第二章 知識の道
フィンとの旅は、エリシアの人生観を根本から変えた。
侯爵邸での生活は、常に時間が決められ、場所が固定され、行動が制限されていた。しかし、フィンとの旅には、自由な風が吹いていた。彼らは時刻表のない馬車に乗り、風向きのままに歩き、興味深い話を聞けばその場に数日滞在した。
フィンの旅の目的は常にただ一つ「世界が隠している知識を、記録すること」だった。
旅は決して楽ではなかった。時には山賊に遭遇し、時には飢え、不潔な宿に泊まることもあった。エリシアは、貴族時代には想像もできなかった困難に直面したが、フィンのそばにいると、不思議と恐怖を感じなかった。
フィンは、生きるための実用的なスキルを持っていた。彼は火起こしが上手く、危険を察知する野生的な勘を持っていた。
「エル、君の知識は過去と未来を見通すが、私は今この瞬間の空気を感じる。だから、私たちが手を組むのは理に適っている」
ある日、彼らは古代の部族が使用していたという暗号文書の解読に挑んでいた。その暗号は、数字と星の位置を組み合わせた複雑なものだったが、鍵となるはずの単語が見つからなかった。
「この暗号は、軍事的なものか、あるいは宗教的なものだと仮定して、これまでの解析を試みた。だが、すべて失敗に終わった」フィンは苛立たしげに言った。
エリシアは、何日もかけて暗号のパターンを分析し続けた。そして、ふと気づいた。
「フィン、これは彼らの暦ではないかしら。この数字の組み合わせは、太陽と月のサイクルを表しています。そして、鍵となる単語は『小麦』や『収穫』ではなく『雨季』や『種まき』ではないでしょうか」
エリシアが古代部族の農耕と信仰の関係を説き明かすと、フィンは飛び上がった。
「そうか!彼らにとって最も重要な知識は、天候だったんだ! 儀式や戦争よりも、生きるための術! エル、君は本当にすごい。私が固定観念に囚われていた間に、君は完全に自由な視点から真実を見抜いた!」
彼は心からエリシアの知性を称賛し、その瞬間、エリシアの心は侯爵邸で受けたどんな賛辞よりも満たされた。それは、身分や美貌ではなく、彼女自身の能力が認められた喜びだった。
フィンのそばで、エリシアは徐々に変わっていった。
彼女は、貴族社会のしがらみから完全に解放された。化粧もドレスも必要ない。自分の着る服を自分で繕い、料理を作り、雨を避け、夜空の星を頼りに進む。生きるための労働は、彼女の体を疲れさせたが、魂を蝕むことはなかった。
旅の途中で、エリシアが昔の癖でつい「これは私の好みではない」と零すと、フィンは笑って言った。
「そうか。だが、それが君の好みかどうかは、この世界には関係ない。君が生きるために何が必要か、それだけが重要だ。好みは、生き残ってからゆっくり考えればいい」
その言葉は、エリシアのプライドを打ち砕くのではなく、生の本質を教えてくれた。生きることは、他者の視線や期待に応えることではない。
二人の間には、深い友情が育まれた。それは、恋愛の情熱とは違う、澄んだ泉のような信頼の絆だった。フィンは、エリシアの過去を詮索せず、現在の彼女をあるがままに受け入れた。彼はエリシアの最も優秀な「頭脳」であり、彼女の最も信頼できる「親友」だった。
エリシアもまた、フィンの自由奔放さに呆れながらも、彼の根底にある人類の知識への深い愛と、純粋な好奇心に心から惹かれていた。彼らは互いの弱点を補い合い、強みを最大限に引き出し合った。
エリシアは、フィンの影響で、長らく忘れていた笑うことを思い出した。人目を気にせず、大声で笑うこと。それは、侯爵令嬢には許されなかった、人間としての当たり前の感情の表現だった。
そして、彼女は気づいた。追放されたことで、彼女は人生で最も大切なもの、すなわち自由と真実の自己を得たのだと。




