四話(完) 皆様、わたくしに跪く準備はできまして?
城は、静かだった。
だがそれは、何も起きていない静けさではない。
嵐の前でもない。
――嵐を起こす側が、息を整えている静寂だ。
わたくしが東屋で「女王になるべきだと判断いたしました」と告げてから、三日。
これはあとで聞いた話だ。
城内の空気は目に見えぬ形で塗り替わりつつあった。
まず動いたのは騎士団である。
騎士団長の命令で、王城警備の配置がわずかに変わった。
国王の私的区域と、第二王女の居住区。
その動線が、自然な形で強化された。
「……露骨では?」
副団長が囁けば、騎士団長は淡々と答えた。
「備えだ」
「何に対する?」
「エリシア様の安全にだ」
それ以上は語らない。
だが騎士団は理解していた。
守る対象が、増えたのだと。
次に動いたのは宰相である。
セシル・ウォーレンは、いつも通りに執務室に座っていた。
だが机の上の書類は、明らかに変わっている。
地方徴税権の統計。
国境警備の報告。
宗教勢力との過去十年の協定履歴。
「閣下。北方商会からの嘆願書です」
「通せ」
「珍しいですね。即答とは」
「今は情報が必要だ」
部下は首を傾げる。
だが宰相は知っている。
これは“妹のため”ではない。
未来の女王のためだ。
そしてそれを自覚した瞬間。
彼はふと、口元を緩めた。
「……罪作りなお方だ」
誰に向けた言葉かは、本人にも分からない。
そして。
王妃の私室では。
「動きが早いわね」
王妃は報告書を閉じる。
そこにはすでに、数名の有力貴族が“様子見”に入ったという記述があった。
「反対派は?」
「沈黙しております」
セシルの報告に王妃は笑みを浮かべる。
「沈黙は賛同ではないわ」
「ええ」
「でも、恐れではある」
王妃は静かに微笑む。
「あの子の“圧”は女王としては必要なものだわ」
そしてその頃わたくしは。
庭園の一角で、弟と並んで座って国内の地図を広げていた。
「レオ、ここは?」
「えっと……西方の穀倉地帯!」
「正解。ではその収穫量が落ちたら?」
「入ってくる税が減る……?」
「ええ。それを補うには?」
レオナルドは眉間に皺を寄せて考える。
一生懸命に考える瞳が可愛らしい。
「……他から取る?」
「半分正解。もう半分は“増やす”の」
「増やす?」
「交易よ。この国に来る交易商人に税金を課すの」
「交易商人から税を取るのですか?」
「ええ。でも多すぎてはいけないわ。この国に税金を払ってもこの国と交易することが利益になるようにしなくてはいけない」
「そのためには?」
「国民がたくさんお買い物ができる国にすることよ。わたくしが女王になったら向こう5年は国民への課税をしないでおこうと思うの。国庫にあるお金を使ってでもやる価値はあると思っているわ。その5年の間に国内の課税法案をすべて見直そうと思っているのよ。特に脱税をしてきた悪い貴族を中心にね。そういう悪いことをしてきた人たちから半分頂けば、税収は変わらないでしょう?」
レオの瞳がきらきらと輝く。
「お姉さま、すごい!」
「ありがとう、レオ」
風が吹く。
庭園の花弁が揺れる。
わたくしたちの光景を、遠くから見つめる影があった。
レオニス様。
一応今でも婚約者であり、それ以外――まだ肩書きの定まらぬ青年。
彼は自嘲気味に笑う。
「……敵うはずがなかった。私など最初から彼女の掌の上だったんだ」
だが。
その目にあるのは諦めではない。
覚悟だ。
彼は理解している。
ならば自分は何になるべきか。
隣に立つ者。
支える者。
そして――。
城は、静かに動いている。
宣言はまだない。
だが誰もが感じている。
第二王女は、もうただの王女ではない。
王冠はまだ頭上にない。
けれど。
その重みを、すでに背負っている。
そして。
最初に声を上げるのは、敵か、味方か。
盤上は整った。
次に崩れるのは、誰の駒か。
――王が次代を宣誓するまで、あとわずか。
反対派は、声を上げる前に消えた。
南方侯爵家の嫡男が突然の不祥事で領地へ戻され、王位継承の正統性に疑義を唱えていた老伯爵は体調不良で静養。
他の声高な反対派は不思議なほどおとなしくなった。
いずれも偶然。
そう、表向きは。
「偶然というのは便利な言葉ね」
王妃は紅茶を傾けながら微笑んだ。
対面に座るのは宰相セシル・ウォーレン。
「証拠も痕跡も残らない」
「残す必要もありません」
淡々と返す声音は静かだが、温度は低い。
「彼らは自らの帳簿の管理が甘かった。それだけのこと」
横領、裏取引、愛人への不自然な贈与。
どれも少し調べれば出てくる程度の綻びだった。
「あなた、昔から容赦がないわね」
「王妃殿下のご教育の賜物です」
王妃はくすりと笑う。
「いいえ。あの子のためでしょう?」
セシルは一瞬だけ沈黙した。
否定しない。
「これからの国のためです」
「そういうところよ」
王妃は扇を閉じる。
「わたくしはあの子の母。あなたはあの子の理性。騎士団長は剣。……では、女王となるあの子の隣は?」
セシルは答えなかった。
答えは、もう動いているからだ。
夜。
王城の回廊は月光に満ちていた。
わたくしはひとりでその美しい回廊を歩いている。
「おひとりで歩かれるのは危険です」
