ドッペルゲンガー 其ノ弐
あいつの姿と影と温度を奪って以降、この時のことをよく思い出す。
忘れるはずもない。己とあいつが初めて言葉を交わした日だ。
それにしても、あいつ中々会いにこないなぁ。こっちから会いに行ってやろうかな。そんな案が頭をよぎった時、ふと断髪の女が思い浮かんだ。
あぁ、そうだ。もう一人、俺を見てくれる人間がいたじゃないか。
◇◇◇◇◇
一瞬瞠目するも、太宰はシゲルの一歩前に出る。
「そんなに警戒するなよ。こんな人通りの多い場所で血生臭いことはしないって」
からからと笑いながら太宰と同じ姿のモノ――ドッペルゲンガーはこちらに向かって歩を進める。
「全然会いにこないからさ、俺の方から来てみたってわけなんだけど。なんだ、あの獣の件に手こずってたのか。参ったな、お前だったらあんな獣は放っておくと思ってた」
「……何しにきたんです」
「言っただろ。全然会いにきてくれないから俺の方からきたんだ」
「いつも隠れてるのはあんたでしょうが」
「だったら探しにきてくれよ。寂しいだろ?」
太宰は眉根を寄せる。ドッペルゲンガーは太宰の三歩ほど前で止まった。
「でもさ、今日は先生にも頼みごとがあってきたんだよ」
彼は腰を屈め、シゲルと目を合わせる。
「なぁ、先生。俺のこと、取材してよ」
「……は?」
声を出したのはシゲルだった。
今までの取材では依頼や突撃することはあれど、化物側から頼み込んでくることはなかったからだ。初めての経験に思わず面食らってしまう。
……さて、どう答えるべきだろうか。シゲルは頭を捻る。不思議と、目の前の化物に恐怖は感じていなかった。太宰と同じ姿だからだろうか。
「いいよ」
するりと承諾の言葉が出た。太宰がこちらを向く。その顔には、なに馬鹿なことを言い出してんだ、と書いてあった。ドッペルゲンガーの方も吃驚した様子で目を大きくし、シゲルを凝視している。
「あんな要望受ける必要はないです」
「必要なくはないよ」
「やめてください」
「それはもうお願いだね」
「そうです、お願いです。だからやめてください」
まっすぐな言葉で太宰が懇願する。回りくどい言葉を使いがちなこの男には珍しい。
「ごめん、そのお願いはちょっと叶えてあげられないや」
「なんでですか」
「太宰に関係することだからかなぁ」
シゲルの回答に面食らったのか、太宰の身体がかすかに揺れた。
「私にとって、太宰は助手兼用心棒兼取材対象なわけだよ。だからさ、あなたに関係することなら相手が何者だろうと取材はする。私は記者だからね」
そう伝えて、太宰よりも一歩前に出る。背後から、
「……この浮気者」
なんて、小さく罵られるものだから思わず吹き出してしまった。力づくで引き止める度胸もないくせに口だけは達者じゃないか。
「記者っていうのは毎日何かしら追いかけてるんだ。一途な人の方が珍しいよ」
ドッペルゲンガーの隣に並び、太宰の方へ振り返る。まだ何か言いたそうな顔をしていた。だから、これ以上言葉を紡がせないため先に口を開く。
「それじゃ、いってきます。鍋はまた今度一緒に行こう」
「……いってらっしゃい」
「もう一声」
「…………気をつけて」
「うん、ありがとうね」
肩掛け鞄から手帳と万年筆を取り出し、ドッペルゲンガーに見せつけるよう掲げる。
「よし、取材といきましょうか!」
ドッペルゲンガーの一歩は大きい。シゲルは少し後ろからその背を眺めていた。
「先生、俺のこと見ててくれてる?」
「しっかり見てるよ。背中しか見えてないけど」
「じゃあ先生の方を向いて、後ろ向きで歩くかな」
「危ないからやめな」
この大男が転がって気絶でもしたら、さすがにシゲル一人で運べない。
そんな考えから放った言葉だったが、ドッペルゲンガーは珍しいものでも見るようにきょとんとした。あ、その顔は太宰とよく似ている。いや、同じ顔なのだから似ていることが当たり前なのだが。
「俺のこと心配するとか、先生頭いっちゃってんね」
そしてこの暴言である。なぜここまで言われなくてはならないのか。
「ごめん、気を悪くさせたなら謝るよ」
「あ、違うよ。気なんて悪くしてないって」
ドッペルゲンガーは口元を綻ばせて言う。
「……先生さぁ、俺があいつのどこを奪ったか知ってる?」
あいつ――十中八九、太宰のことだろう。彼と並んで歩いた帰路、そこで聞いたことを思い出す。
「――影と温度、って聞いたよ」
「正解」
