渇望するもの
「おい清五郎、手拭いあるか?」
「はい! ありますが」
「なら鼻と口を覆っとけ。普通の人間には辛い」
首を傾げながら清五郎は手拭いを鎧を着ている為狭くなった首元へ手を突っ込んで手拭いを引き出し口に当てる。僕は大丈夫らしいので何もせずいると、靄が段々と紫色へ変色していく。更に油臭いのと肉が焦げた臭いが混ざったような微妙な臭いが漂い始めた。
―足りない―
「お出ましだ」
――全く足りない――
「大々的にこれ以上は出来ませんよ。我々の狙いはあくまで扶桑、でしょ?」
――……まぁ良い。今から童が量産してくれようぞ、妖怪と人間双方の恐怖と苦痛で味付けした死をなぁ!――
空から降り注ぐ声を頼りに探すも見当たらない。暫くすると紫に変色していた靄が上空へ吸い込まれ雲のように集まり形作った後、更に変形しそれは徐々に生き物になって行く。
「康久、よく見ておくと良い。あれが九尾の狐だ」
白髪の公家の人が笑顔でそう言いながら空を指さすと、雲だったものは白く九つの尾を持った真っ赤な目付きの悪い狐に変わり下へと降りてくる。体の大きさは森から出ないくらいではあるものの空を見た時よりも迫力があり、それは僕らの方ではなく大和周辺に行った伊勢軍の妖怪たちがこちらへ逃げて来ていてそれを妨げるように森の木をへし折り立ち塞がる。
少し間があった後悲鳴と共に光の揺らめきが複数立ち上り、九尾の狐にそれが集まる。恐らく口を開けて吸い込んだのだろう。そしてあれは妖怪たちの魂。
――人の魂も少し頂かなくてはいけませんねぇ――
こちらを振り返りニヤリとする九尾の狐。最強の妖怪として知られる彼女を知らない訳が無い。それにしても今回は化けずに直接そのまま出てくるなんて妖力が足りないとか何だろうか。見た感じそうは思えないけど。
――……お前は人間か?――
「僕ですか? え、ああ一応」
僕に視線を向けて訪ねて来たけど間違いだと嫌なので自分を指さすと九尾が頷いたので答える。その後後ろに居る白髪の公家の人を睨みつけながら見た。一応チートされてるっぽい感じだけで人間なはず恐らく。
――清明、何故この子の存在を黙っていたのです?――
「聞かれませんでしたし必要ないかと。伊勢に居た時九尾様も感じていた筈なのに問われませんでしたし」
へらへら答える白髪の公家の人こと清明さんに対し九尾は尾を立てて身を屈める。やばい攻撃してくる!? 僕らは急いで横へ走り出す。ギリギリかすらないくらいのところを九尾の吐いた蒼白い炎が駆けて行く。
振り返ると大嶽丸さんと清明さんが居た場所には光の玉のような物が現れ蒼白い炎はそれを溶かせず更に後ろに居た妖怪たちと森を溶かしていく。
「これは参った伊勢の妖怪が全滅だー」
「白々しいな清明……」
蒼白い炎が消え玉も消えると清明さんと大嶽丸さんが現れた。晴明さんは棒読みで天を仰ぎながら言い、大嶽丸さんは腕を組みつつ呆れたように言って首を振る。
――裏切るのか貴様ら!? 清明も大嶽丸も私が存在せねば生きられぬのだぞ!?――
「そんなものは百も承知」
「だが我らは玩具ではないし蘇らせてくれと頼んだ覚えも無いのだよ。貴様の都合で蘇らせておいて裏切るも何もない。我らの目的はただ一つ」
「「お前の首だ九尾の狐」」
――己蛆虫共が!――
九尾は高い声で天を仰ぎ鳴くと体の周りに青白い炎が出現し、九つの尻尾を振るとそれらは僕らに対して飛んでくる。
「さてさて始めますかねぇ」
「し、師匠これはどういう……」
「難しい話でもない。九尾の狐が伊勢を占拠し圧政を敷き怨念を生み出してそれを糧にこの国に居ない妖怪を生み出した。ただあの二人は生み出したと言うより死んだ人間の人魂を引っ張って仮の肉体に封じ込めたんだろう」
「た、田吾作たちは」
「残念ながらあれの中だろうな」
それを聞いて清五郎は茫然とし刀を下に向けて立ち尽くす。せめて自分の手で終わらせたい、そう願っていたものが叶えられず目の前の化け物の餌になってしまった。清五郎の戦の大きな目的が確実に無くなってしまいこれ以上の戦いは無理だろうと考え下がるよう言おうとしたが
