ホロ神と坊主
まだ妖怪や鬼たちが眼前に現れる程の昔の話。夕刻が迫れば、親は子に外へと出歩くなと教え込む。その教えに背くと、夜の者たちに攫われて食べられてしまうからだった。特に、南部にある山間の村では徹底していた。というのも、毎夜になると鬼たちが山から下り、列をなしては村を徘徊しているからである。
鬼の大きな笑い声。楽しいよ、面白いよと村人たちを誘うような声。誘われるようにして外に出ると食べられてしまう、村の者たちは毎日毎日それに耐えていた。
ある日、村の男衆が畑仕事の休憩中にその話をした。
「もう俺ぁ、限界だ。鬼のせいで寝られやしない」
「我慢せぃ。外にさえ出なければ、鬼は食わん」
「いや、我慢出来る訳がない。昨日なんて俺の子供が外へと出たがっていたんだぞ」
「あいつらは子供が好物だって言うからなぁ」
嘆く村人たち。それには原因がある、と一人の男が言った。
「元はと言えば、ホロ様が村をお救いになってくださるんじゃなかったのか?」
怪訝そうにして、彼らはここから見える祠を見た。そこには村を守るための守り神が奉られてると言うらしいが、その神は一度も村人たちを助けた事は無かった。何度も何度も村の者たち全員が食べ物を捧げても、お願いをしてもだった。
「どうすれば、村に平穏が訪れるのか……」
一同困った顔をしていると、村の入り口の方から何やら騒がしくなってきた。男衆は何事だ、と顔を見合わせていると――。
「大変だ、大変だ!」
駆け足で村の子供たちがやって来た。
「一体どうした?」
「村に坊さんが来たんだ! 村長が言っていたよ。きっと坊さんならば、夜の鬼を退治してくれるじゃろて」
「それは本当か!?」
本当だよ、と自信満々の子供たちの表情を見て、彼らは歓喜を上げた。これで毎夜安心して寝る事が出来る、と。
畑仕事を放ったらかしにして、早速坊主がいる村長宅へと足を急がせた。それ程までに嬉しい話だったのだろう。
村長の家へと向かうと、既に話を聞き付けたのか、女衆も窓から眺めているようだった。
「おう、噂の坊さんは?」
「中だよ」
そう聞いて、村長の家の中を覗くと、村長と対峙するようにして座る一人の坊主がいた。今は彼が村の現状を話しているようであり、坊主は静かに話を聞いている。
「――ですから、私も村人全員が怯えながら晩を過ごしているのです」
「……なるほど。しかし、この村には守り神らしき気はしますが……」
「ホロ様の事でしょう。ホロ様は確かにこの村の守り神ですが、一度も私めらをお救いになられた事がないのです。いくら食べ物を捧げても、何をしてもうんともすんとも言わずに……」
「それでは、その神様を奉っている祠へと案内してもらってもよろしいでしょうか」
「は、はい。こちらです」
村長は坊主に村の守り神を奉っている祠へと案内した。そこを彼は隅々まで見ると――「これは、これは」と眉根を寄せる。
「ここはどうも鬼たちの通り道であるし、何より邪気のせいで、神様は眠りに就かれてしまっている……」
「そ、それじゃあ……」
「いくら頼みを乞うても救えませぬ。――何、私にお任せください」
彼がそう言うと、村長に一枚のお札を手渡した。
「今晩は村人全員を同じ場所に集めて、入り口にそのお札を張っておきなさい」
「わ、分かりました……」
村長は彼の言う事に従って、今晩は村人たちを自分の家に集めて過ごす事にした。坊主も夜にやってくる鬼退治の為に準備をする。
まずはホロ神の祠の前にスギの木で出来た指輪を置き、その眼の前で座禅を組んで精神統一をする。それは夕刻になっても、夜になっても続いた。
そしてやってくる鬼たちの時間。
じっとその場に座って待ち構える。気配を感じ取る為に、もっと集中した。
村人全員が村長の家へと集められて、坊主が心配になった彼らは鬼たちに見つからないようにして窓の外を見た。祠の前に座る彼の背中は頼もしいと思える。
「……これで、俺らの村は安心出来るのか」
「坊様に感謝、じゃな」
最早、彼が来てくれたおかげで怖いもの無しとでも言うようにして村人たちが笑っていると――。
「外に出て来いっ!!」
野太い大きな声がした。鬼が来たのだ。坊主がいるからとして、油断は禁物。いつものようにして、自分たちが自分の家で寝ずして一か所に集まっているのは下手すれば彼の身も危険だと言う可能性もあるから。
