旧街道 後編
今回は流血表現があります。
苦手な方は注意して下さい。
「……そういえば、名乗るのを忘れていたな。私はバージェスだ」
今にも戦いが始まろうとしていた時、思い出したように騎士は言った。
そのマイペース加減に呆れつつも、少年も一旦矛先を下ろして名を告げる。
「俺はロウ。悪いが、骨の数本が折れるくらいは覚悟してほしイ」
後半は純粋な注意のつもりだったが、騎士はそれを知ってか知らずか言葉を返した。
「そうだな。君も、腹を裂かれぬよう気を付けることだ」
一旦言葉を区切って、再び構えの姿勢をとる。ロウもそれに従った。
相手の意志の完了を見て、バージェスは宣言する。
「さぁ、始めよう」
改めて今、戦いの火蓋が切られた。
○
先攻を取ったのはロウだった。
足に力を溜め、瞬時に爆発させる超人的なスプリントで一気に目標との距離を詰める。
そして、装甲の薄い首を目掛けて突きを放った。
勿論それであっさりやられる騎士ではない。バージェスは冷静に鉄の円盾でこれを防ぐ。
が、ほぼ全力が乗せられた重い一撃は、傷こそ負わせられなかったものの、先端がめり込むほどに盾の表面を砕いた。
その事実に眉一つ動かさず、バージェスは手に持つブロードソードでがら空きの胴を狙う。
仕掛ける前から剣の動きを予測していたロウは、盾に刺さった槍を軸に地を蹴って宙へ返り、おまけに盾を踏みつけて槍を引き抜く。更に余力で跳躍して距離をとろうとした。
騎士はその隙を逃さず、使い物にならぬと判断した盾を着地せんとするロウへ豪快に投げつける。
ブーメランよろしく猛スピードでやって来る鉄の円盤を反射的に槍で払い落とすと、今度は本人が剣を上段に構えロウの間合いに踏み込んだ。
「っ!」
即座に降り下ろされた刃を、間一髪鼻先を掠めるように避ける。
すると、騎士は自ら剣を手放したではないか。
攻撃のチャンスと見たロウは、体勢を立て直し二度目の攻撃を試みようとする。
しかし一瞬、自分の身に迫る非常に強い殺気を感じ取り、すぐさま飛び退いた。
おかげで負傷はせずにすんだが、その代わりに着こんだ革のベストが裂けていた。
よく見ると、騎士はその両手に刃が黒ずんだ鋭利な短剣を握っている。それが殺気の正体らしかった。
「……それ、毒じゃないよナ?」
確認がてら訊ねると、バージェスは頷いた。
「なに、炭で汚してあるだけだよ。気にしなくていい」
その言葉でなんとなく騎士の正体を察したロウは、大きく嘆息する。
「やっぱり只者じゃないナ……」
呟くと共に、つかの間の休息を止め再びバージェスの懐へ突っ込んでいく。
「む……」
刺突は不利だと判断したのか、今度は柄ごと振るいながら鎧を打ちに掛かった。
バージェスは槍の殴打を致命傷にならない範囲で受け流しながら、もう片方の短剣で斬りつける。ロウも深手になる寸前で攻撃を弾く。
打ち、流し、斬り、払う。
両者の間に息もつかせぬ攻防が続いてゆく。
○
次第に血量を増す光景を、セリアは青ざめた顔で見ていた。
隣に立つアレックスが気を使って声を掛ける。
「王女様。この戦いは、これ以上はあなたの目に毒です。しばし、休んでおられた方が……」
兵士の助言に、しかしセリアは首を振った。
「ありがとうございます。でも……」
「私はこの戦いを見届けなくてはならないと思うのです。私のために戦ってくれているあの人のために。それに、戦いが終わったらすぐ二人を助けられるように」
少女は微笑んだ。強い意志があった。
アレックスはそれ以上何も言わなかった。
○
永遠に続くかと思われた戦いにも、不意に終着の兆しが訪れた。
度重なる斬撃を受けたロウがふらついたのだ。
浅い傷とはいえ、蓄積された出血の量が無視できないダメージとなって体を蝕んでいたためだった。
一方のバージェスも、同様に無事ではなかった。
ロウの獣人の力と鍛えられた肉体が繰り出す槍の殴打は、本来の用途ではないというのに鬼の金棒のような威力となっていた。
但し先に隙を作ったのはロウである。バージェスがそれを逃す筈はなかった。
行動不能の一撃を与えるために、一対の短剣を大きく振るう。
「……ガっ!」
斬られる直前、地面に倒れ伏す間際、ふと目に入ったのはついさっき捨てられた騎士の剣だった。
そして、半ば無意識にそれを蹴り上げる。
「!?」
突如足下から迫り来る凶器に気付いたバージェスは、攻撃を中断して上体を反らして空に上がる剣を見送ると、その間隙を縫うように自身の得物を投げ放った。
一瞬の猶予ができていたロウは騎士の投擲をかわし、高く跳ぶ。
互いが互いを見た。何も言わなかった。
空に舞う剣が、重力に従ってくるくると回りながら落ちていき、二人の間を通る。
それが、最後の合図となった。
少年は渾身の突きを撃ち、騎士は剣を逆手で掴み取り振りかぶった。
「ぐっ!?」「ぬぅ!?」