「貴様ぁあああああ!」
「お、おい!」
「何なんだあの子供」
「知らん止めるぞ!」
何と勇ましいと言おうか無謀と言おうか清五郎は九尾の狐に斬って掛かった。それを見て僕も驚いたけど大嶽丸さんや清明さんも驚き一斉に九尾に斬りかかる清五郎を追う。
――舐めるなよたかが人間風情が!――
九尾は前屈みになり口を開くと前に青白い輪っかが現れた次の瞬間、青白い炎の線が輪っかの前から清五郎に向けて飛び出した。今から変身しても間に合わず清明さんも大嶽丸さんもクニウスも距離が遠い。
万事休すか、と無力さに苛まれ目を瞑る。
――な、何だと!? 何故お前がここに!?――
「久しいなぁ九尾よ。いつぐらいぶりかの」
声に驚き目を開けると清五郎が尻餅をついている前に誰かが居て両手を前に突き出して蒼白い炎を遮っていた。目を凝らして見るとそこに居たのは酒井様だった。
「な……」
「立て清五郎。お前の仕事は尻餅を着くのではないだろう? その怒りと気を吐き爺の冥土の土産にこやつを倒してみせい!」
――愚かな真似だけでなく妄言とは……たかが人間それもあの子より劣るものが童を倒す? 冗談にしても品が無いねぇぬらりひょん。人に塗れすぎてどうにかなってしまったのかえ?――
「これは面白い。人になりたくて人に憧れて人を殺めて封じられた御前よりは上品だろう?」
――ぬかしたな!――
連続して蒼白い炎の線を繰り出す九尾。僕は再度駆け出し酒井様の隣に神刀皇を構え追撃の線を切り払う。
「見事なもんじゃ」
「いや何で出来たのかわかんないですから期待しないで頂けると」
「君ならきっと平気だ。それに彼もね」
次の線を手で払う清明さんは僕を見た後清五郎を見る。全然良く分からないけど大丈夫なら今は気にせず九尾を倒すのみだ。
――塵芥が増えたところで童の身に刃が届くとでも!?――
「自分で百鬼夜行を潰しておいて随分強気じゃないか」
陽を背に何かが九尾に斬りかかり寸でのところで避けられるも追撃を行う。久し振りにみた姿はちっとも変わらないものの纏う気は数段以上上がっているのが分かって感動してしまった。
「何をしている康久、僕らも行かないと」
「おいおい無茶するなよ清五郎」
「ここでやらねばいつ無茶をするのです師匠! あいつを倒さなきゃ無念も払えず未来も無いんでしょう!?」
刀を握りしめながら震え叫ぶそうに言う清五郎。少ししてから顔の涙を腕で拭い顔を上げて追撃に加わる。
「参ったねぇお前さん以上のイノシシが居るよ」
「あんなに無謀じゃないっすけどね。それより随分と師匠として崇められるじゃないすか」
「確かにアイツの方が可愛げがあるよ」
清五郎を追い掛けて僕らも追撃に加わる。九尾は見た目の大きさからは想像出来ないほど素早く更に蒼白い炎の玉を無尽蔵に生み出し繰り出して来る為容易に近付けない。それでも皆それを被弾せず弾いて切り払ってと対処しているのは流石だ。
特に清五郎は危なっかしいもののそれを潜り抜ける度に研ぎ澄まされ遂には隙を突いて最初の一撃を加えた。それに予想以上に驚き身を飛び跳ねて距離を取った九尾。勿論僕らも手を緩めずそれを追撃する。
大和から少しずつ後退し顔にも驚きと焦りと苛立ちが出て来た九尾。攻撃も粗く清五郎の一太刀から続けて攻撃が入り始めた。
「修行の成果が凄いね」
「元から強かっただろう? まぁそれでもアイツを倒す為に俺は今ここに居る。こんな動物に梃子摺っている暇はない!」
僕のこの国での最初の相棒は修行の成果を遺憾無く発揮し九尾をきりきり舞いにさせている。前から動きが素早かったけど残像を残すほどの動きは無かった。それに刀に真っ赤な炎を纏わせ九尾はそれを確実に嫌がっている。
「あれは妖気なのかな」
「違うな特性みたいなものだ。鬼童丸は幼少期の出来事から炎を身に宿しそれを自在に使える……筈だったのだが心的外傷の所為でな。俺が言えた義理じゃないが」
ふと呟いたのが聞こえたのか一緒に戦う大嶽丸さんが僕の問いに一応答えてくれた。恐らくあの包帯の原因でもあるんだろうけど、まさかあれを修得させる為に負ったのかな。




