盲信少年
「おい! 明日世界が滅亡するらしいぜ!」
自室に向かう通路の途中で、背後から大きな声が飛んできた。
「どうするよ、明日だぜ? やべぇ、死にたくねえよおおおおお!」
「落ち着け、ジン。慌てたって、絶望したって、何も変わらないんだ。俺たちは明日、死ぬ。誰もが平等に、死ぬ。だったら今日の内に、やりたいことをやっておくべきじゃないか? なぁ、クロル」
振り返ると、長身痩躯の青年と、それよりかは少しばかり背の低い、筋肉質の青年が揃って逼迫した表情で俺を見つめていた。
「……その情報はもう皆に伝わっているのか? まだなら一刻も早く皆に伝えないと。俺は親方の元に急ぐ。あの人なら何か対策が打てるかもしれない。サザ、ジン、お前らは――」
指示を振ろうとしていた俺を、サザが手のひらを突き出し制止する。
「お前も落ち着けって、クロル。もう親方や、他の皆には伝えたよ。お前だけはなかなか見つからなかったんで、最後になっちまった。なぁクロル、さっきも言ったように今日が人類最後、人生最後の一日だ。親方ももう、お手上げだと言っていた。だからよ、せめて少しでも悔いが残らないように、やりたいことをやるべきじゃないか? そのほら、惚れた女に思いを打ち明けるとかよ」
先ほどの鬼気迫る表情はどこへ消えたのか、いつものヘラヘラとした笑みを浮かべながら、サザが俺の肩に腕をかける。
「そうだぜぇ? そりゃ、生き延びれるならそれに越したことはないけどよ、明日世界は滅んじまうんだ、それは確定事項なんだ。だったら、やることは決まってるよなぁ?」
こちらも、ニタニタとした表情を張り付けて、ジンがその太い腕を俺の首に絡ませる。
「明日、世界が終わる……」
そうか、終わってしまうのか。明日の今頃には、この世界もこの場所も、親方も、サザやジンも、全て消えてしまう。もちろん、あいつも。
世界の滅亡。
突然舞い込んだその情報はあまりにも衝撃的過ぎて、俺から思考する力を根こそぎ奪っていった。何が原因でとか、世界の動きはとか、そんな疑問が浮かんではたちまちに消えていく。
いや、そんなことどうだっていいか。終わってしまうのなら、同じだ。
怖い、とは思わなかった。今まで幾度となく死線を潜り抜けてきたし、誇張なく死の縁に立ったことも数えきれないほどある。だからほんの少しも、怖いとは思わなかった。
けれど、悲しいとは思った。
俺がいて、ジンやサザがいて、親方がいて、あいつがいる。そして毎日を笑って過ごすことが出来る。それがどうしようもなく幸せで、そんな日々が、皆が、俺にとってかけがえのないものだった。ずっとこんな日々が続けばいいと願っていた。
でもそんな日々も、明日で終わる。
だとしたら。
サザやジンの言う通り、俺にはしなければならないことがあるのかもしれない。いや、しなければならないとかじゃない、俺にはしたいことがある。
この思いを、あいつに伝えたい。
「そうだな、俺は――」
「あ、いたいた、皆。探してたんだよ、どうしたの、こんなところで」
思い浮かべていた声がすぐ側から聞こえてきて、俺は肩を跳ね上げる。同時に、何故か両隣の二人も同じように体を揺らした。
「あ、アリア?! ど、どうしてここに……」
「え? 今日の夕食を決めようと思って、皆に希望を聞きに来たんだけど……。ん? その焦り様、ジン、サザ、あなたたちもしかして――」
「な、何もしてねぇよ俺たちは! なぁ、ジン?」
「お、おうともよ。俺たちはただ、日々悔いのないように生きていかなきゃならねーなって話をしてただけで……。うん、その話も終わったことだし、部屋に戻ろうぜ、サザ」
「あ、あぁ。アリア、夕食は何でもかまわないから、クロルと適当に決めてくれ」
「あ、ちょっと――」
アリアが呼び止めようとするその前に、二人は大慌てで視界から消えてしまった。
あの二人は、どうしてあんなにも動揺していたのだろう。
心の中で首を傾げながら、呆然と二人が消えた方向を見つめていると、アリアから視線が注がれているのを感じた。
「ど、どうした」
「えーっと、あの二人から何か言われた?」
アリアはその大きな目で俺の目を見つめながら、小首を傾げる。アリアは俺の肩くらいまでの背丈しかないので、なんだか覗き込まれているような格好になる。その動作がなんとも可愛らしくて、トクンと心臓が音をたてる。
「そ、そうだった。どうやら明日、世界が滅亡するらしいな? その、だな。俺は世界が滅びる前にどうしてもやっておきたいことが――」
「はーーっ」
しどろもどろになりながら紡いでいた言葉は、アリアの大きなため息の音によってかき消されてしまった。
アリアは何故だか項垂れてしまっていて、肩口で切りそろえられたつややかな黒髪が、サラサラと揺れている。
「あの二人、そんなこと言ったの?」
「あぁ。そんな事態が起きていたというのに、俺ときたらのんびり散歩に興じていたというんだからな。すまないな、情けなく思う」
「それ、嘘だよ」
「何?」
問い返すと、アリアはもう一度大きくため息をついてから、顔をあげた。
「世界滅亡なんてそんな突拍子もないこと、起こらないよ。明日、世界は滅びない。いつもの、あの二人がクロルくんをからかうためについた、嘘だよ」
「……なるほど、そういうことか」
アリアの言葉を反芻しながら、先ほどのサザたちの様子を思い返す。
俺はまた、嘘をつかれていたんだな。
得心がいった。そういうことなら、明日世界が滅亡するというのに、妙に余裕を持っていたことや、わざとらしくやるべきことやるべきこと、と連呼していたことにも説明がつく。あいつらは俺に嘘をついて、告白させようとしたのだ。
今、俺の隣にいる、アリアに。
「あの二人も、困ったものだね。もう二人とも十八歳なんだよ? それなのに、いつもいつも、クロルくんをからかってばかりで」
「仕方ない、俺がそういう人間だからな。目の前にこんな面白い玩具があれば、誰だって手を伸ばさずにはいられないだろう」
俺がそう答えると、アリアは垂れ気味の目を吊り上げ、その小さな両手で、俺の右手を強く握りしめた。
その感触に、再び俺の心はトクン、と高鳴る。
「クロルくん、そういうこと、言っちゃダメだよ。クロルくんはクロルくん。玩具なんかじゃないし、誰かにからかわれていい存在でもない。嫌なことをされたら怒って、楽しいことがあったら笑っていいんだよ。ね?」
意志のこもった目で俺を見つめながら、再びアリアが首を傾げる。懸命に訴えるその姿に、心の奥がじんわりと熱を帯びていく。
「あぁ、そうだな。少し卑屈になりすぎていたようだ。すまないな、アリア」
「うぅん、いいの。ある程度そうなっちゃうのは、仕方のないことだもんね。でも私は、クロルくんがそういう風に思ってるの、辛いんだ。だから、二人でちょっとずつ変えていけたらいいね」
真剣な表情がほどけて、弾けるような笑顔に変わる。この笑顔に、俺は何度救われてきたのだろう。
俺は愛しさで胸をいっぱいにしながら、柔らかな笑みを返した。