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また、傷つけた

 



「あの……」


 一瞬、反応が出来なかった。

 この学校で声をかけられることは多くない。

 友人はおらず、委員会や部活といったものに属しているわけでもない。

 声をかけてくるのは頼みごとをする教師くらいだ。

 しかし、聞こえて来たのは柔らかくみずみずしい声。大人の声の高さではない。


 振り返ると、果たして。そこに居たのは一人の女子生徒だった。


「こ、これ、落としたよ……日暮さんの、だよね?」


 分かりやすく村八分にされている私に声を掛けるのは、相当勇気が要っただろう。

 差し出されたタオル生地のハンカチを持つ手は、小さく震えている。

 私は怯える彼女を可哀想に思って、直ぐに立ち去るべくそれを受け取る。


「ありがとう」


 とても久しぶりに受けた優しさはじんわりと心に沁みる。

 受け取ったハンカチをブレザーのポケットに仕舞い込みながら踵を返す。

 と、追い縋るような声がした。


「あ、あのっ、」


 ぱた、と音がして。


 振り返ろうとした私の視界に、あの子が現れた。

 きつく歪めた眉。引き結ばれた口。いつもより数段不快そうな表情は、しかし素材の良さのためかそれはそれで美しい。


「四宮さん……」


 私は、口にしかけたその名を後ろに立ったままの女生徒に遮られ、慌てて口をつぐんだ。

 ただでさえ嫌われているのだ。無闇に名前を呼ぶわけにもいかない。


「何をしているの?濱野はまのさん」


 口角を片方だけあげて、四宮千才しのみやちとせは私の後ろに声をかける。

 その笑い方のせいで、もともときつい顔が更に誤解されるのではないかといらないお節介なことを思う。


「あ……あの、ち、違うんです!」


 濱野さんと呼ばれた女生徒は、その迫力ある笑みに怯えたように後ろに下がる。


「あら?なあに、私は何をしているのか聞いただけよ。そんなに怯えて、……何か後ろめたいことでもあったのかしら?」


 ふふふ、と笑うその顔は、そこはかとなく恐ろしく、しかし怪しい魅力を湛えていた。

 存在を綺麗に無視されているらしい私は、そんな二人の会話をぼんやり聞いている。私が口を出せば空気が悪化することは分かりきっている。かといって、おそらく私のせいで起きたこの状況を、放って逃げるわけにもいかない。


「ねぇ、勝手なことしちゃダメよ?わかるわよね」

 濱野さんにそっと歩み寄り、優しい手つきでその頰を撫でる。

 濱野さんは青ざめた頰のまま、唇を噛み締めた。

 ちら、とこちらに視線を寄こされ、口惜しそうな顔になる。

 そうか、こうやって私が無視される状況が出来上がったんだなと、どこか現実感のないままぼんやりと思う。


「……はい」

 小さな返事に、満足そうな表情で頷く美しいひとは、優しい猫なで声で帰るように促す。


 小走りに行きかけるその背中に、私はつい「ハンカチ、ありがとう」と言ってしまった。

 今まで黙っていた意味を自分でぶち壊してしまい、慌てて口をおさえる。

 濱野さんは少し振り返って、それから走って帰っていった。


 そして、その場には。

 いじめられている私と、私をいじめる張本人だけが残った。


「…………あなた」


 不意に話しかけられてびくりとする。


「……なんでしょう」

 恐る恐る尋ねる。彼女の顔には、何の表情も浮かんでいない。


「柊と離れなさい」


 静かに紡がれた言葉。

 私は、酷く不思議な気分だった。

 彼女が私をいじめ始めたのは、柊に告白らしきものをされるより前。つまり、彼女が柊を好きで、だから私をいじめているわけでもないだろう。

 けれど、この言葉は、今まで言われたどの言葉より熱を持っているように感じた。


「……どうして?」

 首をかしげると、彼女は苛ついたように眉間のしわを深めた。

 なんとなく、美人なのに勿体無いなと思う。

 本当にどうしてだろう。私は、何故か彼女に敵意を抱けない。

 私が柊とどうなろうが関係ないだろうと、少し不快に思うのは確かだが、それでも憎む気持ちはない。

 まるで、彼女に対する感情を丸ごと失ってしまったかのような、虚無感だけが心を撫でる。これはある種の麻痺なのかもしれない。


「……これは忠告。大人しく柊と離れて、静かに過ごしているのがあなたのためよ。私も大概だけど、あいつほど勝手な奴は居ないわ。そして、あなたにはあいつを受け止められない」


