三話 わたくしが守るもの
王妃主催の午後の茶会は、いつも穏やかだ。
花の咲き乱れる中庭の東屋。
磨き上げられた白大理石のテラス。
陽光を透かす東屋を覆う薄絹の天幕。
銀器に映るのは、美しい花の色だ。
静かで穏やかな時間だ。
――表向きは。
今日の席には三人しかいない。
王妃。
宰相。
そして、第二王女であるわたくし。
侍女の一人すらここには近づけない。護衛騎士もだ。
その時点でこの場は秘密の会合であると誰が見ても分かる。
もちろん参加者本人もだ。
王妃は紅茶を口に運びながら、涼やかに微笑んだ。
その王妃に対して、宰相が口火を切った。
「今日のこの顔触れはどういったことですか、王妃様」
「たまには昔なじみの友人と自分の娘とお茶でも、と思ってはいけないの、セシル」
「いけないとは申しません。ですが、納得はできません」
「あらあら、相変わらず生真面目なこと」
「これが性分ですので」
そう答えたのは茶席の客である宰相だ。
白磁のような指先でカップを持つその姿は、絵画の人物のように整っている。
王妃の幼馴染であり、この国の宰相、セシル・ウォーレン。
わたくしにとっては、兄のような存在。
――だった。
姉上やわたくしが幼いころは、宰相の仕事の合間にわたくしたちの家庭教師もしてくれていて、彼の教育の成果で、姉上は完璧な王女として隣国へと嫁いでいった。
彼の視線が、わたくしを捉える。
「エリシア第二王女殿下。最近、随分とお忙しいと伺っております」
柔らかい声音。
けれど、探る目だ。
「そう?」
「ええ。殿下の最近の行動は城内で噂になっております。そして騎士団長が陛下のそばにいらしても妙に気もそぞろなことがある。貴族派閥の動きも穏やかすぎる。……嵐の前触れのように」
さすがですわね。
気づいていないふりはしない。
王妃が静かに扇を閉じる。
「今日は無駄話はなしよ、セシル」
空気が変わる。
宰相の背筋がわずかに伸びた。
「あなたは気づいているのでしょう?私とエリシアの考えに」
王妃の問い。
宰相は否定しない。
「……王位継承に関わる話であるならば、軽々しくは聞けません」
理の人だ。
だからこそ、ここにいる。
その瞳は私を”妹”のように思う慈愛があった。
わたくしは微笑む。
「軽々しくは申しませんわ。重く、申し上げます」
彼の瞳がわずかに細まる。
「セシル様。わたくし、女王になります」
沈黙。
風が天幕を揺らす音だけが響く。
宰相は、すぐには反応しなかった。
やがて、静かにカップを置く。
「……理由を」
「この国が、今より強く、美しくなるためです」
「抽象的ですね」
「では具体的に」
わたくしは指を一本立てる。
「税制の再編。地方貴族の徴税権を段階的に王家直轄へ」
二本目。
「常備軍の再編成。国境の警備を厚くします。そして騎士団を王直属とする。命令権も含めてです」
三本目。
「北方との交易路再開。宗教勢力との協定見直し」
宰相の表情が変わる。
兄の顔ではない。
宰相の顔だ。
「……それは、準備していたのですか」
「ええ。ですがまだ準備は始めたばかりです。まだただの妄想にしかすぎません。全てにおいて情報が足りていませんので。なので、わたくしの妄想を現実にするには、セシル様の助けが必要なのです」
そう、わたくしが女王になるためには絶対に必要なのがこの人なのだ。
「将来、王にとみなが考えている王子殿下はまだ幼い。今から十年は、実質的な執政が必要です。その十年を、誰が握るべきか」
宰相は即座に返す。
「現王陛下は健在です」
「ええ。ですが万全ではない。父上の健康状態がよろしくないのはみな知っていることです」
これは事実。
彼の視線が鋭くなる。
「継承順位を動かせば、内乱の火種になります」
「火種は既にありますわ。見えていないだけで」
王妃は何も言わない。
ただ見ている。
選ばせている。
「……あなたが傷つきます」
ぽつりと、宰相が言った。
それは政治の場に生きる宰相としての言葉ではない。