ロウの槍はバージェスの脇腹を凹んだ鎧ごと貫き、バージェスの剣はロウの左腕に嫌な音を立てた。
そのまま騎士は膝をつき、少年は地面に体を打ち付ける。
戦いは終わった。いつの間にか雨も止み、太陽が地上を照らしていた。
「ロウ!」「隊長!」
戦いを見守っていた少女と兵士がそれぞれの元へ駆け寄る。
「大丈夫ですか?」
セリアは傷ついた少年の体を慎重に起こして、泥のついた顔を袖で拭う。
程なくして、彼は目を覚ました。
「ああ、良かった……」
「……すまん。取り敢えず離してくレ」
「でも、その怪我……!」
「命に別状はなイ。それよりも、危険なのはあっちのおっさんダ」
言うと、ロウはセリアの肩を優しく押して自分で立ち上がった。
服装は血塗れだったが獣人の形質故か、驚くべき治癒能力で既に出血自体は止まっていた。
ロウはゆっくりと騎士の元へ歩み寄る。セリアもついていく。
アレックスは騎士を支えるもどうしようもなかった。
「隊長、傷が……!」
「少々、まずいかもしれない、な……」
改めてバージェスの傷を見て、少々頭を掻きながらセリアに振り返った。
「なぁ、セリア。あの、師匠から貰った紙、持ってるよナ?」
急に意識の外にあった物を聞かれてセリアは少し焦ったが、すぐにしまっていたポケットから取り出した。
「こ、これですか?」
ロウは頷くと、次いで騎士の方に顎をしゃくる。
「それを、おっさんに使ってほしイ。お前がやった方が上手くいく」
「ですが、槍が……」
「今から抜く。おい、お前、手伝ってくレ」
セリアを諭しつつ、アレックスに手伝いを頼んだ。
突然、バージェスを倒した相手に話しかけられ内心非常に狼狽するが、面に出さぬようなんとか平静なふりをして訊ねる。
「……た、隊長は助かるのですか?」
「ああ、嘘は言わなイ」
目を見て答えてから、最後の確認として今度はバージェスに声を掛けた。
「おっさん……いや、バージェス。ちょっと我慢してくれヨ」
「……うむ。堪えてみせよう」
この期に及んでまだ意識が保てているバージェスに感心しつつ、ロウはまだ動く右手で槍の柄を掴んだ。
続いてアレックスも震える両手で柄を握る。
「行くぞ……いち、にの、さんっ!」
「ぐぅ!」
ずっずっと、血と肉で滑り苦戦しながらも、早急に槍を引き抜くことができた。が、このままでは出血多量で死んでしまう。
「セリア!傷口に紙を当てロ!」
「は、はい!」
隣で構えていたセリアが、紙片を開いて、血がどくどくと流れる脇腹を押さえる。不思議なことに、紙は血で汚れることはなかった。
「魔法陣……真ん中の点を押すんダ」
肉の感触に気味悪さを覚えながらも、セリアはロウの言葉通りに親指で奇怪な紋様の中心に触れた。
すると、青い塗料で描かれていた陣が外側から消えると共に、紙片から色の濃い緑に輝く粒子が溢れだし、小さな霧を作りだした。
光る癒しの霧はそのまま患部を覆い、裂かれた組織を次々に繋ぎ、傷口を塞いでいく。
数秒もしない内に、最早傷と呼べるものすら見られない程に完治してしまった。正に魔法だった。
「凄い……」
たった一枚の紙片から生み出された奇跡に、兵士と少女は唖然としていた。
「これは……驚いたな」
騎士も感嘆の声を漏らし、立ち上がり、ぐるんぐるんと体を動かす。全く支障はないらしかった。
魔法の効果の実感を終えると、バージェスは並んで立つ少年少女と向かい合う。
「自らの傷を省みずに私を治してしまうとは……」
ロウはじとっとした目で睨む。
「何か文句あるのカ?」
「いいや。命を救ってくれたこと、本当に感謝する」
姿勢を正し、深々とお辞儀をした。そしてまた、顔を上げる。
「それと、この戦いの勝者は君だ。約束を守ろう」
「だから、安心して彼女に背を預けるといい」
「そっカ……」
バージェスの言葉で、ロウは突然糸が切れたようにセリアに倒れかかった。
少女は驚きつつも、ちゃんと少年を支える。どうやら眠っているようだ。
その状態で、未だに怪しげな雰囲気の騎士を見つめた。
「あの、まずロウの……この方の手当てをしたいのですが」
セリアの遠慮がちな提案に、騎士は最もだと頷く。
「そうですな。確か、タルハイトには診療所があると記憶していますから、そこへ彼を連れて行きましょう。」
「わ、分かりました」
今後の話が決まると、隣でほっと胸を撫で下ろしている青年に声を掛ける。
「アレックス。もうすぐドーク山から別の班がやって来るだろう。彼らが来たときには、我々の馬車へと誘導して待っていてくれ」
「あ、はい。了解しました」
指示すべきことも告げ終え、バージェスはセリアに寄りかかるロウを抱え上げ、宿場町へ向かおうと踵を返す。セリアも一歩後ろに付いて、二人もとい三人はタルハイトへ歩いていった。
これにて小国の姫と旅人の奇妙な逃走劇は一旦の終着を迎え、結びの話へと続く……。