縁あって宴会
「ありがとうございます、わざわざ」
受付さんは個室料金を一部払ってくれた。
いつものボックス席だ。木のテーブルも広々として、薄いクッションを並べた木のベンチに座る。衝立と暖簾の間仕切りで作られた空間も、大人二人と子ども一人では広く感じる。
恐縮して頭を下げる私に、受付さんは笑う。
「気にしないでください。フォルトさんにはなにかと迷惑をかけていますから、ほんのお返しです」
「……迷惑? とは?」
「ほら、はじめの認可もずいぶん遅れてしまいましたし。エルダーイミテートも、大鹿も、フォルトさんの特殊な生い立ちに頼らなければ惨事につながっていました」
ギルドの管理能力不足です、と受付さんはうなだれてしまった。
「いやいや! どれも事故みたいなものじゃないですか。予知して防げるようなものじゃないです」
「……ありがとうございます」
いろんな言葉を飲み込んで、受付さんはヘラっと笑った。
どうやら少し呑んでいるらしい。
ぐっと身体を起こして伸びをした後に、力を抜いて私を見る。
「フォルトさんはどうですか? ソロ冒険者に戻ってみて」
「やっぱり楽じゃないですね。視野と手数、なにより攻撃力が足りないです」
「困ったら言ってくださいね。仲間に加えてもらえるよう口利きできますから」
「ありがとうございます……でもなるべくお世話にならないよう頑張ります」
固定パーティばかりだ。そんなところに割り込むのは気まずい。
受付さんは苦笑してお酒を口にした。
「フォルトさんって……」
グラスを置いて、酔いに潤んだ目で私を見る。大人っぽい所作にドキリとする。
「故郷に帰りたいと思いますか?」
「……な、なんでですか?」
「妖精郷から来たチェンジリングの攫われ子なんて気になるじゃないですか。どんなところなのか、どんなふうに育ったのか、なんであんな強い力を使えるのか。それに……故郷をどう思ってるのか」
「…………」
私は即答できなかった。
つい昨日、サーシャが故郷に帰ってしまって。それがキッカケで私はソロに戻ったのだ。
私にとっての故郷とは、なんなのか。
「正直、まだ実感湧いてないんですよね。私は本当は"どっち"にいるのか」
現代日本のことを思い返すのは、少し苦痛だ。
赤い、黒い、まるで閃光を引きちぎったみたいに錯綜する視界。
脳みそが激しく揺さぶられて、まるで崩れたプリンみたいに。
鉄よりも重くて、熱くて冷たい、滑り落ちるような――死の感覚。
なによりも鮮明な"終わり"の感触は忘れたくても忘れられない。
でも――じゃあ、私はどこにいる?
現代日本で私が終わったなら。女神や、女神の加護やこの世界は、私の人生の地続きなのか?
私はまだ日本で死にかけてる最中で、長い白昼夢を見ているだけってことは?
あるいは逆の可能性もある。
日本にいた記憶は本物なのか? 私は本当に妖精郷からはぐれてしまったワンダリング・チルドレンなのかもしれない。
「ひとつ確実に言えるのは」
私は大皿に並べた骨つき肉をふたつ取る。ひとつはリルの口元に運んで食べさせた。もうひとつは――自分で食べた。
薄くまとった衣にタレがよく絡み、塩味の効いた鶏のサッパリした味わいが薫る。
旨い。
そう。今、私は旨いと感じる。
「私は、今ここにある状況に臨むしかないってことですね。……なので、故郷うんぬんは特に考えてないです」
受付さんは優しく微笑んで、うなずいてくれた。
「変な質問に答えてくれてありがとうございます。お礼にこの食事はおごりますね」
「えっ! いいですよそんな、悪いです」
「気にしないで。たくさん食べてくださいね」
「ええ……じゃあ、恐縮です。ありがとうございます」
支払い伝票をパッとさらって席を立った受付さん。
私の故郷のことがそんなに気になったんだろうか?
「あ! 待ってください、受付さん!」
呼び止めてから、いや「受付さん」はないだろうと気がついた。
受付さんは振り返った。
「なんですか?」
表情は穏やかで、なにも波立つ気配がない。
内心ほっとしながら聞かなきゃいけないことがあったことを話す。
「……囁いてくる魔物って、ご存知ですか? 森で、『故郷に帰りたくはないか』って囁かれたんです。なんか願いを囁く系の存在じゃないかと睨んでるんですけど……私の願いじゃないですし」
「誘う魔物、ですか」
受付さんは唇に指を添え、斜め下に視線を逃して考え込む。
「……報告に心当たりはないですね。門番には?」
「聞きました。わからないそうです」
「それなら少なくともギルドの記録にはないですね。お力になれずすみません」
「とんでもない。ちょっと気になってるだけですから、ありがとうございます」
慌てて御礼を伝える。受付さんはにっこり微笑んで私の感謝を受け取ってくれた。
そしてふと顎を引く。
「願望を囁いてくる、とは。なんだか……悪魔みたいですね」
「悪魔……この世界にも悪魔の伝説が?」
「はい。堕落の道を囁く存在です。性善説に基づく善悪二元論の産物ですね」
受付さんの言葉に密かに驚く。
だって悪魔だよ。異世界で。架空の存在としての悪魔だ。
まあ……地球の裏側で同じような神話が生まれるのはよくあること。地球と異世界でも、同じ精神性を持つ存在なら同じ神話を創造するのは不思議じゃない。
「悪魔か……」
悪魔。堕落を囁く存在。
魔物が実在する世界でもそんな概念があるという。
考え込む私に、受付さんが声をかけた。
「フォルトさん」
「あっ、はい!?」
「私の名前はアレイナといいます。なにか困ったら、私を指名してくれればお力になれるかもしれません」
「アレイナさん……ありがとうございます」
アレイナさんはにっこり笑って満足げに立ち去っていった。
優しい人だなぁ。
リルが私を見上げていた。にっこり微笑みかけると、リルはあまり興味なさそうに顔を逸らして大皿の食べ物に手を伸ばす。
(……でも)
話す相手がいなくなると急に思い出す。
――もとの世界に、帰りたくはないか?
聞き間違いだったとは、どうにも信じられない。
あの声はなんだったんだろう。




