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毒薬令嬢じゃありませんから〜婚約破棄された私を薬師として見出したのは、瘴気喰らいの辺境伯でした〜  作者: 鈍色シロップ


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3/8

3

王都を発ってからの七日間。


最初のうち、少なくともロイベルの見た目に変わりはなかった。

先頭を行く騎兵に指示を出し、野営では翌日の行程を確認する。

その様子はいつもどおりに見えた。


北へ進むにつれて、ロイベルの様子にも少しずつ変化が見え始めた。

休憩のたびに胸元を押さえる仕草が増え、夕方には声も掠れている。

夜営の焚き火越しに見た横顔は、ひどく疲れて見えた。


(……気のせい、じゃないよね)


そう思っても、彼は私が口を開くより早く次の命令を飛ばしてしまう。

まわりも何も言わず、私はその空気に飲まれるしかなかった。


そして七日目の昼過ぎ――灰色の城壁が遠くに見えた瞬間、隊の空気がふっと緩むのがわかった。


「あれが、北の砦……」


馬車の窓から見上げた空は、王都よりも少しだけくすんでいる気がした。

風に乗って、薄く鉄錆みたいな匂いがする。


(瘴気のせい……なのかな)


さっきから、こめかみの奥がじんじんする。

息も、少し浅くなっていた。


やがて砦の門が開き、石畳の中庭に馬車が止まる。

私は足を地面に下ろし、ぐらつく足首を誤魔化しながら、そっと後ろを振り返った。


ロイベルは、朝よりもさらに顔色が悪かった。

馬から降りた瞬間、わずかに膝が揺らぐ。

それを見逃さなかったのは、すぐそばにいた兵だけだ。


「殿下、これ以上は……」


かすかに聞こえた制止の声を、ロイベルは片手を上げて遮った。


「出迎えくらいは、きちんと済ませる」


その言葉どおり、砦の幹部たちの前では、これまでと変わらぬ口調で必要な挨拶をこなしていく。

けれど間近で見れば、額ににじんだ汗や、少し荒い息遣いが隠しきれていなかった。


ひととおりの顔合わせが終わると、ロイベルは私のほうを一度だけ見た。


「悪いが……あとは部下に任せる。直接案内できなくて、すまない」


「えっ、あっ……とんでもないです!」


慌てて姿勢を正し、どうにか返事をする。

ロイベルは小さく頷き、控えていた部下たちに視線を移した。


「ソフィアーナ嬢の部屋と仕事場を手配してやってくれ。砦の状況については……兵長、頼む」


短くそう命じると、その背中はそのまま砦の奥へと消えていった。

それからしばらくのあいだ――ロイベルは執務室に籠もったまま、姿を見せなかった。



 ◇ ◇ ◇



北境の砦であてがわれた寝室の奥には、小さな作業部屋があった。

王都の屋敷から運ばせた器具と材料、親族の薬師が残した資料を、机いっぱいに広げる。


(まずは……いままでの薬を、ここで再現してみよう)


灰茶の作業服に着替え、髪をひとつに結ぶ。

久しぶりの調合でも、手順はもう体が覚えていた。

北境の人たちの役に立てるなら――そう思いながら、私は薬を作り始めた。


素材を乾かし、刻んで、煎じて、適切な火加減で煮込む。

失敗することも、もうほとんどない。


(思ったより、手は鈍ってなかったな……)


そう思いながら、できたばかりの薬を自分の舌に乗せる。


――喉の奥が少しひりつき、舌や手足の先が痺れる。

それでも以前よりは弱く、なにより砦に着いてから続いていた鈍い頭痛も、いくぶん軽くなった。


(薬として、よくなってきてる……かも)


