狐か狗か、はたまた狸か 其ノ肆
三階にある教室が壊滅状態になった後すぐに教師たちは警察を呼んだが、こちらに着くまで少し時間がかかるということだった。
しかも、彼らがやるべきことはそれだけではなく、校舎内にいる生徒たちの安全を確認することも大事である。先ほどから教師たちはあっちへこっちへと駆けずり回っていた。
シゲルたちは、破壊された教室の第一発見者としてもまだいてもらわなければならないと言われ、忙しそうな教員を眺めながら来賓室で待機している。
それ自体は構わないのだが、向かいに座る夏野の状態が異常だった。顔は恐怖に染まり、目は右往左往し、風が窓を叩く音一つで肩が飛び跳ねる。
「……大丈夫ですか、夏野さん」
「――ひっ‼ あ、は、はい……」
明らかに大丈夫ではない様子で夏野がうなずく。
「もう先生ったら、怖がらせちゃ駄目じゃないですか」
けたけたと場にそぐわない笑い方をする太宰を少女の震える瞳が捉える。何かを訴えたいような様子で、ただじっと見つめていた。
「そんなに見ないでくださいよ。穴が開いちゃいます」
「あ、すみません。……あの、お二人は『こっくりさん』の記事を書くためにここに来たんですか?」
軽口に対し丁寧に謝罪した夏野は、慌てて太宰から視線を逸らしそう尋ねる。その質問にシゲルは首肯した。
「……なら、校舎内で『こっくりさん』を見ましたか?」
不思議な質問だ、と思いながらシゲルは首を振る。
「見てないですね」
「あたしも先生と同じく、です」
そもそも見えるわけがない。「こっくりさん」とは儀式を使って呼ぶものであって、そこら辺にいるものではないからだ。
二人の回答を聞いた夏野は何か言いたそうに口を開き、すぐに閉じる。そのような行動を何回か続けていた時、太宰が先に沈黙を破った。
「心の準備ができてないなら、先にあたしが話します。……生徒さん。あなたさっき『やっぱり帰ってなかったんだ』と言ってましたが、ありゃどういう意味です?」
「……あ、う、」
慌てる夏野に、シゲルはあえて助け舟を出さなかった。太宰が言ったこととまったく同じ疑問を抱えていたからだ。
夏野は意味をなさない母音ばかりを並べていたが、自分の足元を見て震える声で話し始めた。
「……わ、わたくし、鬼門さんの言う通り、あの日、あの教室にいました。そこで、高崎さんと『こっくりさん』をしていたんです。正直、信じてはいませんでした。でも、みんなすごく当たると言うからわたくしも手を出してみたくなって、知りたいこともありましたし、彼女に方法を教えてもらいながらやってみたんです。……儀式は何事もなく進みました。質問に答えてもらった後、大事なものを差し出す必要があるというので、母からもらったお守りを渡しました。それで、帰ってもらおうと思って『お帰りください』と高崎さんと一緒に言ったんです。……そうしたら、指が、『いいえ』に動いて、何度やっても『いいえ』のままで、帰ってくれなくて……怖くて仕方がなくなった時、わたくし、見たんです。……『こっくりさん』を」
夏野は恐怖を抑えるように、両手で行灯袴を握りしめる。
「この国に存在する獣のどれにも当てはまらないものでした。毛むくじゃらの尾が三本もあって、狐に似た顔をしていたんです。それを教室内で見てしまった時、わたくし、思わず紙から手を離してしまって。……禁忌を犯してしまったんです。『こっくりさん』を呼んでいる最中は指を離してはいけないと言われていたのに。……だから、決まりを破ってしまったから、きっと『こっくりさん』はわたくしを狙っているんです」
シゲルは震える少女の細い肩を支える。異常なほどに怯えている彼女を見ると、何も言葉をかけられなかった。かけても無駄だと思った。
シゲルは「こっくりさん」について調べていた時のことを思い出す。数ある書籍の中に、儀式の最中は指を離してはいけないと書かれていたものがあった。もしも、その禁忌を犯してしまった暁には呪われるとも。……まさか、本当にこんなことがあるなんて。
「――本当にそうですか?」
結論に向かっていたシゲルの思考を、太宰の声がばつりと切断する。
「そこの生徒さんを狙うだけなら、今日みたいに別の教室を壊さずとも一回目の時に殺しておけばよかったでしょう? それなのに、彼女は今でも生きている。しかも無傷で。それっておかしくないですか?」
……たしかにそうだ。もしも禁忌を犯した夏野を狙うだけなら、化物の「こっくりさん」とてそんな面倒くさいことはしないだろう。
「……でも、だったらどうして教室を壊したりするんだろう」
もはやひとりごとに近いシゲルの言葉に、太宰は少し考え込んでから口を開く。
「帰りたいから、とか?」
まるで、迷子になってしまった子どものような答えだった。
「『こっくりさん』は儀式によって呼ばれて、質問に答えたら帰る化物……というか神様に近い気はしますが、とにかく向こうも仕事みたいなもんでしょう。一仕事終えたから帰りたいんじゃないですかね?」
「そんな人間みたいな……」
「人と変わりませんよ。大体はね」
知ってるだろう、とでも言いたそうに太宰は軽薄な笑みを浮かべる。そう、シゲルは知っているはずなのだ。誰よりも近くにこの男を置いているのだから。
「でも、その中に頭のねじが何本かぶっ飛んでるやつがいるのは確かですよ」
そこにこの男も含まれているんじゃないだろうな、と思わず渋い顔になってしまう。
「…………もし、本当にそうなら、帰りたいだけなら、わたくしはどうすればいいのでしょうか」
震えているだけだった夏野が、太宰に向けて問う。その顔には、どうにかこの恐怖を遠ざけたいという心境が見て取れた。
そんな彼女に対し太宰は、
「え、知りませんよ。あたしは『こっくりさん』じゃないですし」
そう返答した。あまりにも他人事だ。なんて最悪な男だろうか。
まるで地獄を目の当たりにしたように、夏野の瞳から光が消える。その様子を見ながら、太宰は続けて口を開いた。
「まぁでも、もう一回『こっくりさん』をやり直して今度こそお帰りいただけばいいんじゃないですか? おそらく帰ってないから呼ぶことはできませんが、儀式を始めればそれに引き寄せられて姿を現すでしょう」
「なっ、そ、そんなことできるわけがありません‼」
間髪入れずに夏野が全力で拒否する。その瞬間、
――ずぅぅん…………。
どこかから、腹底にまで響くような音が鳴った。校舎全体も小さく揺れる。……まさか、またどこかの教室が壊されたのだろうか。
さて、とたいして音を気にした様子もなく、太宰は夏野に目線を合わせる。
「あたしとしては、このままあなたが『こっくりさん』に狙われ続けようがなんだっていいんですが、どうします? もう時間はなさそうですけど」
人間離れしているすみれ色の瞳に見つめられた夏野の顔色は、青を通り越して死人のような土気色へと変わる。そして消え入りそうな声で、「………………やります」と言った。
今後の行動が半ば無理やり決まった中で、シゲルは胸中の不安を言葉にするため口を開く。
「……あのさ太宰。もし儀式をやり直しても『こっくりさん』が帰ってくれなかった場合は、どうなるの……?」
「そうですねぇ。もしそうなった時は――」
太宰は瞳を細めて笑う。その姿は、巣に餌がかかったと喜ぶ蜘蛛を彷彿させた。
「――あたしたち、みぃんなまとめてお陀仏ですね」
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