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クリスティンとロッテ

愛のある認め方

作者: ナンブ



「私と……結婚してください!」


 顔を真っ赤にして唐突にロッテが放った言葉に対し──俺は口に含んでいたコーヒーを盛大に噴き出す羽目となった。





「と……突然何だ?」


 一通り咳き込みもう一度、砂糖の入っていないコーヒーを流し込んだ後に、ようやく喉が落ち着きを見せる。涙が滲む視界の端で向かい側に座っているロッテを捕らえると、少し戸惑った様子を見せていた。


 相変わらず顔は赤いが、蒼い瞳には驚きの色が浮かんでいる。

 彼女がそんな顔を浮かべるのは、当然かもしれない。不意の一言とはいえ俺自身も、自分の取った咄嗟の行動に驚きを隠せなかった。


「ロッテ……俺の聞き間違いじゃなければ、今……」

「“結婚してください” って言ったんです!」


 低血圧で寝起きが悪い所為か、それとも歳を考えず昨日嗜んだ酒の量でも間違ったのか……二つばかり聞き間違いの要因を思い浮かべ、もう一度確認の言葉を告げたが結果は同じだった。


「何で女の子に、そんな事を二回も言わせるんですかっ!」


 決定打となるロッテの言葉と、目に涙を浮かべてテーブルを叩く音が俺の鼓膜を刺激する。『二回目は俺の言葉を遮って言ったじゃないか』という反論が寸前まで上がってくるも、それを何とか押し留める。


 それでも襲い掛かる混乱は収まる筈も無く、寧ろさらに大きくなって俺の思考を飲み込んだ。




 俺の元に再びロッテが現れ、共に過ごす様になってから半年余りになる。


 一度彼女と別れて経った二年という月日は、俺にとってはさして変化を感じさせない時間ではあるが──子供であったロッテを成長させるには、充分過ぎるものだったらしい。

 二年という月日の概念が「大人」である俺と、「子供」であったロッテにとって決定的に異なっていたのは明らかだった。

 髪も身長も伸び……見間違える程に美しくなった十七歳の少女からは、二年前にあった幼い面影が僅かに漂っているだけで別人の様な印象を俺に与える。

 それでも笑い方や感情の起伏、食べ物の好みは二年前のロッテそのものである事がさらに俺に違和感を与えていたのだが……当然の事ながら、俺はその事に関しては一度もロッテに話した事は無い。


 理由としては彼女……ロッテが俺の事を、異性として意識しているのを知っていたからだ。


 二年越しの再会の際、実際に彼女の口からその言葉が飛び出した時は、俺は情け無くもただ困惑する他無かった。

 一方のロッテも、俺が単に彼女を娘の様に接していた事から、恋愛感情など抱いていない事は無論知っていたらしい。だからこそ、感情に任せて想いを吐露した事を後悔している様な素振りを、この半年で何度か見せていた。


 逆にそれらの行動がロッテを“女性”として俺に意識させる原因となっていた事に、彼女は気付いていないのだろう。

 “娘”としてでは無く“女性”として意識してしまうのは、俺自身ですら困惑を隠せない。



 それでも決して表面には出さず──両親を失い、施設へと引き取られる事となったロッテを後見人として養子に迎え、共に過ごす事になっていたのだが……。




「いきなり、け……結婚とは……」


 なるべく冷静に努めようとするも、半年間何も言わなかった少女に求婚されて戸惑わない方が無理だろう。しかも朝食中に突然、だ。

 口が渇くのでもう一度コーヒーカップへと手を伸ばすも、先程飲み干してしまった事を思い出し諦める。水でも取りに行って煙草でも吸いたい衝動に駆られるが、真正面に座って俺を見つめる蒼い瞳がそれを許さない。


「断ると、罰金なんですから!」

「……は?」


 俺に向ける真剣な眼差しは相変わらずなのだが、ロッテの口から出た言葉の意味は理解出来無かった。彼女の真意を探ろうにも……余りにも唐突過ぎる出来事と、噛み合わない『結婚』と『罰金』の共通点が全く持って見当たらない。

 人間というものは考えれば考える程に、思考の糸へと絡め取られ余計な事にまで考えが思い至ってしまう。

 俺も例外では無く──大して飲んでもいない昨夜の酒が原因か、それとも寝ている最中に無意識で何か取り返しのつかない事でも行ってしまったのか……という考えにまで及んでしまっていた。


