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アクィの森

城壁を越えた先は、深緑の森だった。

少年は、セリアを両腕で抱えたまま柔らかい地面に派手に着地した。土煙と足の痺れが治まるのを待ってから、セリアを静かに降ろす。

セリアは、頭の整理が追い付かないためか、ぽかんと口を開けたままへたりこんでしまった。

「大丈夫……ではなさそうダナ。おい」

少年がその華奢な肩を揺すると、セリアは漸く意識を取り戻した。そして、慌てて周囲を見渡して、最後に少年の顔に視線を向ける。小首を傾げて、

「あの、ありがとうございます?」

「うむ……どういたしましテ?」

少年も連られて、言葉に疑問符が付いてしまった。

その様子を見て、セリアは、彼女にとって重要なことに気付いた。

「名前……お名前は、何と言うのですか?」

少年はつと指で頬を掻きながら、

「ロウ、と呼んでクレ」

少女は、小さくその名前を反芻して、やがてにっこりと笑顔を浮かべた。

「分かりました、ロウ!」

セリアの言葉に、少年もといロウは頷くと、

「さて、他のことは追々話すとしよウ。いつまでもここにいたら追っ手が来てしまウ」

そう言って、座り込むセリアに片方の手を差しのべた。

「あ、ありがとうございます」

ロウの助けを借りて立ち上がると、セリアは先に進む彼の後をついていくことにした。

お昼のちょっと前の時間なので、まだ日は高く、緑が茂るこのアクィの森にも、所々光が差し込んでいる。セリアは木の根に躓かないよう気をつけながら慎重に歩いていった。ロウも、時々セリアの方を振り返っては、ちゃんとついて来られているかどうか確認する。その光景は非常にのんびりとしていて、

セリアが王女で、ロウがその王女を拐った(実際には逃亡の手助けであるが)犯人で、追っ手が後ろからやって来ようとしている状況には、ちょっと見えない。

しばらく歩いて、セリアが口を開く。

「えっと、ロウ。今、私達は何処に向かっているのでしょう?」

間髪入れずに答えが来た。

「ドーク山。ここを東に出た所ダナ。」

「北は……そっか、天衝山脈がありましたね……」

別の案は出せなかった。

ここ、アクィの森は、南は云わずもがなザクセンが聳えており、西は広大な海と、北は天衝山脈と呼ばれる、名前の通りに険しい山脈が連なっているため、必然的にセリア達が逃亡する先は、東のなだらかなドーク山に限定されるのだった。

「そういうことダ。言えば、ここしかないノサ」

のんきに語るロウが、不意に訊ねた。

「そういえば、お前の名前、聞いてなかったナ」

そして急に、足を止めて振り返ってきたので、セリアはつんのめって思わずぶつかりそうになった。

「え、えっと……」

セリアはこのときになってようやく、ロウが何故自分を助けたのか、理由が分からないことに気付いた。

戸惑って、ロウの顔をちらと見る。頭頂部に生える獣の耳は少々異端ではあるが精悍な顔つきと、何よりあのときに見た、色のない、けれど光が宿る不思議な瞳。

全てを見透かされるようで、ちょっぴり窮屈になってしまうけれど、同時に本人の正直さと信頼感を呼び起こさせる。

(この人は私を助けてくれたんだ。例えどんな理由があっても)

