旅立ち
窓から陽光が差し込む部屋の中、白いベッドの上でロウは目を覚ました。
目線の先には、少女の青い瞳が映っていた。
「……セリア?」
ロウに呼び掛けられて、セリアはふと我に返る。
「あっ。お、おはようございます」
「ん。おはよウ」
色々聞きたいことはあったが、ひとまず挨拶を返した。
「ここはどこなんダ?」
「えっとですね、宿場町の診療所です」
再び質問しようとすると、セリアが手で制してくる。
「事の経緯は後でお話ししますから、まずは医師の方に体調を診てもらいましょう」
すぐに事情を知れないことが少々不満ではあったが、少年は頷いた。
ロウの同意を確認して少女は丸椅子から立ち上がり、部屋の外へ出ていく。
待っているあいだ、窓の外を眺めながら昨日の記憶を呼び起こそうとしていると、耳の端でドアの開く音がした。
振り返ると、そこには見慣れない姿の女性が立っていた。
身に付けた白衣と一つに纏められた緋色の髪、そして何よりの特徴は普通の人間には見られない尖った耳だった。
敵意がないのは明らかだが全く見覚えがないことも確かなので、ちょっぴり警戒する。
「目が覚めたのね」
澄んだ声色で呟くと、静かに歩いてベッドの隣の丸椅子に腰掛けた。セリアはついて来ていなかったようだった。
「あんたが医者カ?」
「えぇ。そうよ」
「セリアはどうしタ?」
「彼女は別の部屋で待ってるわ。安心してちょうだい」
ロウの立て続けの問いに短く答えると、女医は一つ咳払いしてから逆に訊ねる。
「君、昨日から今日のお昼までずっと眠っていたわけだけど……調子はどう?」
丸一日寝ていたことにはさして驚かずに、少年ははっきりと答えた。
「万全ダ。問題なイ」
実際、負傷していた傷は微かに痕が残っただけで殆ど塞がっていた。
「左腕はどう?」
言われて、ロウは左腕を触って具合を確かめてみる。
「ちょっと違和感はあるが、繋がっていると思ウ。多分、動かせル」
「そう。良かった……」
怪我人の回復に、女性はほっと胸を撫で下ろす。
「しかし、獣人って凄いのね……」
女医はじぃっと少年の頭に生える獣の耳を見た。
「獣人を知っているのカ?」
ロウは興味深そうに医者に訊ねる。
女医は鷹揚に頷いた。
「まぁ、知識として一応は。会ったのはあなたが初めてだけど」
ここで、漸く人間らしからぬ耳に目が入った。
「そもそも、あんたも特殊な人種なのカ」
女医はきまり悪そうに目を逸らす。
「え、えぇ」
妙な反応に首を傾げる。
「どうしタ?」
「い、いえ。なんでも」
「それにしても妙だナ……。俺でもここまでの治癒力はない筈ダ。あんたが何かやったんじゃないカ?」
純粋な疑問だったが、女医は少々答えにくそうに口を開いた。
「……ちょっとだけ」
「どうやって?」
「えっと……」
医者は益々言葉に詰まる。説明しようか否か考えているようだったが、悩み抜いた果てに口を開いた。
「私の種族もちょっぴり不思議な能力があってね」
ロウは頷いて続きを促す。
「簡単に言うと、人間の中身の中身が見えるの」
そう言って、自らの若草色の瞳を指差した。
「つまり、身体を構成するものまで見えル……?」
ロウの見解に、女性は満足げに頷く。
「そう。それであなたの骨折した箇所を見て、くっつけたのよ」
「……」
さっきまで話しにくそうにしていた点からみて、まずまともな方法ではなかっただろう最後の一言を聞いて、ロウは閉口した。
少年の怪訝な目に、女医は慌てて弁解する。
「いやほら、別に複雑に折れてるとか粉砕しているというわけではなかったから、無理やり……じゃなくて、ちょっぴり強引に動かしたら何か噛み合ったというか……」
「本当に、よく治ったナ……」
とんでもない荒療治にロウは呆れたが、結果としては快方に向かっているので良しとした。
色々と気まずい雰囲気になったところで、女医はこの場を切り上げることにする。
「さて、話はここまでにして、と。私はご飯を作ってくるから、セリアちゃんと一緒に待ってて」
