記者と影無し男
自殺とされた芥部辰之助氏の謎を今紐解く――
人気女性記者、鬼門シゲルが三年の月日を経て紡ぐ「自己像幻視」と「怪異」の関係とは――⁉
横浜のある小さな本屋にて、店先に塔の如く積まれた雑誌を男は手に取る。長身瘦躯の彼はハンチング帽を目深に被っており、髪の毛も全て入れ込んでいた。身体つきからして十代後半から二十代前半ほどの年頃だろう。白シャツにサスペンダーで吊った黒いズボンという洋服に身を包んだその姿はハイカラだが、港であるこの地ではこのくらいの若者は大勢いる。
問題は足先から一寸も伸びていない影くらいだがこれも問題はない。日々忙しい横浜の人たちは他人の影にまで目がいかないのだ。
だが、その日だけは違った。
「『影無し男』のお兄さん。今お暇ですか?」
「これが暇に見えます?」
「見えますねぇ。店先で立ち読みする昼下がりの青年って感じ」
おかっぱ頭の女が顔を覗き込む。次いで、歯を見せて笑った。
「久しぶりだね太宰。生きてる間にまた会えて嬉しいよ」
「力づくで会いに来た人がよく言う……」
太宰は呆れたような顔をして、シゲルの方に目を向ける。太宰はこの三年、発展している街だけでなく、今にも廃村になりそうな村にまで訪れていたのだ。横浜に来た途端出くわすなどありえない。
「一体どんな手を使ったんです?」
「それは言えないね。大乗先輩から伝授された奥義ですので」
得意げな顔で彼女は言う。
「じゃあ質問を変えます。なんでここにいるんですか?」
するとシゲルは、待ってました! とばかりに、
「えーこの度、売れっ子の私は本を出すことになりまして」
そう言って胸を叩いた。
「今まで書いた化物関連の記事に加筆修正を加えて全集みたいな形で出版するんだ。それで、その一頁目は何がなんでも『影無し男』にしたくてですね、追加取材とかさせていただけたらと……」
媚びへつらうように胸の前で両手を擦り合わせる。対して、太宰は面食らった様子で彼女を凝視した。
「驚いた。そんなことのためにあたしを探してたんですか?」
「私に看取られたくないからって日本一周してる太宰に言われたくないね」
眉根を寄せて反論する。驚き具合で言ったら太宰もどっこいどっこいなのだ。
「あー、それもそうか。……で、追加取材、でしたっけ? あなたになら別に何されても構いませんが、どうしてあたしなんです? 化物なんてほかにもたくさんいたでしょう」
「私が初めに出会った化物は『影無し男』。だからそれ以外は一頁目にしたくないんだよ」
「我が儘ですか」
「こだわりって言いな」
「……わかりました。そこまで言うなら引き受けます」
太宰は一つ息をつき、諦めたような表情で口を開く。
「それにしても、ずいぶんと一途な記者さんなんですね」
「そうだよ。こう見えて一途なんだ」
「嫌味なんですから否定してくださいよ。まったく、先生は本当に可愛げってやつが――」
「――ないって?」
「あるから困ってるんですよ」
「まぁそうだろうね……って、うん⁉」
思いもよらぬ発言に瞠目してしまう。
「い、今なんて――ぶっ!」
己の耳が信じられず聞き返そうとした瞬間、脳天に軽い衝撃を受ける。一体何だと手をやれば――
「――手帳?」
ふと、太宰と別れたときを思い出す。
彼は言っていた。日本一周ついでに忘れたくないことでも書き記すことにした、と。
本当に書いていたのか。言葉にできない感動がシゲルの胸を埋め尽くす。
「追加取材だったら、あたしの手記も必要じゃありません?」
懐かしい、へらりとした笑みを浮かべて太宰は問うた。それにシゲルは何度もうなずく。
「いる、いるよ! すっごいいる! これも全集に追加する!」
「そりゃあよござんした」
「中、見てもいい?」
「どうぞ、お好きに」
許可が下りると同時に、シゲルは表紙をめくる。すると、視界に真っ先に飛び込んできたのは、己の名前だった。
「あぇ……」
意味を成さない言葉がもれる。目の前の事実に理解が追いついていない。
おそるおそる次の頁をめくれば、訪れた村の名前やそこで感じたことが記されていた。
シゲルは胸を撫で下ろす。よかった、普通の手記だ。先ほど記されていたことも、きっと見間違いだったのだ。
そう思い、一頁目に戻る。
『鬼門シゲル』
見間違いではない。かれこれ三十年以上使ってきた、自分の名だ。
脳内をぐるぐると巡るのは、日本一周ついでに忘れたくないことでも書き記すという太宰の言葉。そして、一頁目に書かれた名前。
つまり、これは――
「最後に会ったあの日。どうしてあたしが家に上がらなかったのか、わかりました? 記者の鬼門シゲルさん」
太宰は目深に被ったハンチング帽を取り、日の光を遮るようにシゲルの側頭部近くへ移動させる。顔全体が影に覆われ幾分か涼しくなったはずなのに、シゲルの頬はじわじわと赤く色づいていた。
ぱくぱくと釣り上げた魚のように口を開閉させることしかできない。そんな彼女を見て、けたけたと太宰は笑った。
「その手記、なんて題名にしようか迷ってたんですが、あなたの間抜け面を見たらいい案が浮かびました」
ハンチング帽をシゲルの頭部へ優しく乗せ、太宰は一歩、二歩と踏み出し彼女の横を通りすぎる。
「これは死に損ねの化物が書いた――」くるりと振り向き、「――恥知らずにも程がある、人間のように明日を願ってしまった男の話」
まるで口上を述べるような、演技くさい振る舞い。
でもなぜか、目が離せない。
「名付けるならば――『人間失格』」
すみれ色の瞳がまっすぐにシゲルを射貫いて、無邪気に細まる。
「元人間の化物が書いた手記には、ぴったりの題名でしょう?」
こうして一度幕を下ろした「影無し男」のお話は、記者という変わり種を交えて、もう少しだけ続くのかもしれない。
今回のお話で、本作「鬼門の化物手帖」は完結となります。
ここまでお読みくださった皆様、誠にありがとうございました!
日間、週間共に、ホラー〔文芸〕ランキング入りし、初めての経験をさせていただいた思い出深い作品となりました。
最終話となりますが、面白かったと思ってくださった方、ぜひブックマークや評価をお願いします。
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今後も精進してまいります!