それから数日かけて、配合の比率を変えながら、薬の効果を試し続けた。


一度、兵長が「なにか手伝わせようか」と申し出てくれたので、火の番や水運びをお願いした。

ただ、肝心の調合だけは、古いレシピの書き方が独特だったのもあって、慣れている自分がやるほうが早かった。


やがて、副作用が比較的軽く、効果の続きやすかったものをいくつか選び出したところで――兵長に相談してみることにした。


「まずは、症状の軽い者から試させてくれ。いきなり重症のやつにぶつけるのは、殿下も嫌がられるだろう」


兵長に案内されて、砦の一角にある診療用の部屋へ向かう。

ふだんは砦付きの軍医が使っている部屋で、怪我人や熱のある兵を寝かせている場所だ。

簡易ベッドと椅子がいくつか並んだその部屋には、長く咳が続いているという兵士たちが、すでに何人か腰を下ろしていた。


腰にさげた革のポーチから、濁った深緑色の液体が入った小瓶を取り出す。

自分でも一瞬だけ手が止まり、色を見た兵士のひとりも、「……これを?」と眉をひそめる。


「み、見た目は悪いですけど……大丈夫です。辺境伯様にも飲んでいただいた薬と、同じものですから」


兵長が無言でうなずくのを見て、兵士たちは観念したように小瓶を受け取った。


薬を飲んだ直後、何人かは指先をぎゅっと握りしめて眉を寄せた。

ほどなくすると力が抜けていき、浅かった呼吸もいくらか落ち着いていくのが、傍で見ていてもわかった。

胸の奥の詰まりがほどけたようだとも言っていた。


(よかった……ちゃんと効いてくれた)


ほっとしたのも束の間――その安堵も、長くは続かなかった。


「じゃあ、今度は奥の連中にも飲ませてやってくれないか。森の入り口まで見回りに出てたやつらでな。症状も、ひときわ重い」


兵長に促され、そのまま廊下の奥に向かった。

通された部屋には、痩せこけた兵士たちが何人も横たわっていた。

肌は土気色で、息を吸うたびに喉の奥から苦しそうな音が漏れる。

ときおりうめく者もいれば、虚ろな目でぴくりとも動かない者もいて、見ているだけで胸が痛い。


同じ薬を、彼らの口にも少しずつ含ませていく。私は息づかいを確かめながら、しばらく様子を見守った。

飲んだ直後に指先をぎゅっと握り、眉を寄せるところまでは、さっきと同じだったけれど――そのあとも呼吸は浅いままで、少しも楽そうには見えなかった。


「あんまり効いてないのかな……」


つい、こぼしてしまう。

横たわっていた兵士がひとり、ゆっくりとまぶたを開いた。

息の合間に、かすかに口角を上げる。


「いや、効いてるよ……ありがとう。俺たちは、瘴気を吸い込みすぎてるんだろうな。……それでも、殿下ほどじゃないが」


「殿下ほど……?」


反射的に聞き返すと、そばにいた兵長が苦い顔で口を開いた。


「殿下は、誰よりも前に立つおかただ。俺たちを守る盾みたいなもんでな……あのかたの身体が、いちばん瘴気にやられている」


(いちばん……瘴気に……)


屋敷の応接間での会話が頭に浮かぶ。


――『瘴気とつき合って十年以上だ。あんなふうに息が楽になったのは、初めてだった。――君の薬は、俺を少しだけ楽にしてくれた』


あの時は、「辺境伯として北境にいるのだから、瘴気の影響も多少はあるんだろう」くらいには思っていた。

それがまさか、ここにいる誰よりも重いだなんて……想像すらしていなかった。


(北境のために力を貸してほしい、って言われて……私は頷いた)


兵や民を支えているのは、北境を治めているロイベルだ。

だったら、彼にもちゃんと効く薬を作らなきゃいけない。

そのためにも、まずは目の前で苦しんでいる兵士たちのことを、もっと知らないと。


(ただ症状が軽い、重いってだけじゃなくて……薬を飲んだあと、どう変わるのかにも違いがあるのかもしれない)


兵長に頼んで、症状の軽い者と重い者それぞれに、薬を飲んだあとの変化を、改めて確認して回ることにした。


軽い症状の兵士たちは「胸が楽になった」「頭がすっきりした」と口々に言う。

けれど重症の兵士たちの反応は鈍く、返事すらできない者もいて、薬がどこにどう効いているのか掴みきれなかった。


(薬が効いてないわけじゃない……でも、重症の人たちにどう効いているのか、まだよく見えない。素材ごとに、身体のどこに届きやすいのか――もっと調べないと)


ひととおり確かめたあと、私はいったん兵長のもとへ戻り、要点だけ伝えた。

報告を終えかけたところで、ふと気づく。


(……ロイベル様には、どう効くんだろう。「いちばん重い」人の反応がわかれば、重症の人たちの手がかりになるかもしれない。症状だけでも、今のうちに聞いておけないかな)