腰を上げ部屋を去ろうとする彼女の背中に、少年は声を掛けた。
「あの」
医者は一度立ち止まってから振り返る。
「その……ありがとウ」
ぎこちない、けれど真摯な感謝の礼だった。女性は温かい笑みで以て答える。
「どういたしまして」
そしてまた踵を返し、扉を開けて部屋を出ていく。
それを見送ってしばらくした後、再びセリアが戻ってきた。
「どうしてたんダ?」
「邪魔になってしまうかと思って、別の部屋で待ってました」
「そっカ」
ちょっと沈黙して、ロウは聞きたかったことを思い出す。
「そうだ。事情、教えてほしイ」
「あ、そうでした。といっても、そんなに話すことはありませんが……」
と、一つ前置きしてから、セリアは話し始めた。
「えぇと、戦いが終わってバージェスさんの治療をしたあと、あなたが倒れてしまって」
「それからここへ来て、傷を診てもらったんです」
そこで一旦言葉を区切った。
「あいつは約束は守ってくれたんだナ?」
「はい。その後すぐ彼は兵士達を連れて、事の次第を報告するためにザクセンへ帰っていきました」
「はぁ……」
何だか気の抜ける話だった。セリアが自由になったことを素直に喜ぶと共に、顔の見えない騎士のことがなんとなく心配になる。
「……あんな約束をして、おっさんは大丈夫なんだろうカ?」
ロウの疑問に、セリアは笑って答えた。
「そのことは問題ありませんよ。だって……」
○
ザクセン城の王の間へ、でこぼこの鎧を着たままバージェスがやって来た。腹には緑の布を巻いていた。
「只今帰還致しました。王よ」
主の前へ進み、恭しく跪く。
「ご苦労。……随分、派手にやったようだな」
王は呵呵と笑った。騎士は取り敢えず黙っていた。
「して、結果はどうだったのだ?」
今度はしっかりと答える。
「はい。私が相対した少年は、セリア様の護衛に相応しい人物であると、断言します」
騎士の言葉に、娘の父親はしばし目を閉じて、それから大きく息を吐く。
「……お前がそう言うのであれば、信じるしかないのだろうな」
意志を決めて、王はその事実を飲み込んだ。
「よし。もう退がっていい。今日一日、ゆっくり休んでおけ」
バージェスは立ち上がって、一度礼をする。顔を上げると、王と目が合った。
そこで、口に出すまいと決めていたことをどうしても聞きたくなって訊ねた。
「……しかし何故、拐った者の実力を計れ、と命令を変更したのですか?」
真っ当な質問に、王は一瞬の沈黙を挟んで話し始める。
「……私には、古い友人がいてな」
「お前がセリアを探しに向かっている間に、その人物がここへやってきたのだ」
バージェスは鋭い洞察力で、その先の推測を言葉にする。
「もしや……姫を拐った少年は王のご友人の身内である、と?」
王は呆れつつ頷いた。
「だいぶ熱心に頼み込むものだから、根負けしてしまってな。だが、ただ行かせる訳にもいかんから、セリアを脅威から守れるものかどうかをお前で試そうとしたのだ」
「だから、あの手紙を送って来たのですね」
「まぁ、かわいい子には旅をさせよとも言うしな。あいつも、これで妹に対する偏愛を直してくれれば良いが……」
あいつ、の発言で、バージェスはようやく王子の存在を思い出した。
「そういえば、いらっしゃいませんな」
王は手で払う素振りをして、気にするなと伝える。
「おおよそ引き籠っているんだろう。後は時間に任せるしかないな」
話すこともなくなり、妙な静けさが辺りを包む。
「さ、早く行け」
「は。それでは失礼します」
騎士はもう一度深々と礼をしてその場を去った。
その姿を見送ると、王は玉座から立ち上がって、街を一望できる大きな窓の前に歩く。
そして、世界に広がる青い空を見上げた。
「……いつまでも子供のままだと思っていたのに、時の流れははやいな。アンナよ……」
呟くと、静かに目を瞑って、娘の向かう未来に思いを馳せた……。
○
「……とまぁ、あの賭けの内容は父自らによる命だったそうなんです」
セリアは語り終えて、一息ついた。
「なんというか……お前の親父さん、変な人だナ」
