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ラブ・レター

 高遠領一は、自宅の机に向かい、小さなランプを一つだけ灯している。なるべく月明かりの存在が薄れないように、暗い部屋で。紙を広げ、万年筆を持ち、肩を震わせている。ぽたぽたと涙が落ち、所々字が滲んでいる。殺されても構わない。ただ一つ、彼女を残して逝く事だけが気掛かりだった。


 夜中、馬車に乗り、小澤邸を尋ねる。友人の時彦が、訝しげな顔をして玄関を開けた。

「どうしたんだ、こんな夜中に。上がれよ」

 領一は軽く首を振る。

「長居は出来ない。時彦君、君に頼みがある」

 封筒を取り出し、突き付ける。

「何だ、これは」

「僕は、軍に追われる身となった。明日の命も分からない。見付かれば直ちに処刑されるだろう。かなりの危険分子と見なされているようだ。君にも、別れを言いに来た。金輪際、お目にかかることはないと思う。今まで世話になった。有り難う」

 必死に感情を消しているのが分かった。あまりの唐突さに、時彦は返す言葉もない。

「僕のことはいい。ただ一つ、君に頼みたい。これを、美並さんに渡してくれ」

 一歩も引きそうにない、鬼気迫る雰囲気に押され、時彦は封筒を受け取った。

「僕は彼女に、思わせ振りなことを言って振り回した。しかし、もう望みは無い。可能性も無い。別れを告げたが、本心を伝えていない。このまま死んでは、怨霊にでもなってしまいそうだ。僕が死に、彼女がもし新京の住まいを追われるようなことがあったら、ここで匿ってやって欲しい。どうか、最期の我儘だと思って聞いてくれ。頼む」

 そう言うと、勢いよく頭を下げ、踵を返して、走り出した。時彦は、後を追った。しかし、馬車に乗り込んであっというまに去ってしまった。追い付けず、愕然とする。ふざけた奴だ。誰が渡してやるか。馬鹿野郎。必ず生きて帰れよ。俺は待つからな。戦争なんざすぐに終わっちまうさ。お前のようなしぶとい人間が、そんな簡単に死ぬわけがない。いいか、俺は信じている。お前が、何もなかったかのように、ある日ひょっこり戻ってくることを。それまでこの手紙は渡さねぇ。

 時彦は、拳を地面に何度も打ち付けながら、行き場のない思いを、悔しさをぶつけた。



『 市橋美並様


 今君は、何処でこの手紙を読んでゐるのだらう。

 君は、いくつになつてゐるのだらう。

 何をしながら暮らしてゐるのだらう。

 食事は、喉を通つてゐますか。

 家族は無事生きてゐますか。

 お父様は、僕をさぞ恨んでゐることだらうね。すまないことをした。

 笑つてゐますか。

 泣いてゐますか。

 貴女が恋しくて、僕は身を引き裂かれる思ひです。

 結婚を申し込みながら、結局ぶち壊すやうなことになり、本当に申し訳なかつた。僕も動揺してゐた。何としてでも君を手放したくないという思ひと、君の人生に差し支えたくないという思ひとが戦つてゐた。


 時彦君からこれを受け取つたということは、彼を頼つてくれたということ だね。

 有り難う。

 どうにか彼が尽力して道を開いてくれるはずだから、そこから新しい人生 を歩んで欲しい。

 僕のことは忘れて、新しい恋をして欲しい。

 幸せに生きて欲しい。

 君を思へば思ふほど、君の幸せを願わずにはゐられない。

 結婚もして欲しい。

 君を守り抜いてくれるやうな人と、共に人生を作り上げて欲しい。

 子供も、沢山産んで欲しい。

 母になり、祖母になり、寿命を全うして欲しい。



 けれど、もしも生まれ変わることができたら、僕は、絵を描くだらう。君 に似合う、大好きな向日葵を。君もいつか生まれ変わり、もし、同じ時代 を生きることが出来たなら、向日葵畑を見付ておくれ。僕らはそこで再会 しやう。そして君は、ピアノを弾き続けて下さい。出来ればあの夜も聴か せてくれた、ドビュッシーの月の光を。僕は、それを頼りに君を捜すよ。 世界の果てまで。


 誰よりも、貴女を愛しながら、この人生に終止符を打てることを誇りに思 ひます。


 例へこの命が果てても、永遠に愛してゐます。

 Ты(トィ) моё(マヨ) счастье(シャースティエ)。貴女は私の 幸せです。


 美並さん、幸せになつて下さい。ただ、貴女の幸せを願っています。


                            高遠領一』


(終止符)


music image ドビュッシー「月の光」(in満州) 

HY「さあ行こう」(in現代)


 筆者の父親の叔母が 当時満州開拓団としてハルビンの北のほうに移住していた。当時の生活の厳しさ。命からがら引き揚げをしたこと。沢山の仲間が残酷に命を落としてしまったこと。

 これは書かずにいられないという衝動が沸き起こり、ロマンスを加えて一つの作品にした。


 不思議な縁というものも、実際に存在する。きっと誰もが、結ばれるべくして結ばれているのだと思う。

 この作品を通して、戦争は二度と起こしてはいけないというメッセージと、出会いというものの重みを感じ取って頂けたら幸いである。


 ご愛読頂き 誠にありがとうございました。


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