それとなく、ロイベルの様子を尋ねてみる。

砦に戻ってからしばらく休んでいたけれど、今日はもう執務に戻っているらしい。


(今夜、少しだけ……時間をもらおう)


最後の片付けを終えたあと――プラム色のシンプルなドレスに着替え、私はロイベルの執務室へ向かうことにした。



 ◇ ◇ ◇



ロイベルの執務室の前に立ち、深呼吸をひとつする。

それから、扉をノックした。


「ソフィアーナです。……少し、お時間よろしいでしょうか」


「入ってくれ」


低い声が返ってくる。


扉を開けると、ロイベルは机に広げた地図の上に片肘をつき、書類に目を落としていた。

砦に着いた日の中庭で別れてから初めて間近で見るロイベルの顔色は、あの時よりもはっきりと悪かった。


(執務に戻れても、まだ楽になったわけじゃないんだ……)


視線を下げると、詰襟のボタンがいくつか外れている。

白い襟元の奥、首筋には黒い紋様のようなものがかすかに浮かぶ。


(瘴気の影響、なのかな……?)


気になりつつも、まずは本来の用件を伝えようとしたところで――


「先ほど、兵長から薬についての報告を受けた」


「……えっ?」


先に口を開いたのは、ロイベルだった。

顔を上げ、まっすぐこちらを見る。


「症状の軽かった連中は、ずいぶん楽になったそうだ。今夜の夜番も、いくらか回しやすくなっていたと聞いている。よくやってくれた」


「そんな……私は、その……」


ふいに褒められ、なんだかむずがゆくなる。

どう返事をしたらいいのかわからずにいると、ロイベルはふっと視線をやわらげた。


「ここまで早く結果を出してくれるとは思わなかった。助かっている。……それで、今日は何の用だ?」


「あっ、はい。おっしゃるとおり、症状の軽い兵士たちには、王都で作っていた薬でも十分な効果が見られました。ただ……」


症状の重い兵士たちには、軽い者ほど効果が出ていないこと。

それに、症状の重さによって薬の「効きどころ」――身体のどこがどう楽になるのかが、違っていたこと。

そのふたつを、できるだけ簡潔に伝える。


「それで、兵長から……『殿下がいちばん重い』と聞きまして。差し支えなければ……辺境伯様の症状も、詳しく教えていただけませんか?」


言いながら、さっき目に入った首筋の紋様へと、視線がまた引き寄せられてしまう。

ロイベルはわずかに片眉を動かした。


「いちばんは言い過ぎだ。だが、症状か……俺の場合は、少しややこしくてな」


「ややこしい……?」


そう言って彼は、自分のシャツの襟元に指をかけ、ほんの少し引き下げる。

首筋に見えていた黒い紋様は――喉元から鎖骨のあたりまで広がっていた。

息を呑んでしまう。


「俺の体は瘴気を取り込みやすく、そのうえ溜まりやすいのだと、神官に言われた。長くさらされると、こうして肌や髪に色が残る。『瘴気喰らい』、などと呼ばれたこともある」


「瘴気喰らい……」


瘴気の噂ぐらいしか聞いたことのなかった私は、そんな体質の人がいるなんて知りもしなかった。


(というか……それならどうして、北境なんて瘴気の濃いところに? 大事な王族なら、むしろ瘴気から遠ざけるんじゃ――)


私が言葉にできずにいるのを見て、ロイベルは襟元から手を離した。

机の上で指先を組む。


「俺が抱え込むぶん、まわりの瘴気は少しだけ薄くなる。俺自身も、しばらくすればある程度は慣れる。……瘴気の濃さが変わると、また『慣れ直し』になるが」


ロイベルはかすかに口元を歪めた。

北境から王都へ戻るたびに、いまみたいに具合が悪くなるのかと思うと……胸が詰まる。


「だから北境にいる。俺ならまだ瘴気に耐えられる。民の負担が少しでも減るなら、それでいい。――で、症状についてだな」


組んでいた指をほどくと、一度だけ喉元を押さえ、息を整えるように肩を落とした。


「もちろん苦しくはなる。だが、重症者のように悪化することはない。日によって波はあるが……症状だけで言えば、重い連中よりはまだマシだ。だから、俺の話はあまり参考にならんだろう」


「参考にならないなんて……そんなことありません! 重症者のなかでも、『わずかに楽になる』人と、ほとんど変わらない人がいるみたいなんです。それで――」


そこまで言いかけて、ふと疑問がよぎった。


(待って……そういえば、なんでロイベル様から薬を試してないの?)


