正直言って逃げたいです!
リルはバイクの姿を取ることで、私に問いかけている。
逃げるのか、それとも悪魔を追いかけるのか。
私は深く呼吸した。
「逃げても、いいと思う?」
バイクのフロントカウルは、うなずくように上下した。
誰だって命は惜しい。勝ち目のない戦いなんて、避けることが一番だ。私はきっと道を間違えているわけじゃない。
そうだ。私は逃げてもいいんだ。
逃げなきゃいけない、じゃなくて。
グリップをギュッと握る。
「リル。ごめん、巻き添えにするかも。リルはそれでもいいの?」
うるせぇ、と言いたげにカウルが震えた。
バイクは唸りをあげ、ぶわりとリルの操る風が湧き上がる。合図を待つグリップが心なしか張り詰める。
深呼吸してみると、肺が恐怖に震えていて笑った。
「……前世じゃあ、何かを望むなんて悪いことだと思ってた。私なんかが一歩を踏み出そうなんて、罪深い欲張りだって。我慢してるなんて自分で気づけなくなるくらい」
でも。
今の私は。
皮肉なことに、美少女だ。
「──リル、頼らせて。一秒でも早く街に着きたい!!」
がうん、とバイクはひと吠えを上げて飛び出した。
(ぉおおッ?!)
悲鳴をあげることもままならない。
風が身体にまとわりつく。リルが車体をふわりと揺らした反動で私の腕がウッカリ離れそうになる。
高速で空気にぶち当たることで生まれる相対的な風は、私をリルから離れないように抑えてくれる。でも私の身体に隙間が生まれると、その瞬間から私はリルから引き剥がされるだろう。
どこを走ってるのか見る余裕もない。
《身体強化》がない素の身体のまま、死にものぐるいでバイクにかじりつく。
森を踏み潰すように駆けるリル=バイクが、木の幹を避ける。直後にカウンターを入れて逆に傾いた。ばうん! と木の根に弾む。
(うぉ!?)
低く跳ねた車輪が凶悪に空転し、再び地面に食らいつく。
どかんっ! 着地の反動が貫いた。
(やべっ──)
身体が剥がれる。
壮絶な気流の力に、指からグリップが引き剥がされる。
「──【身体強化】ァッ!!!」
引っかかっていた指の力だけで、押し潰すように私自身の身体を再びバイクに押しつける。
どくどくと、煮えたぎるようなアドレナリンが身体を脈動するのを感じる。
「へ、へへっ! あはっ! やるじゃねえか私ィ!」
変な感じに笑いが漏れる。どくどくと、高められた身体能力に魔力が脈動していく。
今使った【身体強化】は、チートスキルじゃない。《魔術の神髄》による魔法だ。
私にしてはとっさによく思いついたものだと思う。
「でも出力不足だ。《魔力強化》! うぅーん……」
《魔力強化》は奪われかけの微妙な状態だったようで、一応かかりはした。けど少しだけだ。以前ほどの瞬間火力は得られない。
私がしっかりとしがみついているのを感じたリルは速度を増した。市壁がみるみる近づいて、リルは車体を横向けに滑って止まる。
見上げればそこはもう門の前。
「何者だッ!? お前の乗っているそれはなんだッ!?」
めちゃくちゃ声のでかい門番さんが声をかけてきた。私は叫び返す。
「避難を! 悪魔が、ヤバい魔物が迫ってきてます!!」
「なに……、」
表情を厳しくした門番さんは、私を見据えて声を低くする。
「予想される被害は」
私はつばを飲み込んでから、答えた。
「全滅」
門番さんはひとつうなずくと、振り返って門の柱部分に踏み込んでいく。そして小さな鎚を取り、
ガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガン!!!!!!