「じゃあ、あなたは彼を理解してあげられると?」


 私の言葉に、脅すような言葉が止まる。不快感を露わにしながら、それでも彼女は唇の片端を吊り上げた。


「……少なくとも、あなたよりはね」


 深く、刺さる。

 今まで受けたどんな嫌がらせよりも、その言葉は私を抉った。


 ぽつり、と漏れた言葉は、完全に無意識だった。


「……私は、あなたにここまで嫌われるような、何をしてしまったんですか?」


 ぼんやりと、自分の靴を見ながら呟いて、ゆるゆると顔を上げる。


 私は、目を見開いた。


 彼女は、泣きそうな顔をしていた。


 怒りでも、恨みでもなく、純粋な悲しみをぶつけられ、私は言葉を失う。


「……別に、思い出せなくても良いのよ。私は一生許さないし、あなたも私を一生許さなければ良いの」


 また、傷つけた。

 一度目に傷つけた時のことは記憶にない。

 けれど、私は確かに今改めて、このひとを深く傷つけてしまった。

 じわじわと広がる、名前がつけられないほど多くの感情が私を蝕む。

 私は確かに被害者だ。

 だけど、同時にタチの悪い無自覚な加害者でもあるのだ。

 いつかの思考が、改めて鋭さを持って心臓に響いていた。


―――


 ふと、柊を見かけた。

 同じ学校に居るのだから当然だが、二人だけで会うのが普通なためか、校内の生徒の集団の中にいることに違和感がある。

 何というか、別世界の住人、みたいな。

 数日に一度だけ会うことが出来る別世界の人。鬱々とした生活を、その人と会うときだけ忘れられる。しかし彼とは、決して結ばれることはない。住む世界が違うからだ。

 なんて、馬鹿らしい思考回路に呆れる。

 彼はしっかりここに生きている。夢や妄想の産物ではない。住む世界が違うのはある意味ではそうだが、決して結ばれない何かがあるわけでもない。ただ、私にその気が無いだけだ。……もしかすると、向こうにもその気は無いかもしれないけれど。


 彼に告白されて、もう数週間経つ。

 相変わらずぽつぽつと人気のないところで会ってはたわいない言葉を交わしている。

 好意は当然ある。良い奴だと思う。でなければ話さない。

 けれど、相変わらず信用出来ない思いもあるし、おそらくこれは友人に対するもので、付き合う付き合わないという話は別物だ。


 ……と、私は思い込もうとしている。



 わかっている。今までは興味の向かなかった周囲を見回しては、こうして薄っぺらい笑み達の中に彼を探している。あの中で楽しそうに、けれど虚しそうに笑う彼に違和感を覚えながら、探すのをやめられない。


 私を好きだという彼の言葉は、未だ信用出来ていない。

 しかし、最早言い訳出来ない深さまで、私の心に入り込んでいるのは確かだった。


 最近、頭が重い。

 いつからだろう。……あの日、彼女を深く傷つけたあの日からだろうか。

 あまり、眠れていない。

 自分はここまで弱い人間だっただろうか。


 彼女は、脅すような言葉とは反対に、柊に近づく私を静観している。

 相変わらず朝の雑巾や下駄箱に雑草を生やすなど地味な嫌がらせは続いているが、それ以上エスカレートする事はない。

 ちなみに、雑草は土足の方の片隅に入っていたので特に不都合もなく放置していたら、ある日水をやって育てている彼女を目撃した。しかも土足を濡れないように外に出していた。いじめる相手への気遣いなのかそうでないのかよくわからない行動だ。あれは完全に無意識だろう。天然なのかもしれない。

 下駄箱内の濡れた土は嫌がらせ度は増しているが、あのほのぼのとした光景を見て以来、怒りたいような和みたいような複雑な気分になる。うん。ある意味で嫌がらせは成功だ。


「……はぁ……、むぐ!?」


 不意に後ろから軽く口を塞がれ、目を白黒させる。

 べり、と剥がして振り返れば、柊だ。


「なに!?変質者ごっこ!?」

 私が噛み付くと、柊は飄々と肩をすくめる。


「いや、小弥の幸せを逃しちゃ不味いと思って」

 からかうような口調。ため息をつくと幸せが逃げるとかいうアレだろうか。


「それはそれは、私の幸せを守ってくださって真にありがたく存じます、騎士様?」

 皮肉たっぷりに返すと、柊の笑顔が苦笑に変わった。


「相変わらず可愛くねぇな、お前」

「唯一の取り柄ですので」

「アホか、他にもあるだろ」

 ぐしゃ、と髪をかき回すように撫でられる。

 不意打ちでフォローするのはやめて欲しい。冗談言うなら最後まで言い通せ。


 柊はこういう所が狡いと思う。

 からかうのに、全てを冗談で終わらせない。私の卑屈は、いちいち拾い上げて優しく諭す。


 改めて、不思議だ。

 これだけ魅力のある人が、どうして私なのだろう。

 私には何も返せない。

 私は、いつの間にか手に入れたこの想いさえも、返すことが出来ないのに。


 何故か、その理由を聞くのは怖い。

 何かが壊れてしまいそうで、私はこの中途半端に甘えた関係に縋っている。


「……おーい?」

 顔の前で手を振られ、我に帰る。


「なんか最近、体調悪そうだな」

「んー、なんかね」

「保健室行っとくか?」

「いや、いい。保健室ってあんまり意味ないから」


 保健室は、なんとなく辛いというだけで行くには行きづらい。

 怪我や、明らかな熱でもない限り、あそこはとても冷たい場所だ。

 教師にでもフレンドリーに話せる人ならば別だろうが、教師にどうしても遠慮してしまう私には肩身が狭い。

 確か、不登校、保健室登校になってしまう生徒が増えることを防ぐために敢えて甘えられない場所にしてあると、どこかで聞いた。

 

 なら、私の甘えられる場所は、何処にあるんだろう。


 ふと、柊を見る。

 無言で見ていると、珍しくたじろいだように目を泳がせた。


「ひいらぎ」

「な、に」


 にへ、と笑う。


「何でもない」


 駄目だ。これ以上、甘えられるわけがない。今ですら十分甘えているのだ。もっと頼ってしまったら、私は、一生抜け出せなくなる。


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