ある子爵令息の心境
俺には幼い頃から信頼する親友がいた。
あれは7才くらいの時だ。毎日続く剣の稽古に疲れ、俺は初めて家を飛び出した。
祖父や父の語るアルトラット家の歴史の話は好きだった。一代限りであった騎士家から手柄を立て、剣の腕で子爵家まで成り上がった話は誇りにも感じている。
しかし、同年代の子供達に比べ遊ぶ時間もなく、剣の稽古がない時間は跡取りとしての勉学に励む毎日は、幼い俺の心に少しずつ影を落としていったのだ。積もり積もった胸のもやもやは限界を超え、その時の俺はとにかくこの家から逃げ出したいという衝動に駆られた。
家を飛び出した後、子供がぎりぎり通れる抜け道を通り、がむしゃらにただ前に向かって走った。気がつくと平民の住む下町の辺りまで来ていて、荒くなった息を整えながらゆっくりと足を止める。
そこは散歩や休憩をする公園広場のようで、ベンチが数カ所設置されており、地面にはいくつかの木が、花壇には可愛らしい花が植わっている。
仲の良さそうな老夫婦や、楽しそうに話す買い物帰りのおばさん達、犬の散歩をする笑顔が爽やかな青年、色々な人がいる中、俺はある少年に視線が向いた。
「 いち、にー、さんっ。いち、にー、さんっ 」
古そうな木剣を両手で握り、汗をかきながら素振りをしているその少年は、俺と歳が変わらないように見えた。周りを見ても剣を教えている先生などはおらず、真剣な表情で一人汗をかいている。
俺はいつも祖父や父、その弟子達にしつこいほど指導されているというのに⋯⋯。
俺は彼が気になり、近づいていった。
「 師はいないのか? 」
「 いち、に⋯⋯えっ、四は数えないかって? 」
「 違う。四のことではなくて、師だ。師匠、指導者はいないのか? 」
「 いない。俺の家はパン屋だからな、パン作りの指導者ならいるぞ。親父と母さんだ 」
そう言ってにかっと笑った彼は、とても眩しかった。
今考えれば、見るからに平民である彼に不躾な質問をしてしまったと思う。
剣の師匠など簡単には見つからない。専門の指導者に教わるとしてもお金がかかるのが普通で、平民がそう気軽に指導を受けられるものではないだろう。
しかし、その当時の俺は自分の家から出たことがあまりなく、貴族の常識しか知らなかったのだ。
俺は続けて彼に質問をした。
「 騎士になりたいのか? 」
「 ⋯⋯うーん、この国で平民から騎士になろうと思ったら、よっぽど優秀か運が良くないと駄目だって親父が言ってた。だから、今のところは上級の傭兵を目指しながら、出来れば王立魔法学園に行きたいと思ってるな 」
「 そうなのか。俺は今、騎士になるために訓練中なんだ 」
具体的な目標を持って進む彼が眩しくて、少し対抗心が出てしまった俺は、自分の目標を堂々と言った。
その時には何故か、家を飛び出す前に感じていたもやもやが不思議となくなっていたのだ。
「 へぇー、すげーな! お前、名前は何て言うんだ? 俺はダン、ダン・ルッソっていうんだ! 」
彼はダンと名乗り、片手を差し出してきた。
俺はその手をしっかりととる。
「 俺はシリル。よろしく、ダン 」
俺達は笑顔で握手を交わし、そのあとお互いの夢について語り合った。
それが俺とダンの最初の出会いだった。
それから俺は今までより真剣に稽古に打ち込むようになった。
家族達は家を抜け出したことについて、俺を特に咎めはしなかった。それどころか、たまに抜け出すことを黙認してくれていた。我が家はいい意味で実力主義なので、剣の腕さえ上がっていて、特に非行に走ることもなければ少し家を抜け出すくらいは許されるらしい。
もしかしたら、俺が気づいていなかっただけで、外出中も見張りはいたのかもしれないが⋯⋯。
「 ダン、家から木剣のあまりを持ってきた。これで打ち合いをしよう 」
「 おいおい、会って早々に打ち合いの話か。挨拶くらいしような、シリル 」
家を抜け出す理由は一つだ。ダンに会い、一緒に剣の訓練すること。この時間がなにより楽しい。
ダンは強い。独学とは思えないくらい強い。だが、俺も負けてはいない。実力は五分五分だ。
俺達は親友であり、競い合う好敵手でもあった。
「 よしっ、今日は俺の勝ちだ 」
「 ダン、戦いながら木に登るなんて卑怯だ 」
