狐か狗か、はたまた狸か 其ノ壱
そう、そこに指を重ねて。
あとは答えてくれる神様の名前を呼んで質問すれば、勝手に指が動いて答えてくれるのよ。すごいでしょう? お父様の船で働いている外国人の方に教えてもらった占いなの。最近学校で流行っているのも私が広めたからなのよ。
……それで?
トメさんは一体何を尋ねたいの? ……え? 先島先生の婚約者について? もしかしてトメさん、先生のこと……まぁ! 素敵ね! 先島先生は器量も良くて実家も裕福そうですもの! きっと幸せにしてもらえるわ!
がんばって、私は応援するから! ではすぐにでも質問に答えてもらいましょうか! さぁ神様の名前を呼んで! え? ……名前は何か? やだ、私ったら言い忘れてた? 本当にごめんなさい、一人で舞い上がってたのね。
よく覚えておいて、この占いで力を貸してくる神様の名前は――
◇◇◇◇◇
「――こっくりさん?」
そう疑問符をつけて復唱した太宰は、まるで自分の家の台所にいるような迷いない手つきでまな板を取り出した。
初めて会った時のような着流し姿ではなく、白シャツに、サスペンダーで吊った黒いズボンという洋服に身を包んだその姿は、古くさい木造長屋の台所には似合わない。しかも、身長が高すぎるせいで長さの合っていないズボンからはくるぶしが見えてしまっている。
見世物小屋の一件以降、この「影無し男」は頻繁にシゲルの家へと通うようになっていた。理由を尋ねてみれば、「都合がいいからです」なんて返答されたこともまだ記憶に新しい。もちろん、拒否することも、彼をしめ出すこともできた。しかしそれをせず、こうやって招き入れているのは太宰の発した一言が理由だった。
――あたしが近くにいることで、先生にとっていいことがあるかもしれませんよ? ほら、類は友を呼ぶっていうじゃないですか。化物を飼ってれば怪異やら何やらが寄って来るかも。先生の商売じゃこういうネタは必須でしょう?
彼の言い分に、シゲルはうなずくことしかできなかった。
そんなこんなで、一夜限りと思われた記者と化物の奇妙な協力関係は現在でも続いている。それに加え、彼がシゲルの借りている長屋に訪れた際はいつも夕食を作ってくれるため、仕事以外自堕落な生活を送っている彼女にとって大助かりでもあった。あたたかい食事に飢えている職業婦人からすれば、太宰の作る大雑把な料理も高級旅館の御前のように思えるのだ。
だが、太宰にも自身の生活があるだろう。とてもありがたいが忙しければ食事の用意も無理しなくていい、と伝えたことがある。すると、彼はへらりとした笑みを浮かべながら、「一応軍に所属している身なんですがね、閑職に追いやられちまってるんです」と言っていた。
どうやら話を聞いてみると、見世物小屋にいたことも仕事の一環だったらしい。閑職の男をあんな危険な場所に送り込むかと疑問に思い尋ねると、人間でない自分は軍内でも特殊な扱いを受けている、と要領を得ない返答をされた。
まぁつまり……時間に余裕はある、という解釈でいいのだろう。どうにもこの男の言葉選びは回りくどくて苦手だ。
そう思っていると、まな板の上に長ネギが乗せられる。
「あたしは知らないですね」
「え?」
「『こっくりさん』ですよ」
太宰の言葉に、そうだった、と少し前のことを思い出す。自分から振った話題なのに、まったく別のことに意識が向いていた。
「で、その『こっくりさん』ってのは何なんです?」
「私もそこまで詳しいわけじゃないけど……降霊術を使った占いらしいよ。紙さえあればできるから簡単なんだって」
「降霊術……イタコみたいなもんですか?」
「似てるけどちょっと違うみたい。イタコは口寄せによって死者の魂を呼んで、生きてる人に言葉を送るものでしょ。でも『こっくりさん』の儀式で降りて来るのは動物の霊だって考えられてて、狐にも狗にも狸にも見えるものらしいよ。儀式通りに進めると、知りたいことをなんでも教えてくれるんだって」
「だから『狐狗狸さん』ですか。そりゃまたおっかないことで。……でもなんで急にそんな話を?」
不思議そうな太宰に向かって、シゲルは持っていた手紙を掲げる。封を雑に切られた茶封筒には、宛先であるシゲルの住所と名前、そして差出人の記載があった。「尾田高等女学校」と書いてある。
「学校から依頼が来たんだ。どうもその『こっくりさん』、最近は学生の間ですごく流行ってるみたい。ただの遊びならよかったんだけど、学校内で被害が出たから禁止せざるおえなくなったって手紙に書いてあってね。それで今回――」
「――『こっくりさん』がどれだけ危険かを理解させるための記事執筆者、として先生に白羽の矢が立ったわけですか。さすが、売れっ子は違いますねぇ」
「そういうこと」
「謙遜って言葉知りません?」
「売られた賛美は買うようにしてるの」
「今は返品してほしいんですがね」
呆れたような顔をする太宰に向かって、シゲルは得意げに笑う。太宰が言った通り、今の彼女は新聞や雑誌で名が載らない日はないほどの人気記者なのだ。それもこれも見世物小屋の記事が帝都中に出回ったからである。
あの見世物小屋はシゲルが不法侵入を果たした翌日には摘発された。彼女の証拠写真も役に立ったが、元より軍は違法すれすれの基準で運営していたあそこに目を光らせていたそうだ。詳細はわからないが、太宰が仕事の一環であの場にいたことも関係しているのだろう。
記事に関しては、「影無し男」について触れず、軍の目を通すならば問題ないと執筆を許された。摘発に一役買ったシゲルが書いた記事を求め、帝都の民は書店を訪ねて回ったという。それによって月刊雑誌『無垢』の購入数が大幅に増加。旧号を求める声も多いらしく、異例の再販が決定。そして、覆らないと思われていた廃刊も簡単に撤回された。
これで、お茶の間に新鮮な怪異や謎を引き続きお届けできるわけだ。先輩の大乗と一緒に涙を流しながら喜んだのも記憶に新しい。
「話は戻りますが……受けるんですか? その依頼」
太宰の長い指が茶封筒を指し示す。
「うん、私個人としては引き受けたいと思ってる。まぁ、まずはこの依頼のことを会社に伝えて承認もらわなくちゃいけないけど」
「なるほど。それで、件の学校はどちらでしたっけ?」
「尾田高等女学校だよ。ほら、お嬢様中のお嬢様が通うっていう帝都の中でも有名な所でさ。橋を渡った先の……」
そこまで言って、シゲルは口を噤む。……なんだか嫌な予感がする。
「太宰、もしかして……」
すこん、という音がまな板から鳴る。すると、慣れた手つきで長ネギを切っていた太宰が振り向いた。口角がきれいに上がっている。
「もちろんお察しの通り、あたしも行きますとも」
「いやいやいや、なんで? この依頼と太宰はなんの関係もないでしょ」
「関係はないですが、どこへ行くにも用心棒は必要でしょう?」
当たり前だとでもいうように答えが返ってくる。……まず用心棒が必要な状況になりたくないのだが。
そう思いながら引きつった顔をするシゲルとは反対に、太宰はへらりと笑った。
「今年の春は初夏並みに暑くなるそうですよ。学校の怪談なんて、納涼には最適です」
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