「そ、そうですかね」
「でも、何はともあれ、私は親の公認で旅ができるようになりました。それも、全部あなたのおかげです」
「何度も言うようですけど……本当に、ありがとう」
少女のやさしい笑みに、ロウは頷くと同時に固まってしまった。
「あの……お話、終わった?入っても大丈夫?」
気が付くと、先程の女医が戻ってきていた。二人の様子を見て、扉の陰で待っていたらしい。
「は、はい!大丈夫ですよ、全然!」
急に恥ずかしくなって、セリアはそそくさと居住まいを正した。
女医もそろそろと歩いて、昼食を載せた盆をベッドの隣の机に置く。
「はい、どうぞ。食べ終わったら食器はそのままにしてくれて構わないわ」
「どうも」
「ごゆっくりー」
女医は空気を読んだのか否か、さっさと退散してしまった。
「……セリアはもう食べたのカ?」
「はい。気にせずどうぞ」
「じゃあ、頂きます」
ロウはきちんと合掌してから、療食を食べ始める。
いつもの癖なのか、スピードが速かった。
「……なぁ」
ふと、一旦食事を止める。
「どうしました?」
「お前、もう自由なんだよナ」
少女は嬉しそうに頷いた。
「えぇ。もう何も気にすることはありませんよ」
ロウはちょっと考えてから、決心した。
「なら、出発、明日にしないカ?」
セリアは驚いて、ロウの顔を見つめる。
そして、しばらく考える。
「……そうですね。あんまりここに長居してしまうのも申し訳ないですし」
セリアの了承を得たところで、ロウは最後の一口を終えた。
「ありがとウ。まぁ、今日一日くらいはゆっくりさせてもらおうカ」
そう結ぶと、脈絡なく大きな欠伸をした。
「……む、また、眠くなってきたナ……」
言うや否や目を閉じ、枕に頭を載せた。程なくして眠りに落ちようとする頃、微かに頭を撫でられる心地よい感触を覚える。
僅かに瞼を持ち上げると、青い瞳の少女の笑顔があった。
安心して、彼は眠り込んだ。
○
夜が明けて間もない頃、二人は旅装を整えて診療所の前に立っていた。
女医が見送りに戸口までやって来る。
「もう行ってしまうの?別に私は、しばらく居てくれても構わないのだけれど……」
「ありがとうございます。でも、いつまでも甘えてばかりではいられませんから」
「そう……なら、仕方ないか」
本当に残念そうに溜め息を吐いたかと思うと、今度は真剣な表情に切り替わった。
「道中何が起こるか分からないわ。気をつけてね」
「あぁ。もちろんダ」
「では……」
二人は踵を返し、少し離れて、また女医へ振り返る。
「いってらっしゃい」
温かな言葉に、いつぞやと同じく声を揃えて返した。
「「行ってきます」」
まだ夜明け近い。宿場町は静かである。
ゆっくりと歩きながら、町の出口。まだ見ぬ世界が広がる道の前で立ち止まった。
「今思うと、奇妙な出来事だっタ」
ロウが髪に手をやりつつ呟く。セリアはそれを見て微笑んだ。
「これからは、もっと不思議なことがたくさん起こるんでしょうね……あ!」
突然大きな声を出したセリアに、ロウは一瞬驚く。
「どうした?」
聞くと、セリアは一つ咳払いをして姿勢を正し、ロウに向き直る。
「ロウ。……改めて、お願いがあります」
「ン?」
一瞬詰まったが、意を決して口を開く。
「私の旅に、一緒に来て頂けますか?」
どんな頼みかと構えていたロウは思わず拍子抜けする。
「そんなことカ。てっきり俺は、既にそういうことになっていると思ってたんだが……」
「ですから、改めてです」
セリアは両の手を握って力説する。ロウは呆れつつも、頷いた。
「……あぁ、これからも、よろしく頼ム」
その返事と笑顔に、つられて少女の頬も緩む。
「……はい!」
約束を交わして、二人は日が昇る空を見上げた。
春の風は少し冷たく、しかし彼らの背中を優しく押していた。
見つめ合い、頷く。
少年と少女は新しい人生に向かって、一緒にその一歩を踏み出した。
これにて逃走劇はおしまい。
その後彼らがどんな旅路を歩んだのかはまた別のお話……。