「でも、坊さんは大丈夫じゃろうか?」
そっと、一人の村人たちが窓から外を覗くと――ぎょろり、と大きな目玉が見えた。いや、その目玉がこちらを見ているのである。
「ひいっ!?」
「人間じゃあ!! 人間が一か所に集まっとるぞ!!」
「何だって!?」
「おお、こちらには坊主がいるじゃないか!!」
とうとう、自分たちは食われてしまうのか。そう、村人たちが絶望する最中、坊主だけは諦める事も無く、お経を唱え続けていた。そのおかげで、彼を食べようとする鬼たちは手を出す事が出来ずに歯を立てる。
「くぅっ!? 何じゃい!! 坊主如きが!!」
段々はっきりと、村人たちがいる家の方にもお経は聞こえてくる。そうしている内に、ホロ神の祠に異変が起こった。
勢いよく扉が開かれる。だが、そこから何も出てこない。
「な、何じゃあ?」
鬼たちも戸惑いを隠し切れずにいると――。
「うるさいんじゃあ!!」
一匹の鬼に向けて、祠の方から何者かが得物らしき物を投げてきた。それは物見事に命中すると、それは消え失せてしまう。
「……これは、これは……」
誰よりも大声の持ち主の正体は――この村の守り神であるホロ神である。だが、長年の鬼たちの邪気により、本来の神としての姿を保つ事が出来ずに悪神としての姿に成り代わっていた。
「……お前か、わしを目覚めさせたのは」
「お初にお目に掛かります、ホロ様。私はあなたを目覚めさせる為に小うるさいお経を唱えたのです」
「ほう? うるさくしてわしに何の用じゃ?」
「見て、分かりませぬか。村は鬼より被害を受けているのですよ」
「……むむっ、わしが寝ている間にそのような事が……!」
それは許せぬ、としてホロ神は鬼に向かって投げつけて、地面に落ちていた得物――剣を握ると、斬りに掛かる。鬼も負けじ、と彼だけでなく坊主や村人たちを捕まえようとするが、お経やお札によって弾き返されてしまった。
「何じゃあ!? 聞いておらんぞ、こんな鬼神がおるなんて!!」
逃げようとしても、ホロ神は逃がさない。何故ならば、自分が眠っている間に守るべき場所を好き勝手にされていたから。
だからこそ、戦う。一匹残らずして。
最後の一匹を退治したホロ神は坊主に対して「ありがとう」とお礼を言った。
「どうやら、あまりにも長い間眠りに就いてしまっていたらしい。少しばかり、体が衰えているようじゃ」
「……ホロ様、あなたは少しばかりどころか相当衰えていますよ」
彼のその一言で衝撃を受けたような顔を見せた。それはどういう意味か、と。
「長年、鬼たちの邪気によって、本来の神様としての姿ではなく、悪神の姿になっておられまする」
それでも、村を守ると言う気持ちはあるようだった。それは坊主でも分かった。だから、と彼は地面に置いていたスギの木で出来た指輪をホロ神に渡す。
「ホロ様、私と共に徳を積む為――全国行脚しませんか?」
「……お前とか?」
「そうです。そうして、またこの村へと立派な守り神として帰ってくる。どうでしょうか? その指輪は古来より神様を人に化けさせる為の物ですし、悪気を少しずつではありますが、浄化する事だって出来ます」
坊主のその話を聞いて、彼は窓から覗き込んでいる村人たちを見た。
彼らはこうに至るまで、鬼たちに怯えながら暮らしていたのだ。自分は何もする事が出来ずして――。
それならば、とホロ神は坊主の方を見た。
「ならば、わしは彼らを守る神として再び返り咲く為にお前と共に旅に出ようではないか」
彼のその言葉に坊主は頷いた。そして、ホロはこちらを見続けている村人たちに向かって「すまぬ」と頭を下げる。
「今のわしではお前たちを守れぬ。故に、坊主と共に修行をして、またお前たちを守らせてくれぬか?」
「ほ、ホロ様……」
村長に続いて、村人たちが彼の下へとやってくると――「お待ちしております!」そう、温かい言葉を掛けてくる。
「私たちはいつまでもホロ様のお帰りを待ち侘びておりまする。それまでに、この祠は私たちが守り貫きましょう」
「……ありがとう。お前たち、ありがとう……」
彼らの言葉が嬉しかったのか、彼は近くにいた子供を抱き上げて、気合を入れる。
「わしは必ずこの地に帰ってくるぞ!!」
こうして、ホロ神は坊主と共に本来の神へと戻る為の全国行脚をする事になるが、それはまた別のお話である。
スギの木の指輪・・・本作オリジナル設定のアイテムです。