ロイベルにも効く薬を作らなきゃ、とは思っていた。

けれど、立場的にも、症状の重さ的にも――真っ先に試すべきは、彼のほうだ。

砦では最初から「殿下は別」という空気があって、私も何の疑いもなく、それを当然みたいに受け入れていた。


――『まずは、症状の軽い者から。いきなり重症のやつにぶつけるのは、殿下も嫌がる』


兵長はそう言っていた。

つまり、ロイベル自身がそうさせているのかもしれない。


(……せっかく本人が、目の前にいるのだし)


迷いを振り切るように、私は口を開いた。


「あの……どうして辺境伯様は、ご自身で薬を試されないのですか?」


ロイベルは、なんでもなさそうに答える。


「君の薬が瘴気に効くことさえわかれば、それで十分だからな。俺は動ける時のほうが多いから、問題ない。……だが、他の連中は違う。動くことすらままならなくなった姿を、君も見ただろう?」


「……見ました。けど、それでも……」


(問題ないわけ、ないじゃない……)


どうしてこの人は、自分を後回しにできるのだろう。

王族だからって、そこまでする必要ないのに。


(比べるようなことじゃないと、わかってはいても……たった一度裏切られただけで、他人を助けたい気持ちがなくなった私とは――大違いだ)


ロイベルから直々に、頭を下げてまで頼まれなければ、きっと私は北境に来なかった。

彼だって、私を無理矢理にでも連れて行くことはしなかっただろう。

なんだか急に自分が情けなく思えて、顔が熱くなった。


……その熱は、恥ずかしさだけじゃない。

理由はわからないのに――この人を放っておけない気がした。


(やっぱり、ロイベル様にも薬を飲んでもらわなくちゃ。その反応が手がかりになるのはもちろん、それで少しでも……楽になるのなら)


今日は症状だけでも聞ければと思っていたけれど、このままなんとかお願いしてみよう。

そう決めて、私は息を整えた。


「さっき言いかけた話なんですけれど……重症者のなかには、返事すらできない人もいて。薬を飲ませてみても、どこがどう楽になったのか……わからなかったんです」


いつのまにか指先を組み直していたロイベルは、静かに話を聞いている。

言葉を続けるのに、少しばかり緊張する。


「だから、ただ症状が重い人に飲ませるだけじゃダメで……薬を飲んだあとの変化を、ちゃんと言葉で伝えられるかたに――辺境伯様にも、試してもらいたくて」


「……俺に?」


わずかに眉をひそめる。


「はい。このままだと、症状の重い人たちに合う薬を、手探りで作り続けることになってしまいます。だから次は、その人たちに合わせて配合を変えた薬を、辺境伯様にも試していただきたいんです。重症の人たちのためにも……どうか、お願いします」


頭を深く下げる。

一拍の間をおいて、低い声が落ちてきた。


「……そこまでされると、困るな」


慌てて顔を上げる。

ロイベルは観念したように、小さく息を吐いた。


「重症の連中のため、か。……いいだろう。そのための薬なら、俺も飲む。どう効いたかも話そう。だが、そのあとは兵と民が優先だ。――それでいいな?」


「あ……ありがとうございます! 助かります!」


思わず前のめりになってお礼を言うと、ロイベルはどこかおかしそうに口元をゆるめた。


「そんなに身を乗り出さなくても聞こえている。……参ったな、俺よりよく考えている。どうやら、厄介な薬師を連れてきてしまったようだ」


「や、厄介って……」


「褒めている。……さて、用は済んだろう? 先はまだ長いんだ、夜は早く休むといい。ではな」


「はい……失礼します」


深く一礼して、私は静かに執務室を後にした。



 ◇ ◇ ◇



ロイベルの執務室を出て、そのまま寝室に戻るなり――私はドレスから作業着に着替え、髪をひとつにまとめた。

隣の作業部屋へ移り、さっき片づけたばかりの机に、また材料と器具をずらりと並べていく。


本当は、今日はもう休むつもりだった。

なのに、さっきロイベルと話してから……どうしても、あと少しだけ手を動かしたくなってしまった。


(せっかくロイベル様にも飲んでもらえることになったんだ……症状の重い人たちのための配合を、早く考えなくちゃ)