わたくしを心配してくれる兄の言葉だ。
わたくしは、少しだけ首を傾げる。
「それは、宰相としてのご懸念?それともセシル様個人としての忠告?」
彼の呼吸が、一拍止まった。
「私は」
続きが出ない。
わたくしは視線を真っ直ぐ向ける。
――前世の記憶から覚えた圧を、ほんのわずかだけ意識する。
「宰相。セシル様」
名を呼ぶ。
「あなたは、誰の未来を守っていますの?」
彼は、わたくしを見る。
そして初めて、気づいた顔をした。
守るべき少女はいない。
そこにいるのは、選ぼうとしている者。
わたくしからの「圧」が彼の心を締め付ける。
「……エリシア様。あなたは本当にエリシア様ですか?」
「わたくし以外の誰に見えまして?セシルお兄様」
微笑は崩れない。
だが指先が、わずかに強く組まれる。
「わたくしはただ女王になりたいのではありません」
静かに告げる。
「女王になるべきだから、なります。この国を守り生きることがわたくしの矜持です」
王妃の瞳がわずかに細まる。
宰相の沈黙が、長く続く。
やがて。
椅子が静かに引かれた。
彼は立ち上がる。
そして。
ゆっくりと。
膝を折った。
「……理に適っている」
低い声。
「それが、最も抗い難い」
顔を上げる。
その目にあるのは、ときめき。
彼はわたくしの作りたい未来にときめいたのだ。
「未来の女王陛下に、忠誠を」
王妃が、静かに微笑む。
「これで三人目ね」
「三人目?」
「アルクニート公爵家の令息も騎士団長も、もうエリシアのものよ」
宰相の眉がわずかに上がる。
「……抜かりがない」
「ええ」
わたくしは扇を閉じる。
「セシル様。わたくしに跪く準備はできまして?」
一瞬の静寂。
「……仰せのままに」
その声は穏やかだ。
だが確かに、彼はわたくしに跪いている。
よし、これで布陣は整った。
わたくしが女王になるための道筋を支えてくれる頼りになる「柱」たちだ。
そのとき。
ばたばたと足音が東屋に向かってきた。
「エリシアお姉さまー!」
勢いよく飛び込んできたのは、弟の8歳の王子、レオナルドだ。
「お姉さまがお母さまとお茶をしていると聞いたので来てしまいました!」
満開の笑顔はとても可愛らしく、その笑顔に王妃もわたくしもセシルお兄様も微笑まずにはいられない。
そう、わたくしが女王になろうと思った理由の一つがこの子だ。
「レオ。ごきげんよう」
「ごきげんよう、お姉さま。僕も混ざってよいですか?」
「ならば私も混ぜてもらおう」
更に後ろから声が響き、その人物に全員が深く頭を下げる。
「国王陛下、今日は体調はよろしいので?」
王妃がそう言うと、笑顔で父である国王が東屋の椅子に腰を掛ける。
「そうだな、今日は体調も良いし、気分も良い。ちょっと楽しい話を聞いたおかげかもしれんな」
王妃が手ずから国王のお茶の用意をする。
「楽しい話、でございますか?」
「ああ。エリシアが公衆の面前で婚約破棄を宣言されたが、その場を完全に抑え込んだ、と」
空気がわずかに張る。
王妃は穏やかな笑みを崩さない。
セシルは跪いた姿勢のまま、目だけを上げた。
わたくしは扇を閉じたまま、静かに父を見る。
「噂は尾ひれがつくものですわ、父上」
「ほう? では事実はどうだ」
国王の目は、穏やかだ。
だが鈍くはない。
父ではなく、王としての目だ。
「事実は――」
一拍。
「わたくしが、選びましたの」
「何をだ」
「未来を」
レオナルドがきょとんとする。
「みらい?」
その無邪気な声に、空気が少しだけ和らぐ。
だが国王は笑わない。
「セシル」
「は」
「お前はどう見る」
問いが飛ぶ。
宰相はゆっくりと立ち上がり、国王へ向き直る。
先ほどまでの“個人としての揺らぎ”は消えている。
「第二王女殿下は、理に適った未来を私に提示なさいました」
「ほう」
「そして私は、その未来に忠誠を誓いました」
王妃の指先がわずかに止まる。
国王は、わずかに目を細めた。
「誓った、か」