 最終的に、突然ロッテがこの様な事を言い出した原因は俺以外に有り得ない。ならばちゃんと理由と経過を本人の口から聞いて、しかるべき処置を取らねば……という、支離滅裂な思考にまで追い詰められた時だった。


 テレビから不思議な単語が耳に入り、俺は抱えていた頭を咄嗟に上げて視線を向ける。流していた朝のニュース番組は終わり、いつの間にか画面は天気予報になっていた。

 俺が反応したのは今日の天気でも、降水確率でも無い。何気無く談笑染みた会話を行っていたアナウンサー達の言葉だった。



『今日は、二月二十九日。四年に一回の“閏年(leap year)”ですからね』

『そうそう、踏ん切りがつかない彼氏に女性の皆さんからプロポーズ出来る唯一の日ですからねぇ』

『恐らく今日は約七十万人の女性が、煮え切らない男性にプロポーズを行うでしょう!』

『あらあら……男性の皆さん、気をつけてくださいね』



「…………これか」

 頭の中で突き当たっていた答えは全て壊れ、安堵と共に自嘲を含んだ呟きを吐いてしまう。軽く痛む頭を数度振った後でロッテの方を見ると、俺の前に座っている少女は顔を真っ赤にしていた。

 先程と異なる点は……唐突に求婚を行った理由を俺に知られた事が恥ずかしいのだろう、視線を合わさずに俯いている事位だ。


「……ロッテ」

 一度名を呼ぶも、返事は無い。

 さらにもう一度名前を呼んでも、顔は上がらなかった。俯いていてもロッテの白い肌はほんのりと赤く染まり、耳に至っては真っ赤になっている。

 その様子が素直に可愛いとは思えど、このタイミングで口走ってしまうと怒られるのは間違い無い。だが、俺の口は自然と上がってしまうのは仕方が無かった。


「養子は……義理の父親と結婚出来無いと思うんだが……」

「……えっ!?」


 苦笑混じりに放った俺の言葉が予想外だったのか、頑として俯いていたロッテが弾かれた様に顔を上げた。最初は驚きを浮かべていた表情だったが、やがてそれは歪み今にも泣きそうな顔へと変わってゆく。


「あ、いや……多分だぞ、多分」


 俺とて法律関係に詳しいわけでも無いし、こちらの国に戻ってきてたかだか数年で細かい事は分からない。ただふと思った疑問を口にしただけだったのだが……ここまでロッテがショックを受けるとは思わず、慌てて続きの言葉を告げる。


「いや……そういう事を伝えたいワケでは無くてだな……その……」


 まさか四十を目前にして、こんなにも狼狽える事になるとは思わなかったが──半年前にも似たような戸惑いを覚えた事を思い出すと、少しは冷静になれるから不思議なものだ。


「その……“結婚”という概念を、まず頭から追い出してくれないか?」

「……意味が分かりません」

「俺は、お前が半年前に此処へ──俺の元に戻ってきてくれた事は本当に嬉しかった。ずっとお前と一緒に暮らしたい、と思ったからこそ……こうして養子縁組の手続きを取って、一緒に暮らしてるのだが……勿論、あの時お前に言われた言葉を聞いてもな、別に迷惑とは思っていない。つまり……そういう事だ」


 話しているうちに、俺も自分の頬が次第に熱を帯びてくるのが分かった。

 全く──いい歳して何を回りくどい言い方をしているのだ、と自身を罵りたくもなるが……本来気軽に愛を囁く類の人間でも無いのは、自分が一番良く知っている。


 言い訳染みた言葉でしか表す事が出来無いが──正式に男女としてロッテと向き合うならば、彼女が成人を迎えるまで、俺は彼女を引き取らなければよかったのだ。

 ほんの数年、共に過ごさない……という選択を取るだけで、書類上は婚姻関係を結べたのは分かっている。

 だが、俺はあえてそれを選ばなかった。

 “子供として育てたい”という理由は、単に自己欺瞞であったのだろう。


 本音は──例え数年とて、自分が愛した彼女が傍にいない生活など耐えられなかったからだ。

 子としての愛か、異性としての愛かの比率は兎も角だ。

 俺は、ロッテを愛していた。

 今ではそれが均衡を失い、徐々に片の感情へと傾いているのは否めない。



「……クリスさんは、いつも難しい事ばかり言います……」

「俺は正直に言っているだけだが……難しかったか?」

「どうせ、私はまだ子供です……」

「……お前を子ども扱いや、別段女性として見ていないのならば……俺はもっと適当にあしらってるよ」


 頬を膨らまし、拗ねたように呟くロッテが余りにも可愛らしくて……思わず放った自分の一言が思わぬ失言だと気付いた時には、もはや遅かった。


 ハッキリとまではいかないものの、言葉の真意にようやく気付いたのだろう。先程までの拗ねていた表情は何処に行ったのか、ロッテが驚いた様子で何度も大きな目を瞬きさせていた。

