、苦労した記憶は覚えていても、家族のこと以外での楽しかった思い出、嬉しかった思い出が思い出せないようです」


 息を呑む音が聞こえた。彼女の祖母、八千代さんの反応に、医師が目を向ける。


「……何か、原因に心当たりが?」


「ああ、いえ、それが原因かは分かりませんが……あの子は、両親を事故で亡くしていて。あまり家に帰らない親でしたが、それでもあの子は両親をとても慕っていて、衝撃も大きかったんでしょう。暗い部屋の中で、逃避するようにずっとテレビを見ていたんです。でもある時、お笑い番組で……あの子が、小弥が笑ったんです。私がああやっと笑えるようになったんだと安心した瞬間、あの子の顔が真っ青になって。そのすぐあとに倒れて、病院へ行ったことがあります。起きたあの子は、テレビを見ていたことすら忘れていました」


 八千代さんは、喘ぐように息をして、言葉を続ける。

 続いた言葉に、俺たちは今まで以上の衝撃を受けた。


「先生……小弥は、あの子は、あの可哀想な子は、自分は幸せになっちゃいけないとでも思っているのでしょうか?」


 医師は否定も肯定もしなかった。

 ただ他の話も聞いて、可能性としては無くもないと言っただけだった。それから俺たちに向き直る。


「本来、ご家族以外に説明することではありませんが、今回あなたがたにお越しいただいたのは、お願いがあるからです」


 俺たちは何も言わず、その話をぼんやりと聞く。


「決して、無理に思い出させようとしないでください。あなたがたには酷なことかもしれません。しかし……記憶のない状態で、身に覚えのないことを言われるというのは、想像する以上に彼女に負担を与えてしまいます」


 俺はやっと口を開いた。


「じゃあ……俺たちは、日暮の他人になれってことですか?」


 四宮がばっとこちらを見る。

 医師は、黙って俺を見た。


「……無責任に聞こえるかもしれませんが、もし、心から彼女の友人でいたいと思うなら、もう一度、初めから寄り添ってあげてください。それでなければ、彼女のために、そっとしておいてあげてください」


 なぜ。


 ぶわ、と怒りが頭に回った。


 誰に対するものなのかは分からない。ただ、怒りで頭が燃えた。


 怒りを露わにする俺に、医師は続けた。


「……それから、彼女の症状の原因が分からない以上、また同じことが起こる可能性があることを、頭に入れておいてください」



 その瞬間、何かがぷつんと切れた。

 怒りはとうに越していた。

 ただ、喪失感、いや、虚無感……どんな言葉でも表せない大きな感情が体に巡り、がくんと膝をつく。


 つまり、また友人として近づけたとしても、また、彼女は俺たちを忘れてしまうかもしれないということだ。


 なんで。


 どうして。


 その二つの言葉を頭に浮かべたきり、その時の俺の頭には何も浮かばなくなってしまった。






 それから、本当に彼女は俺たちを忘れた。

 その顔に笑顔はない。淡々と日々をこなす。

 クラスメイトたちは俺たちと彼女を不思議そうに眺めていたが、やがてそれも無くなった。

 そう、無くなってしまった。

 あっさりと、何も、初めから無かったかのように。


 俺は腹に石でも詰め込まれたような気分で、ただ登校し、彼女を離れたところから見ていた。


 それから、彼女は一部のクラスメイトとぽつぽつと話すようになり、やがて一緒に行動するようになった。俺はそんな彼女をただ見ていた。

 そんな時だった。四宮が彼女に嫌がらせをするようになったのだ。


 俺はすぐに四宮を捕まえて問い詰めた。


「何よ」

「何って……お前こそ、何してんだよ!いくら忘れられて悔しいからってこんなこと……」

「違う!」


 突然あげられた声に、俺は驚く。


「……じゃあ、なんでだよ?」

 四宮はしばらく黙っていたが、ぽつりと、小さな声で呟いた。


「……忘れられたく、ないから」


 風にかき消されてもおかしくない呟きだったが、俺に衝撃を与えるには十分だった。


「……だって、忘れるんでしょう。嬉しかったことも、楽しかったことも。幸せになりたくないんでしょう。お父さんやお母さんを忘れたくないから。……だったら、だったら私を憎めばいい!憎んで、恨んで、そうしたら、そうしたら、一生忘れられないでしょう」

「しのみ、……」

「あんたは!あんたは悲しくないの!?辛くないの!?ただぼけっと見てるだけで、満足なの!?」


 ぎん、と刃のような鋭さで睨まれる。

 俺は刺されたような衝撃を受けた。


「満足なわけないだろ!」

「じゃあなんで黙って見てんのよ!」

「見てる以外に何が出来る!」


 俺の怒鳴り声が、その場に響いた。

 空は憎らしいほどの晴天で、俺はそれを睨み上げる。


 本音を言えば、医師の言葉など無視して無理にでも思い出させたかった。あの薄情な頭をいつものようにはたいて、不満げに尖らせるだろうその口に噛み付いて、お前は俺と恋人になったんだと言ってやりたかった。それから笑いあって、いつもみたいに。

 でもそれは、彼女のためにはならない。

 現実でそれをすれば、何も知らない彼女は怯えて不安に潰されるだろう。それくらいの想像はできる。


 俺は四宮の方を見た。彼女の気持ちは痛いほど分かった。けれど。


「……俺はお前のやり方は肯定出来ない。恨まれるだけだなんて、それだけで満足出来ない。俺は……日暮の、小弥の幸せが欲しい」


 四宮は目を見開く。


「そんなの……勝手よ。小弥は幸せになったらご両親を忘れるかもしれないから、だから幸せになりたくないのよ?」


「関係ない。小弥の両親には悪いけど、両親のことは忘れてもらうし、俺は小弥を幸せにする。今決めた」


「……!この、わがまま男!」

「うるさい。いじめっ子女」




 ふん、とお互いに顔を逸らした。

 そして、呑気な顔で「仲良しだねぇ」と笑う彼女を思った。







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