第17回
総じて、同じ対象において三人三様の観察結果が得られた訳だ。心象風景、換言すれば、人それぞれが持ち合わせる思考回路による映像が、全く異なった結果を想到させるのである。
寝っ転がって、何に束縛されることなく集中できたことが、各々の感性を引き出した好観察となつた。割合、気楽に取り組むと、緊張の糸が切れて自ずと観察に好結果を与えるということが判明し、つまらないことながら成果はあった。次回からは力まずいこう、ということで、その日は解散した。
“起死回生の逆転の発想を…”と一念発起して三人がふたたび集まったのは、それから半月ほど後のことである。時間そのものは、確かに人々の周りを隈なく平等に流れている。だが、人々の感性によって、その平等に流れている時間枠で営まれる行為には、自ずと差異が生じる。それを端的にゴフンと観察すれば、研究は進むと考えた。何故ゴフンとしたのか? は私にも分からないのだが…。
さて、会合の結果、次の対象として、道路工事現場で通行人がとる行為を観察することになった。誰のアイデアという訳でもなかったが、最近、頻繁に私の町の界隈では、この手の工事が行われていた…という、ただそれだけの理由である。当然、私達三人は目立たない工事用の仮設建物の隅で様子を窺わねばならない。春先とはいえ、生憎今日は、冷たい風が時折り肌を刺す寒い天候であった。三人は、建物、といっても俄か仕立ての仮設小屋なのだが、その一角を風除けにして身体を縮める。そして待つこと十五分、最初の一人が通り掛かった。
工事現場の道路下面には、通行できるだけの幅で鉄板が敷設されている。鉄板は細長い長方形をしており、掘削後の穴場に掛け渡された状態である。空中に浮く一枚の鉄板以外、進行できる通路はないのだから、否が応でも向こうへ行くには、その鉄板の上を歩かねばならない。少し長めだから、鉄板といえど、当然、重みが加われば撓りもすれば揺れもする。
三枚の看板が貼られているとはいえ、充分、危険な現場のように思われる。赤いパトライトも回っているし、もう一枚の看板もあるから、別に腹立たしいということにもならないだろうが、それにしても、もう少し安全な通路を確保できないのだろうかと、思われる現場である。
最初の通過者は、やや小太りした初老の男であった。私達三人は探偵でもなく、その男の動きを観察しているのではない。事や物を観察対象と決めたのだから、この工事現場で起こる現象を客観的に観察しようとしている。だが、河川堤防で“雲”をテーマとしたあのときでも、三人三様の観察結果となったのだが、実は、これが非常に重要だった。
話を続けよう。その男は、最初の一歩を慎重に、そして渡り終える直前に至っては、急いでいたということもあるのだろうが、さも慣れた大胆さで渡り切った。すでにゴフンという時間制限での観察は始まっていた。私はその男の動きよりも、別の次元でその事象を観ていた。
よく考えれば、一般的に見て、工事現場であのような危険な通行を歩行者に強要するのだろうか? という疑問である。簡潔に言えば、もう少し安全に渡れる方法を工事担当者が考えてもいいんじゃないか、という観点である。その男の後には、数分遅れで中年のおばさんが通った。この女性は鉄板前で立ち止まり、暫く躊躇していたが、ぐるっと辺りを見回すと回避を決め込み、身体を90度右折した。“だから言わんこっちゃない”と思った。私が先程の男で観察したように、誰もが安全に通れる措置を講ずべきだったのだ。建設会社もそうだが、これを認めた行政(町役場)の責任も重大だ。万一、大事故にでもなれば、どうするんだろうと、いらぬ心配もしたくなる。
悟君はというと、寒そうに揉み手である。
「あのオバハン、戻りよりましたなぁ…」
彼は、おばさんに囚われて観察していた。
「この工事は、もう随分になりますね」
塩山は、流石にまた一味違った見方で観察している。工期の遅延を視野に入れているのだ。町役場の責任を間接的に指摘した点は、私と似通っていた。やはり、私、悟君、塩山には、三人三様の感性があることが分かる。
続