 幾らロッテが疎くても、流石に今俺が放った言葉の真意には気付く筈だ。


「じゃあ、結婚しましょう!」

「……だから、お前はどうしてそう……」

「だって、私クリスさんと結婚したいんです!」


 こちらの抱いていた気持ちが決して否定的なものでは無い。と分かるや否や、ロッテは目を嬉しそうに輝かせて俺の元へと詰め寄った。

 テーブルから小さな身を乗り出し、互いの鼻と鼻が触れそうな距離にまで迫られて──これが愛しく無いといえば嘘になる。普段ならば『行儀が悪い』と言って席に着かせるのだが、今日はあえて叱責の言葉を飲み込む事にした。


「……いいか、ロッテ」

 小さく呼吸を整えてから、俺は静かに言葉を告げる。


「今俺とお前はこうして一緒に暮らしている、姓も一緒になった。その……書類上の関係は“親子”なのだが、結婚が出来たとしてもその書類上の関係が“夫婦”となるだけで……今までの生活通り何も変わらないのは分かるな?」


 これまで何度もそうしたように、ロッテの小さな頭に俺は手を置き優しく撫でてやる。絹糸のように細い髪が僅かに揺れ、ロッテは一度だけ小さく頷いた。


「だから……お前の言う“結婚”を俺としたからといって、何も変わらないわけだが……」

 柔らかいロッテの髪を撫でる手に力が篭るのは──恐らく次に告げるべく言葉に対する、躊躇と気恥ずかしさからだろう。僅かに残った抵抗と背徳心を振り払い、俺は黙って俯いているロッテに向けて最後の言葉を放った。



「だが、お前が言いたい気持ちも分かる。だから、もう少しお前が大きくなったら……挙式程度ならあげてもいい、とは思ってる」


 これが、俺の限界にも近い精一杯の返答だったのだが……

 流石に自分でも、想いを正確に伝える事が出来ない。己の年齢と不器用さに嫌気が差す程、粗末な言葉だと思ってしまう。


 手を置いていた髪ですら目を向ける気が起こらず、視線をロッテから逸らす事しか出来無い。

 部屋に落ちる沈黙と俺の気持ちを無視して、無神経にテレビから流れてくる耳障りな音楽が非常に気拙く感じる。

 俺は感情に任せて想いを口走ってしまった事を、今更ながら後悔し始めたその時だった。


 小さく俺の名を呼ぶロッテの声と鼻を啜る音が耳に入り、先程まで抱いていた羞恥などは捨て視線を戻す。

 見ると、小さな肩を震わせて目から大粒の涙を零しているロッテと目が合った。

 俺と目が合った事で堪えていた最後の感情が決壊したのか……泣き声と共に、もはや名前にすらなっていない発音で俺の名を繰り返し始めた。



 目の前で泣きじゃくる少女が、今どういう気持ちで涙を流しているか位は俺でも分かる。

 ただ……こういう時に掛けるべく言葉は、生憎と持ち合わせてはいなかった。


 言葉は持ち合わせていないが、俺がするべき行動はただ一つしか無い。

 俺が席から立ち上がっても泣き続けるロッテを抱かかえ、リビングのソファーへと移動する。ただ俺の名を呼び、胸の中で泣き続ける──娘でもあり愛しい存在でもある少女の頭を、無言で撫で続けてやる事しか出来無かった。



 ワイシャツにしがみ付いて泣いているロッテの頭を数度軽く撫で、俺は締めていたネクタイをゆっくりと片手で緩める。

 恐らくきっと、今日は初めて私用で仕事を休まねばならない。



 どの様な言い訳をして、休む口実を獲得しようかと頭の隅で考えながらも──俺は口端が上がり笑みを浮かべている自分に自嘲の文句を投げ掛けるのであった。





参考URL

http://magazine.gow.asia/love/column_details.php?column_uid=00001088

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