私は彼を、信じよう。

「私はセリア。セリア=スレイゼンと言います」

「セリア、カ。……んーと、お前は、多分、偉い奴なんダロ?」

質問の方向が急に変わったせいで、少々まごついたが、しっかりと答える。

「え、えぇ。ザクセンの、第一王女です」

「そっカ」

予想外にそっけない返事をすると、ロウはまた元のようにセリアの前を歩き始める。セリアも慌ててついていく。

ささやかな風に、動いて火照る体を冷まされながら、鳥や動物の鳴き声に心を和ませつつ二人は進んでいく。

「じゃあ、何て呼べばイイ?」

またもや唐突な質問だったが、流石にもう慣れた。

「普通に、セリアと呼んでください。……私はもう、身分を捨てたのですから」

「……分かっタ」

ロウは答えながらも、振り向かず歩いていく。

さっきよりも強い風が吹く。どこか一方に集中して流れるような。

「……どうしたんですか?」

不意に、森の奥が一層暗く染まったように見えて、不安を覚えたてセリアが、険しい顔つきのロウに訊ねる。

「……魔物ダ」

時は少し遡ってザクセン王城。

事件の場に遭遇していた兵士が、謁見の間に転がり込むところだった。

四本の立派な柱が、威厳を持たせるように空間を押し上げ、最奥に座る王の姿をより厳めしくしている。……筈だったが、何やら黒髪の男が王に話し込んでいた。服装の豪華さからして、王子だろうか。

