群青の滝
そろそろ一日の終わりが訪れようとしている頃、二人は無事に山を下っていた。
下山中、ロウもセリアもあまり喋らなかった。前者は恐らく連れの疲れを気にしたためであり、後者はやはりその疲労が祟っていたようだった。
実際、彼女は人生初の大運動を強行したのだから当然と言えば当然である。
「大丈夫……じゃないよナ」
麓で足を止め、少女を岩場に座らせた少年は辺りを見回した。
日は落ちているので周辺は殆ど真っ暗だが、夜目が利くロウには全く関係なかった。
そして、視線はある一点で止まる。
「水……滝、カ」
呟くと、隣りの少女を見遣った。偶然、目が合う。
「動けるカ?」
セリアはゆっくりと頷いて、
「あとちょっとだけなら、なんとか」
と答えた。ロウはしばし彼女の顔を見て、手を差し伸べた。
「暗いから、手を繋いで歩こウ」
そして、慌てて付け足す。
「嫌だったら、いいけド」
そんな少年の言葉に、セリアはくすくすと笑いながら、その手をとった。
「……何かおかしかったかナ」
「ふふ……いいえ。何でもありません」
ロウは首を傾げつつ、セリアの手を引いて休憩地に向かった……。
○
木々の間を縫って進むと、果たしてそれは見つかった。
小さな滝。といっても、その水の柱は見上げる程の高さである。
傍に横たわる大きな岩には、同じく大きな穴がぽっかりと空いていた。
まるで、人工で作られたような……。
「うーン、覚えがあるようナ……?」
ロウは一人不思議に思ったが、すぐにセリアに向き直り、提案する。
「今日はあそこで休もウ。これ以上の行軍は危険ダ」
これにはセリアも同意だった。いくら追っ手が近づいているとはいえ、急いては事を仕損じるというものだ。
水の跳ねる音の音を端で聞きつつ、二人は岩穴の中へ入った。
ロウが袋の中からランタンを取りだし、灯りを点け、セリアは師匠から受け取ったござを地面に敷いた。
「夕食にしましょう」
セリアの一言で、二人は、これまた師匠から貰った弁当を食することにした。
包みの布をほどいて箱の蓋を開けたその中身は、サンドイッチだった。どうやら腐りにくい具材を挟んであるようだ。
「頂きますっ!」
非常にお腹を空かせていたお姫様が、まず先にかぶりつく。ロウもそれに習った。
間もなく食べ終わって合掌。岩穴からのぞく空は雲で陰って、月光が僅かに見え隠れしていた。
「……」
「ロウ?」
雲行きの怪しさを睨むロウが気になって、セリアは声を掛けた。
「ん、何でもなイ」
ロウはセリアの呼び掛けに答えて、また岩穴の中へ戻る。そして、セリアの隣に座った。
沈黙が場を包み、ただ滝の水飛沫の音だけが微かに響く。
「「……あの」」
思わず声が重なった。
「そ、そちらから、どうぞ」
「……良いのカ?」
気になって訊ねるロウに、セリアは笑顔で頷く。
「はい。森の中で聞いたのも私でしたし」
「それなら……」
一つ咳払いをして、改めてロウは訊ねた。
「お前は……セリアは、後悔、していないカ?」
「えっ?」
瞬間、予想だにしていなかった質問に困惑し、逆に問うた。
「どうしてですか?」
「……今日一日、外を歩いて、ここまで来ただろウ。その……辛かったかな、と思っテ」
少女は、ようやく少年紡いだ言葉の意味が分かった。
だから、不安げな顔をする少年に伝えた。
「……確かに、とても辛かったです。歩くのは大変ですし、環境だってお城と比べたら快適とは程遠いし……」
ロウは目を伏せる。
「……でも、それでも。今、この、本でしか知ることのなかった外の世界を、実際にこの目で見て、触れて、肌で感じることが出来て、とっても嬉しいんです!」
「私は本当に、あなたに感謝しているんです……だから、顔を上げて、ロウ」
予想も付かなかった回答とその眩しい笑顔に、少年はしばし目をしばたたかせて、その顔を見つめていた。
「な、何か顔に付いてますかね?」
こころなし照れたセリアの言葉で、ロウは我に返って、
「い、いや……何でモ」
とぎこちなく答える。何だかおかしくなって、二人は吹き出した。
「……さぁ、そろそろ寝よウ。明日も早イ」
「そうですね。体を休ませないと…」
頷いたセリアは、脱いだ外套を丸めて枕にしてから、ござに横になった。
「寝られそうカ?」
「はい……すぅ」
ロウの問いに答えたかと思うと少女はすぐに眠り込んでしまった。
あまりの寝つきの良さである。それとも、ただ単に疲労が蓄積したためか。或いはその両方か。
大人びた少女の見せる幼い寝顔に少年は何とも言えない気持ちになって、自らの外套を彼女の体にそっと掛けた。
一旦落ち着くと、また天気が気になって、ロウは空を仰ぐ。
「……雨、降らないと良いガ……」
そんなことを呟いて、ランタンの灯りを消すと、入り口の岩に寄りかかって、そっと瞼を閉じた。
長い一日は終わりを迎え、夜が明けていく……。