ドッペルゲンガーがにぱっと笑う。
「ほんとはさ? ぜぇんぶ奪う予定だったんだけど、まぁ上手くいかなかったんだよな。それで影と温度なんて中途半端になっちまったわけ」
「姿も奪えてるように見えるけど……」
「まぁ先生から見りゃそうだろうな。ただドッペルゲンガーとしては駄目なんだよ」
説明したところで理解できないだろうとでも言いたそうに彼は目を細める。そして、その場で一度くるりと回って話題を変えた。
「――と、こんな話はつまらないな。別のことを話そう。やっぱり俺たちには、共通の知人であるあいつのことの方が盛り上がるだろうさ」
「――ちょっと待って」
今にでも太宰のことを語り出そうとするドッペルゲンガーに制止をかける。
「たしかに取材をしようと思ったのは、あなたが太宰の関係者だからだよ。でもね、今の取材対象はあなたなんだ。私はあなたの口から、あなた自身のことが聞きたい」
「……あんた、ずいぶんドッペルゲンガー泣かせな人間だなぁ」
「生まれて初めて言われたよ」
ドッペルゲンガーは暫しシゲルを見つめ、困ったように鼠色の髪をかき混ぜた。地面に伸びた影も同じように動いている。そんな当たり前のことを思わず目で追ってしまう。
「先生さぁ、俺がドッペルゲンガーってこと知ってるだろ?」
シゲルは一つうなずく。
「じゃあその辺の紹介は省いてもいいな。あとほかに言えることってなると……実は姿を奪うのは一瞬で、超簡単ってことかなぁ」
「その割に髪や目の色は元と違ったように思うけど」
「それはちゃんと殺せなかったからだよ。化物の俺と人間のあいつが混ざったらそりゃ髪の色も目の色もおかしくなるわ。それに俺は生まれつき姿ってものを持ってないけど、目の色だけはこの色なんだよ。多分それが今のあいつに色濃く出たんだろうさ」
「なるほど、つまり詳細はよくわからないってことか」
「わざと濁して言ったのにぜぇんぶ口に出しやがった」
うんざりとした顔をしながら、ドッペルゲンガーは話を続ける。
「普通の人間はすぐ殺せるからこんなことの方が珍しいんだよ。俺たちドッペルゲンガーは対象の相手を殺すことで姿やそれ以外の全てを奪うんだ。それこそ体温や影、内臓の位置とか癖に記憶、病気の有無までな」
ドッペルゲンガーは身振り手振りを交えてシゲルに説明する。こういう行動は彼を幼く見せた。そもそも、元からしわがない十代後半から二十代前半ほどの顔立ちなのだ。重そうな瞼を少し上げてやれば、まだ世の中をろくに知らない少年のような面になる。
「え、病気とかまで真似るの?」
「当たり前だろ? ドッペルゲンガーの本懐は成り代わること。二ではなく一にならなくちゃいけない。これはもう本能に刷り込まれてんだ」
――本能。シゲルには理解できない。本能的に何かをしなくてはならないと思ったことなんてあっただろうか。獣であればうなずける。しかし、人間という生き物は比較的本能というものに縛られることはない。本能に基づいた行動をする前に、理性というものが働くのだ。
目の前の本能で生きている化物を見る。なるほど、生きている次元が違う。こちらの常識は通じない。一つ一つの単語は理解できるのに、文章になった瞬間わからなくなる。夢でも見ている気分だ。こんな取材対象は初めてである。
「満足できる情報だったか?」
「ぜんぜん、足りないよ」
「強欲だな先生。こっち側でもやっていけるよ」
こっち側とは、化物側ということだろうか。なんとも失礼な物言いだ。別に腹も立たないが。
「――で、ほかに何が聞きたいんだ?」
頁の上を走っていた万年筆を止める。かれこれ一緒に歩いているが、やっと取材らしい質問ができそうだ。こんなこと尋ねていいものかわからないが、化物という存在をこの目で見てからずっと気になっていたことでもある。
「――あなたが生まれてから、今までのこと全部」
太宰のように覚えていないなら仕方がない。しかし話しぶりからしてこの化物は覚えているだろう。
「こりゃまた……ずいぶんと熱烈だな」
すみれ色の瞳がすっと細まる。次の瞬間、シゲルの全身が粟立った。別の世界に足を踏み入れたような、知ってしまったらもう戻れないという直感があるような、そんな感覚。
いつもと変わらないはずなのに、視界の端に映る自分の影がやけに黒く感じた。
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