低い声が背後から響く。
「もう危険はないのでしょう?」
振り返らずに言う。
声の主、レオニス様は苦笑した。
「……すでにご存じでしたか」
「母上とセシルお兄様が動いた気配は分かりますもの」
わたくしはようやく振り向く。
「あなたも動いていたでしょう?」
レオニス様は肩を竦めた。
「小さな火種を踏んだだけです」
公爵家の力を使えるこの人はやはりそばに置いておくべきだと改めて思う。
その力を正しい方向へ使わせるのがわたくしの役目なのだから。
「靴底が焦げませんでした?」
「焦げるほどでは」
二人の間に、静かな沈黙が落ちる。
それは気まずさではない。
確認だ。
「レオニス様」
「はい」
「あなたに問います」
月光が銀に変わる。
「わたくしが女王になるとき、あなたは何になるの?」
わたくしからのまっすぐな問い。
逃げ道はない。
レオニス様は一歩近づいた。
「私はあなたの盾にはなれません」
「ええ」
「あなたの剣にもなれません」
「存じております」
「あなたの理性にも」
「それも」
「もちろん恋人にも」
「どうしてそう思うの?」
レオニス様は、静かに息を吐いた。
「あなたが恋焦がれているのは、私ではなくこの国だからです」
その言葉は、穏やかで、痛みを含んでいない。
理解しているからこその声音。
「ならば私は」
彼は膝をつかない。
ひれ伏しもしない。
ただ真っ直ぐに立つ。
「あなたがこの国を愛し続けられるように、あなたを愛する者でありましょう」
わたくしは彼の覚悟に目を細めた。
「それは王配の宣言かしら」
「命じられれば」
「命じません」
「では?」
「選びます」
静かに。
「わたくしがあなたを」
レオニス様の喉が僅かに鳴る。
「……光栄です」
「まだ即位前です」
「それでも、あなたが私を選んでくれるのなら、私の人生をこの国とあなたに捧げる覚悟はできています」
「まあ、あの時はわたくしとの婚約破棄を口にしたのに?」
「……どうかそのことは忘れてください」
「いいえ、忘れませんわ。一生覚えていますから覚悟なさい」
「一生、ですか」
「そうよ、一生」
月光の中、わたくしたちは並び立つ。
「わたくしは退かないわ」
「存じております」
「容赦もしない」
「期待しております」
「この国を守るためなら泥水だってかぶります」
「それでこそ殿下です」
わたくしは彼に手を差し出した。
「では、わたくしの隣に立ちなさい。一生分のあなたの時間と志をわたくしとこの国のために使ってもらうわ」
レオニス様は躊躇いなく頷いた。
「仰せのままに――ではなく」
一瞬だけ笑う。
「エリシア様と生涯共にありましょう。これは私の意志で決めたことです」
「よろしい」
その忠犬っぷりが愛しいのよ。
一生、わたくしのそばでその心をわたくしとこの国のために使ってね。
そして、戴冠の日がきた。
国王が第二王女エリシアを女王とし、自らは玉座を引くと宣言し、わたくしの戴冠式は歴代の王が戴冠してきた大広間ではなく、国民から見える場所、王宮のバルコニーで行われることになった。わたくしがお願いしたのだ。国民の前で女王になりたいと。
良い天気の中庭のバルコニーに国王と王妃、そしてわたくしが現れると、中庭に集まった国民から歓声が挙がる。
今日の戴冠式を前に、セシルお兄様がわたくしが女王となった時の法案の発表を先んじて行っていたからだ。
特に5年間の税負担なしは平民の支持を熱狂的に得た。
5年後からの課税についても、今までの半分以下で固定にすることも。
もちろん貴族たちから不満は上がったが、何故か不満も、疑義も、わたくしの耳に届く前に消えている。
王妃はわたくしの後ろから見守り、宰相は式次第を整え、騎士団長は剣を捧げ、レオニス様は一歩後ろ、しかし確かにわたくしの隣に立つ。
王冠が、わたくしの頭上に置かれた。
重い。
これは、この国の重さそのものだ。
わたくしは前世でも女王だった。
そして、今世は本物の女王となるだけだ。
ゆっくりと顔を上げる。
視線はまっすぐ前へ。
国民たちがわたくしを見ている。
ああ、その視線が欲するものをわたくしは知っているわ。
わたくしに愛されたい数えきれない願いがここにある。
わたくしの愛を欲するのなら、あなたたちがやることは一つです。
「わたくしは、この国を愛します」
それは誓い。
「そして、この国に愛される女王になります。皆様の愛を糧に、わたくしはこの国をより良くしていくことをここに誓いましょう。ですから」
わたくしは少し微笑んで、扇を国民へと突きつける。
「皆様、わたくしに跪く準備はできまして?」
わたくしの声に次々と膝をつく光景は圧巻だった。
その中でただ一人、レオニス様だけが立っている。
それでいいのだ。
だって彼はわたくしの生涯の王配なのだから。
――断罪されるはずの王女でした。
――けれど前世は女王様でした。
――そして今世。
わたくしは本物の、女王となる。
その隣に、選んだ男を置いて。
これは断罪されるはずだった王女が、自らの願いと矜持のために女王になるまでのおはなし。
終
断罪されるはずの令嬢が諸々跳ね返す話を書いてみたかった。楽しかった。楽しんでもらえたのなら嬉しいです。