「うるさっ!? なに?」
「警鐘だッ! 街に避難を報せているッ!!」
門番さんの声はデカすぎて警鐘の騒音下でも聞こえてきた。
私は遅れて彼の言葉の意味に気づき、ギョッとする。
「そんなすぐ信じていいんですか! 街全体の大事ですよ!?」
「そういえば貴様は流れ者の新入りだったな。覚えておけッ! 門番は本気で街を守っているッ!!」
渾身の力で警鐘を鳴らし続けながら、門番さんは私をにらみつけて断言した。
「二度も大物狩りを成し遂げた冒険者が、泡を食って『逃げろ』と叫ぶ危険を前にッ! 市民の避難を遅らせるような愚は犯さんッ!!!」
力強いなんてものじゃない、それは決意だ。
私は面食らったまま門前で立ち尽くし、私が見ている前で街の人々は荷物をまとめて家を出ていく。
人々の顔に困惑はあるけど、混乱はない。パニックも不安も見せずテキパキと避難の途につく住民にもう一度びっくりする。
めちゃめちゃ訓練されてる。
「街道沿いの小さな冒険者の街だ。大型の魔物が蹂躙する想定くらいされている。そう時間もかけずに避難は完了するだろう」
ふむん! と鼻息も荒く、門番さんは警鐘を鳴らし続ける。
「間に合いそうか」
「どうでしょう、さっきは余裕ぶっこいてゆっくりでしたけど……どおっ!?」
リル=バイクが突然動き出し、スピンするように方向転換した。
街道の先、森の中で重い振動が響く。《身体強化》の化け物脚力で走っている。迫っている。
「時間はないです。稼ぎます!」
「助けはいるか!?」
「いります! MPの足しになるものを集めておいてください! たぶん押し切られるので!! そう長くは稼げない……」
言葉の途中で、リル=バイクは駆け出した。私は【身体強化】の魔法を維持したまましっかりとしがみつき直す。
瞬きする間もない。
低く跳ねたリル=バイクが、回し蹴りのように後輪を振って。
飛来した暗い赤髪が拳で殴り返した。
「っどわぁああー!?」
とんでもない衝撃に脳がクラクラする。
リル=バイクは軽々と弾き返され、くるりと器用に森の枝をタイヤで蹴って幹を駆け下り、再び大地に両輪を噛ませる。
「ぅううるるるるる……!」
唸るリルの先で、私を模した肉体を操る悪魔が腕を払う。
長い赤髪が翻り、忌々しげな形相があらわになった。
「人間の気配が、蜘蛛の子を散らすように引いている。あの騒がしい鐘の音だ。報せたな? 我の到来を……!」
「へっ。悪魔様も慌てふためいて追ってくるんだね。知らなかった」
「漁の仕掛けを勝手に荒らされて、腹立たぬやつもいないだろう。いたずらに手間を増やしてくれたな」
「漁って。あんたが仕掛けたわけでもないでしょうに」
言いながらリルに顔を寄せる。
(足回り、痛めてない? 走れそう?)
リルは「問題ない」とばかりにフロントカウルを上下に揺らす。
リルに頼れるならそれが一番ありがたい。
《魔術の神髄》でMP効率を極限まで高めてるから、私の今のMPでもそこそこ魔法は使える。けど威力には目をつぶらざるを得ないし、MPもチートスキルの使用回数も無尽蔵なわけでもない。
残りMPは、わずかに18。
魔法のたびに《マナ無尽》を切るとしても、使用回数は28回。
正真正銘、これが全て。
これだけで綱渡りを駆け抜けなきゃならなかった。
汗のにじむ手でグリップを握り直す。
悪魔の宿る私の顔が、凶悪な笑みに釣り上がった。
「時間を稼ぐ腹だろうが、……逃げなかったことを後悔するがいい」
ーー《武の極地》
ブン、と残像すら残して拳が頭の横を通り過ぎた。
ほとんど横倒れになったバイクはその場でタイヤを猛烈に回し、泥を蹴散らして足払い。悪魔は軽々と飛び越えてカカト落としを振り下ろした。
そのときにはリル=バイクは駆け去っている。
「はッ! もう逃げているではないか!?」
嘲笑う悪魔の声が背後ではなく右から左へ流れていく。大きくターンして、リルが悪魔に再び迫っていく。
(ヤバい)
私は戦慄に背筋を冷やしていた。
(なにが起きてるのかわからない)
【身体強化】で肉体は強く鋭敏になった。でもチートスキル《武の極地》がない私では、バトルセンスが致命的に欠けている。
いかに外付け魔法の才能《魔術の神髄》をもってしても、持ってないものを増強することはできなかった。
「視えているぞ、魔物娘!! 貴様の急所はーーその小娘だ!」
びッ、と首の皮が裂けた。
赫赫と輝く悪魔の眼光が眼下を離れていき、首筋をかすめた手刀が遠ざかっていく。
激しく宙返りしながらリル=バイクは私を庇ってアクロバティックに飛び退った。
「貴様らを素通りするのも癪だ。誘いに乗ってやる……一秒でも長生きできるよう、せいぜい地を這い回れ!!」
あれ? 間合いをとってたんじゃなかったのかな? という衝撃がすぐ近くで一合、二合。
水平にぶん回りながらリルはピンボールみたいに器用に木の幹を跳ね回り、悪魔の攻撃を辛うじていなしている。
いや、違う。防ぎきれてない。
リルの体が苦痛にあえぎ、不規則に震えている。《身体強化》と《武の極地》の重ねがけを相手取って肉弾戦で渡り合えるわけもない。
くそ、私は完全にお荷物じゃないか。集中的に私を攻撃する悪魔から、リルが死にものぐるいで守ってくれているのが感じられる。
私とリルの魂はつながっているから、私を仕留めればリルもまとめて始末できるのだ。
無い物ねだりしても《武の極地》には迫れない。せめて、何が起こってるのかちゃんと理解して、この高速バトルについていければ……!
(それだ!!)
その瞬間、身をよじったリル=バイクのカウルをえぐりながら、悪魔の抜き手が目前に迫る。
閃くような一撃から目を離さずに、心で叫ぶ。
(【思考加速】ッッ!)
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