「 その場にあるものは全て使う。卑怯じゃなくて頭が良いと言ってくれ 」
「 ぐぬぬ、確かにそうだ。ダンは頭が良い 」
「 シリルは素直だなー 」
ダンも俺と過ごす時間を楽しんでいるようだった。剣の訓練以外にも、王立魔法学園に入学するための勉強を一緒にしたり、祭りで買い食いをしたり、悩みを相談し合ったりと、俺達はお互いにとって大切な存在だった。
俺が貴族ということは間違いなく気づかれていたが、ダンは遠慮をすることなく接してくれていたのだ。それが俺には、俺達が対等な関係という証拠のように感じてなにより嬉しかった。
そうして時は経ち、俺達は無事二人揃って王立魔法学園に受かり、入学した。
ダンの入学が決まった時、俺は彼以上に喜んだ。王立魔法学園に入学出来れば、ダンも俺と同じように国王直属の騎士になれる可能性があるからだ。
「 ダン、これからもよろしくな 」
「 ああ、よろしくシリル⋯⋯ 」
その時、俺は一人浮かれて、親友の僅かな変化に気がつかなかった。
残念ながらクラスは分かれてしまったが、俺とダンの親友関係は今までと変わらないと思っていた。むしろ一緒にいられる時間が増え、充実した学園生活が送れると信じていたのだ。
だが、変化はすぐに起こった。ダンは俺を避けるようになったのだ。
話しかけると応えてくれるが、ダンからは一切近づいてこず、話しかけてもこない。彼はいつも平民出身の生徒達と一緒にいた。勇気を出して避けている理由を聞いても、はぐらかすだけで教えてはくれない。
しばらくそんな日々が続いた。
俺も次第に腹が立ち、彼を見かけた時つい口から嫌味が出てしまった。
「 平民同士楽しそうだな。纏う空気が一緒だと安心するのか? 」
「 ⋯⋯⋯⋯そう⋯⋯だな 」
ダンは悲しそうな顔でそう答えた。
俺と一緒にいた貴族出身の生徒が笑う。ダンを馬鹿にしているようだ。
彼らは俺とダンの関係など知らない。ただ俺が平民を馬鹿にしたのだと思ったのだろう。
違う。全く違う。俺は小さな子供のようにやきもちを焼いただけだ。
一番の理解者だと思っていたダンが、他の平民出身の生徒達と仲良くしているのを見て、無性に腹が立ってしまっただけなのだ。
決して、彼らを馬鹿にしたかったわけではない。俺もあの輪に入りたかっただけなのだ。
ましてや、彼のあのような悲しそうな顔を見たかったわけではない。傷つけたかったわけではないのだ。
ただ以前のように笑い合い、語り合いたかっただけだ⋯⋯。
俺は居た堪れなくなり、無言でその場を後にした。
人通りの少ない庭園のベンチに腰掛け、すぐに謝れば良かったと後悔をする。自分のことが心から嫌になっていた。
「 ねぇ、大丈夫? とても顔色が悪いけれど⋯⋯ 」
そんな俺に話しかけてきたのは、同じクラスの女子生徒だった。確か男爵家のエイミ嬢とかいったか。
彼女は図々しくも俺の隣に座ると、静かに身を寄せてきた。
「 放っておいてくれ。君には関係ない 」
「 そんなこと言わないで。誰かに話せば楽になるかもしれないわ 」
最初は馴れ馴れしい彼女を俺は遠ざけようとした。
しかし、不思議なことに彼女の瞳を見た瞬間、全てを話したくなってしまった。
俺はダンとのことを包み隠さずエイミに話す。
「 ⋯⋯そう、それはひどいわ 」
「 そうだ、俺はひどい人間だ 」
「 違うわ。そのダンっていう平民がひどいのよ。シリルは少しも悪くない 」
お前にダンの何がわかる。
そう言ってやりたかった。
だが、エイミの瞳を見ると、その怒りが消える。そして、彼女の言葉が正しいように感じてしまう。これ以上この瞳を見てはいけないと思いながらも、目が離せない。
「 平民の生徒なんて、この学園に必要ないわよね。貴方は賢いからそれがわかっているのよ。そのダンってやつも常識の分からない非道な人ね 」
そうだ、エイミのいうことが正しい。ダンはひどいやつだ。平民の生徒なんてこの学園にいらない。
なんだか気が楽になってきた。平民のことで悩むなんて馬鹿らしく感じる。
「 ふふふ、私達、もう友達よね。シリル 」
「 ああ、そうだな。ありがとう、エイミ 」
エイミが俺の頬を撫で、優しく笑った。
お読みいただきありがとうございます。




