ワンマン社長ベンチャー企業を追放されたエンジニア、Sランク大企業に拾われる
「――お前、もういいよ。明日から来なくていい」
言葉の意味を理解するのに数秒かかった。会議室の空気は、どこか湿っぽく、そしてどこまでも冷たい。椅子に座っていた俺は、立ち上がることもできずにその言葉を反芻した。
「どういう、意味ですか?」
俺――篠崎蓮、三十歳。ベンチャー企業『リベリオン・テック』で、創業時から開発を支え続けたエンジニアだった。
俺の問いに、対面に座る社長・槇原が鼻で笑った。
「いや、マジでさ。もうお前、古いんだよ。時代が。AIも、UXも、若い感性がないとダメ。ベテラン気取りで“設計思想がどうこう”とか、うっとうしいだけ。あー、あと株の件はもう精算済みだから。書類、送っとくわ」
言葉は静かだった。だが、心に突き刺さる破片は鋭かった。
俺がいなければ、プロトタイプは完成しなかった。資金調達のピッチ資料も、提案書も、俺が夜通しで作ったものだった。それでも、社長にとっては“過去の功績”にすぎないらしい。
「……わかりました」
俺は、席を立った。言い返したいことは山ほどあったが、無駄だ。こういう人間は、耳を塞いで「今が全て」と言う。
名札を外し、荷物をまとめ、そしてドアを閉じると、俺の五年間は終わった。
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退職してから、時間は不思議なほどゆっくり流れた。
貯金はある。だからすぐに困窮することはない。しかし、心にぽっかりと穴が空いた。技術職としての自信も、どこかに置いてきたようだった。
そんなある日、一通のメールが届いた。
> 件名:【採用面談のご案内】株式会社ユグドラシル・インダストリー
「……は?」
添付されていたのは、俺の技術ブログの引用、GitHubのコードへのリンク、そして俺の過去の業績の分析。それらは丁寧に一つひとつ読み込まれ、評価されていた。
> 「あなたのコードは“設計が美しい”。業界であまり見ない類の人材です。ぜひ一度、お話させてください」
企業名は――『ユグドラシル・インダストリー』。国内最大のAI・ロボティクス企業。通称“Sランク企業”。
夢物語だと思った。だが、実際にオフィスに足を踏み入れた瞬間、その空気の違いを肌で感じた。
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「篠崎さんですね、ようこそ。私、技術開発本部の鈴木と申します」
落ち着いたスーツ姿の女性が迎えてくれた。聞けば、彼女も元ベンチャー出身だという。
「弊社では“設計できる人”が圧倒的に足りていません。ただ速く書けるエンジニアはいます。でも、全体像を描いて、未来を見据えて作れる人材は希少なんです」
社長に“古い”と切り捨てられた技術が、ここでは“未来を支える設計”として求められていた。
条件は破格だった。年収は倍以上、勤務スタイルはフレックス、そして何より「あなたの技術に敬意を払います」と言われた。
気づけば、俺は首を縦に振っていた。
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それから半年、俺の生活は一変した。
ユグドラシル社での仕事は、今までのベンチャーとは比較にならないスケールだった。大型AIプラットフォームの中核設計、国家プロジェクトへの参加、次世代OSの立ち上げ――。
「この仕様、篠崎さんじゃなきゃ描けませんでしたよ」
「“一貫性がある設計”って、こういうことなんですね……!」
後輩たちの尊敬の眼差しが、少しむず痒い。そして、どこか誇らしい。
失ったものは確かにあった。だが、それは“失敗”ではなかった。
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そんなある日、ふとしたきっかけで、あの社長――槇原の名前をネットで目にした。
『リベリオン・テック、過剰拡大による資金難で人員整理へ』
思わず、コーヒーをこぼしそうになった。
記事には、開発責任者の退職以降、プロダクトの品質が低下し、顧客からの信頼を失ったとあった。
(そりゃそうだろうよ)
だが、不思議と怒りも憎しみも湧かなかった。ただ、過去をきちんと切り捨てられたことに、静かな安堵を覚えた。
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オフィスの窓から見える夕日が、真っ赤に染まっていた。
「篠崎さん、ちょっとお願いがあります」
声をかけてきたのは、若手リーダーの藤木。開発ラインの再設計に関して、アドバイスがほしいという。
「いいよ。どうせ帰るのも遅いしな」
パソコンを開き、仕様書を読む。複雑に絡み合うコードの中で、一本の筋を通す――それが、今の俺の仕事だった。
(ああ、ようやく“俺の居場所”を見つけた)
エンジニアにとって、本当の報酬は“誇り”だ。
金でも、地位でもない。自分の技術が、正当に評価される場所。それがあれば、何度でもやり直せる。
そして今、俺は――かつて夢見た“未来”の真ん中に立っている。