王はうんざりしているようであったが、重厚な扉の開く音に気付き、目の前の人物から顔を逸らして声を掛ける。

「どうした?我が兵士よ」

「王様、セリア様が何者かに拐われました!」

若者の兵士は、肩で息をしながら、用件を短く伝える。

「何だと!?」

真っ先に反応したのは、王子の方であった。

振り返り、若者の肩を激しく揺さぶって、

「何故そんなことになった、言え!」

と詰問した。その剣幕は凄まじいもので、答える側は多少ならずともたじろいだ。

「そっ、それが、セリア様がお一人で密かに外出なさろうとしていたらしく……その時に」

「むぅ、娘も困ったものだな……」

怒りやら何やらで身悶えする王子を尻目に、王は小さく溜め息を吐いた。

「分かった。捜索隊を直ちに結成し、セリアを連れ戻してこい」

「はっ。しかし、指揮官はどうすれば……」

王子がさっと顔を上げ、

「私が行きましょう。父上!」

勇んで、自ら王女の捜索に行く提案をしたが、

「駄目だ。お前はここに残っておれ。二人もいなくなったら、面倒この上ない」

と一蹴されてしまった。そして、王はつと後ろを振り向き、

「バージェス」

と、呼んだ。すると、玉座の背後から、鈍い銀の甲冑を着こんだ騎士が音もなく現れたではないか。

「……事情は聞いていましたぞ」

フルフェイスの兜から、朗々としたしかし厳かな声が響く。今まで存在にすら気付かなかった王子と兵士はただ唖然としていた。

ただ王だけは平然とした様子で、

「あぁ、なら話は早い。お前が指揮を取ってくれ。

捜索隊の補充も、手間だろうが頼む」

「御意」

騎士、バージェスはゆっくりと頷くと、玉座の階段を降りて、

「さぁ、君。一緒に行くぞ」

と、状況を掴めずにいる兵士の肩を叩き、正気に戻した。

「は、はい!」

そして、すたすた歩いていくバージェスの後を慌てて追い掛けていく。

謁見の間の扉が閉まり、二人がいなくなると、王子は震える口を開いた。

「ち、父上よ。奴は一体……?」

王は、何ということはないといった風に、平然と答えた。

「なに、ただの臣下だよ。一度、殺されかかけたりもしたがな」

「何ですって!?」

王子は驚愕の表情である。

「まぁ、要するに。彼の実力は折り紙つきだ。それと、今は私に対する忠義も保証していい」

「は、はあ……」

王子は、謎の騎士とそれを臣下に抱える王の神経に嘆息せざるを得なかった……。

「えぇ……えぇ!?」

セリアはロウの発言に驚きを隠せず、つい大声をあげてしまった。慌てて口を覆うがもう遅く。

「どうやら、相手をするしかなようダナ……」

言葉のやる気のなさとは裏腹に、ロウは嬉々とした表情で、布袋から己の得物を取り出した。

「や、槍……?」

「ウン。他の武器は全く扱えなくてナ」

言いつつも、視線は魔物の方に向けたままである。

猪そのままの形をとってはいるが、その狂暴な紅い瞳と周囲の空気を満たすどす黒い障気はやはり魔物のそれである。何より巨大だ。

「ロ、ロウ?……本当に、大丈夫なんですか?」

想像を越えたレベルの敵の姿に、セリアは思わず訊ねた。ロウはちらと振り返って、ただこくりと頷いた。

「手短に終わらせる、安心シロ。後、どこかに隠れておケ」

「わ、分かりました……ご武運を」

後はロウの実力に全てを託し、セリアは木々の陰に隠れて見守ることにした。

「●▲■×!!」

ロウの明らかな殺意を察知してか、猪の魔物は威嚇の唸り声を上げる。

「ワイルドボア……だっけカ。ま、いいヤ。ちゃっちゃ、とネ」

姿勢を低く保ち、矛先を地に向け、突撃の態勢をとる。

「●■×▲!」

魔物も前足を立て、突進寸前である。

どちらが先に動くか……永遠にも感じられる一瞬が過ぎたのち、土埃が舞った。ロウの方だ。

「先手必勝……一撃必殺!」

ワンテンポ遅れて魔物も突進を始めた。

が、突風の如く地を駆けるロウの手から勢いよく繰り出された、ただ槍で突くというシンプルな一撃は、しかし確実に魔物の心臓、核を砕いていた。

「×■▲●!?」

魔物は原形を留めていられなくなり、黒い靄となって霧散する。セリアは、その鮮やかな手際に呆然としていた。槍を肩に担いだロウが、一息ついてセリアの元に戻ってくる。

「片付いタ。さ、行こウ」

「は、はいっ」

ロウの言葉ではっとして、すぐさま立ち上がった。

そして、ロウの眠たげな目をじっと見つめる。

「ん。何か、顔に付いてるカ?」

「い、いえ。どうしてそんなに強いのかな、と」

セリアの疑問に、ロウは軽く頬を掻くと、

「恥ずかしながら、生まれつき、というやつが大きくテナ。全部が全部、自分で努力して得られた力ではないンダ」

心なしかしょんぼりとしてしまったロウを、セリアが慌てて慰める。

「そ、それでも。とても凄いことだと思います!まさか、魔物を一人で、しかも一撃で倒してしまうなんて……」

通常、先程の魔物は成人男性十数人で戦って漸く渡りあえる強敵である。

「うーム。ま、とにかく、その賛辞は素直に受け取ってオク」

別に急ぐ旅……でもないことはないが、先に進んでおくに越したことはないので、二人はまた歩き出す。

「……あの」

セリアが、不意に口を開いた。

「ン?」

「ロウって、不思議が多い人ですね」

言われたロウは、困った表情で頭を掻く。

「それはお前さんも同じだろウ、お姫様?」

「む、それもそうですが……お姫様は止めてください」

「ああ、気に障ったのなら、スマン」

「いや、そこまで言われると、私も何かと反応しづらいんですけど……」

のんきに会話を繋げながら、再び平和になった森を進んでいく。

ふと、セリアは質問を切り替えた。

「えっと。じゃあ、何故、私を助けようと思ったのですか?」

すると、ロウ自身、考えたこともなかったという風に驚いたが、答えはすんなりと出てきた。

「……遠くで、お前の姿が見えてナ」

「はぁ。それで?」

セリアが先を促す。

「綺麗だな、と思ったンダ」

「……へ?」

予想外の答えに、素っ頓狂な声を上げてしまった。

「だから、綺麗だなと思ったから、お前が困っていたときに、助けようと思ったンダ」

本人は気付いていないようだが、所謂一目惚れ、という奴であった。一方の少女はというと、口をぱくぱくさせながら、顔を真っ赤にして俯いてしまった。

「わ、分かりました。からっ、この話は終わりにしましょう!」

殆ど照れ隠しの体で早足になり、ロウの先を行く形となった。

急に態度の変わったセリアを不思議に思いつつも、ロウは彼女の後ををついていく…… 。


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