レオナルドがわたくしの袖を引く。
「お姉さま、どういうこと?」
わたくしは弟の頭を撫でる。
「レオ。あなたは将来、どんな王になりたい?」
「ぼく?うーん……お姉さまみたいにかっこいい王様!」
全員の視線が一瞬揃う。
国王が、低く笑った。
「はは。正直だ」
そして。
真顔に戻る。
「エリシア」
「はい、父上」
「お前は女王になりたいのか」
静かな問い。
わたくしは、首を横に振る。
「いいえ」
国王の眉がわずかに上がる。
「なりたいのではありません」
一歩、前に出る。
「なるべきだと判断いたしました」
東屋の天蓋を揺らす風が止んだように感じる。
「父上が守ってこられたこの国を、この先も揺るがぬ形で存続させるために。レオナルドが……王子殿下が盤石の土台の上で未来を選択できるようにするために。今は、わたくしが王座に座るのが最適解です」
国王がわたくしを見つめる。
自分の子供を見る目ではない。
後継者を見る目だ。
「……誰に入れ知恵された」
「誰にも」
「本当にか」
「はい。わたくしの矜持の上で決断いたしました」
国王の視線が、王妃へ。
その視線を受けて、王妃は穏やかに微笑む。
「私は、あの子を止めませんでした」
「止めなかったのか」
「止められませんでしたわ」
そして、静かに続ける。
「エリシアの心が私よりも強かったのです。そう、エリシアの矜持がこの国を支えより良くしていくと私は判断いたしました」
「そうか……」
その一言で、場が決まる。
国王はゆっくりと息を吐いた。
「レオナルド」
「はい!」
「お前はどう思う?姉が玉座についても良いと思うか?」
「ぼくは!お姉さまが王さまなら、ぜったい楽しい国になると思います!お姉さまが女王になるのなら、僕はいっぱい勉強して、お姉さまを支えていきたいです!」
無邪気な断言。
国王の目が柔らぐ。
「……楽しい、か」
ふ、と笑う。
「セシル」
「は」
「支えられるな」
「命に代えても」
即答。
国王は立ち上がる。
わたくしの前まで歩いてくる。
そして。
わたくしの頭に手を置いた。
「ここに載せるものは重いぞ」
「承知しております」
「孤独だぞ」
「覚悟しております」
「それでもか」
「はい」
国王は、ゆっくりと手を離す。
「ならば――見せてみよ」
完全な承認ではない。
だが拒絶でもない。
試験だ。
「ありがとうございます、父上」
国王はレオナルドの肩を叩く。
「お前も学べ。姉の背中から」
「はい!」
そして去っていく。
東屋に再び静寂が戻る。
セシルが、静かに言う。
「……これは、もう後戻りできませんよ」
「望むところですわ」
王妃が笑う。
「本当に、罪作りね」
レオナルドがわたくしに抱きつく。
「お姉さま、ぼく、いっぱい勉強する!セシル様!ぼくにお勉強を教えてください!」
「レオナルド様がそのようにお望みであるなら精いっぱい勤めましょう」
その温もりを抱きしめながら、思う。
ああ。
これはもう、ただの野心ではない。
「レオ」
「何ですか、お姉さま!」
「あなたが選ぶ未来が、わたくしのあとの道になるかどうか、これからたくさん勉強して考えて決めると約束してくれる?」
「?ええと……?」
「いつか王様になりたいと思ったら、わたくしにきちんと言ってね、ということよ」
「はい!僕がいつか王様になりたいと思ったら、必ずお姉さまに言います!約束します!でもぼくは、自分が王様になるより、おねえさまと一緒に頑張るほうがきっと楽しい気がします!」
「楽しい、か……。ええ、レオ。レオが楽しい毎日を送れるように、お姉さま頑張るわね?」
レオが差し出した小指に自分の小指を絡める。
これは前世でも憶えのある約束の方法だ。
「レオ。わたくしはあなたが未来を決めるまでに必ず今よりこの国を良いものにすると誓いますわ」
わたくしは守るべきものを決めた。
家族を、この国を、国民たちを、わたくしが女王として守り導き、今よりも良い国へしていくのだ。
次で終わりです。