そうして鍋に火を入れ直したところで――こめかみの奥がじんと痛んだ。

砦に来てから、夜になると決まって出る鈍い頭痛だ。

私は自分用に薄めた薬をひと舐めし、頭の重さをごまかしながら作業を続けた。


火を落とさないよう気を張りながら、素材を刻み、煎じ、小瓶に次々と満たしていく。

そのあいだにも、肩や腰のだるさが少しずつ溜まっていくようだった。


(結局、遅くまで作業しちゃったな……またクマがひどくなりそう)


目の下を、指先でそっと押さえる。

せっかく砦に来てから、少しずつ薄くなってきていたのに……と、思わず苦笑する。


机の上で、小瓶の列がずらりと並ぶ頃――小さな窓をふさぐ板戸の隙間が、うっすらと白く浮かび上がっているのに気づいた。

朝になったんだとわかった途端、どっと眠気が押し寄せてきたけれど……それでも、胸に広がる満足感のほうがわずかに勝っていた。



 ◇ ◇ ◇



それから数日――「今日こそは早く寝よう」と思う日ほど、机に向かう時間は長く遅くなっていった。


昼間は兵長と一緒に砦のなかを回り、最初は軽い症状の兵たちの様子ばかり追いかけていた。

一度薬を飲んだ者の多くは、数日はひどく崩れることもなく、夜番もこなせているとわかってくる。


「それなら、毎日作れるぶんのうち少しは、砦の事務や、砦近くの町から来る者にも回してみましょうか」


そんなふうに兵長と相談してからは、薬を飲む相手も少しずつ広がっていった。

小瓶の色を見て一瞬たじろがれるのは、すっかり見慣れた光景になった。


「……本当に、これを飲むんですか?」


そう聞かれるたびに、「色は悪いですけど、ちゃんと効きますから」と笑って返す。

砦の人たちが、実際に楽になっていくのを見てきたおかげで――あの夜、パーティーで浴びた「毒薬令嬢」を見る冷たい視線も、少しずつ頭の隅に追いやれるようになってきた。


やがて町の人たちからも、「子どもの咳が軽くなった」「夜に眠れるようになった」といった声が少しずつ増えていった。

そのたびに、次はどの配合を試すべきか考える。

夜になると「今日のぶんだけ整理しよう」と机に向かい、気づけば板戸の隙間が白みかけていた。


(普通の寝不足くらいなら、慣れてるはずなんだけど)


こめかみの奥が、じんじんと重い。

胸のあたりも、なんとなく詰まったみたいに息苦しい。


薄めた薬をひと舐めすると、たしかに頭は冴えるし、身体も動く。

けれど数時間ほど経つと、今度は骨の内側からゆっくりと、冷えが這い上がってくるようだった。


(……瘴気、かな。ロイベル様は、これを十年以上も……当たり前みたいな顔で抱えてたの?)


自分の身体のことなのに、なぜだか恐ろしさが湧いてくる。

そんな日が、いくつも続いた。



 ◇ ◇ ◇



何日目かの午後だった。


「ソフィアーナ嬢……顔色が優れませんな。少し休まれては?」


砦の廊下で兵長にそう言われ、私は慌てて首を横に振る。


「大丈夫です! 昨日はちゃんと寝ましたし……」


(……三時間くらいだけど)


心のなかでだけ、小さく付け足す。

これくらいなら、王都にいた頃だってよくあることだった。


兵長と別れ、階段を上がりながら手元のメモをめくる。

次に試したい配合と、残りの材料の量――頭のなかで、なんとか計算を回そうとする。

けれど、数字がうまく噛み合わず、足もとがふらりと揺れた。


(おかしいな……なんで上手く、計算できないんだろう。作業部屋に戻るまでに、把握しておきたかったのに)


諦めて、作業部屋で落ち着いて考えようと、足を動かすことに集中する。

一段、また一段。少しずつ足を踏み締める。

鼓動だけが、やけに大きく聞こえた次の瞬間――視界の端が暗くなった。


(あれ……)


足元の石段が、ふっと遠くなる。

誰かの声がした気がしたけれど、はっきりとは聞き取れない。

体がぐらりと傾いた瞬間――


「ソフィアーナ嬢!」

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