ジェヴォーダンの獣 其ノ捌
「ジェヴォーダンの獣」の件から二週間が経った。「黒い断髪女性傷害事件」はぱったりと幕を閉じ、帝都はいつも通りの雰囲気を取り戻しつつある。
シゲルはこの事件の記事に、獣の怪異が関係していることをそれとなく書き記した。大っぴらにジャンとジャンヌをことを書くわけにはいかないが、彼ら兄妹がたしかにこの土地にいたことを残しておきたいと思ったのだ。
シゲルの記事を読んだ上司は、新しい目線の内容と臨場感あふれる文体に引き込まれた様子であった。無事に提出を終えて一つ息をつく。
これでやっと「ジェヴォーダンの獣」の件が終わったのだ。
会社の外に出たシゲルは大きく伸びをする。外気に触れた肌が冷たさで痛い。日差しを遮る雲はないのに、今年の帝都の冬はここまで冷え込んでいるのか。
年々寒くなっている気がするが、おそらくは去年も同じくらいだったのだろうとも思う。定期的に体験しない限り、思いのほかすぐに忘れてしまうものだ。
今日は書き上げた記事の提出が終わった後に休みを取得していた。所謂、午後休というやつだ。
さて、何をしようか。今日はもう仕事はしないと決めている。家に帰って泥のように寝るもよし。読めていなかった他社の雑誌を読むもよし。……あぁ、朝飯を食べていなかったから、まずは胃に食べ物を入れてから考えようか。
そう思案し、飯屋が多く並んでいる通りに向かって足を踏み出す。その時、優しい男性の声が己の名を呼んだ。
声の方に顔を向ければ、呼んだ張本人であるルーメンと太宰、そして――やけにびくびくとしているジャンの姿があった。金髪の見た目麗しい神父、「影無し男」に「ジェヴォーダンの獣」の兄と、本日の帝都一目を引く団体様だろう。現に道行く人々は、一体何の興行だ、と彼らを頭からつま先まで眺めていく。
「よかった。本当はお家にお邪魔しようかと思っていたんです」
ルーメンはそう言って微笑む。日差しの下だからか、いつもより顔の眩しさが上がっている気がした。
「うちに? あれ、何かお約束してましたっけ? ちょっと待ってください、今手帳を確認しますので」
「あぁいえ、とくにお約束はしていませんよ。ただお伝えしたいことがあったんです」
「伝えたいこと、ですか?」
「はい。実は明日に帝都を発ち、横浜から出港する船に乗って帰国する予定なんです」
「……え、そうなんですか⁉」
想定外の話題だったために面食らってしまう。そうだったのか、なぜかまだ帝都にいる気がしていた。だが、言われてみればそうだ。彼は神職につく身である。母国には彼の手を求める者も大勢いるだろう。そもそも、帝都には「ジェヴォーダンの獣」の件で訪れていただけなのだ。それが解決すれば帰るのも道理である。
そんな考えに今まで思い至ってなかった自分に吃驚した。短い期間だったのに、ずいぶんとこの面子でいることが心地良かったらしい。
「ね、言ったでしょう? 先生は冷たいお人だから、帰国のことを聞いても何も反応しないって」
「いやよく見て。めちゃくちゃびっくりしてるでしょうが」
太宰の軽口に反論する。彼が本心からそう思っているわけではないことくらいわかっていた。しんみりしてしまうかもしれない空気を先読みしてわざとこのようなことを言ってくれたのだろう。
ジャンの方へ目を向ける。気づいた彼は大きく肩を揺らし、視線を彷徨わせ、少しだけ頭を下げた。どう反応していいかわからず、とりあえず小さく手を振る。
「……帰国したら、彼らの身体を変えた教会を探す予定です」
ルーメンは静かにそう言った。すっと瞳が冷たさを帯びる。
「この国を訪れる前から、母国のある村では異様なほど鼠色の毛を持った害獣が増加していました。それら全ての害獣を、その村の教会の神父が駆除していたんです。最初こそ彼の腕前に舌を巻いていましたが、予測しているかのような迅速な行動に皆疑問を覚えたのも事実です。ジャンくん兄妹がいたのも教会だと言っていましたし、もしかしたら……」
「自作自演ってことですか?」
「人間を化物に変え、それを野に放ち、他者に恐怖を植えつけ、育ち切ったところで収穫する。……といってもあくまで憶測です。外れていた方がいいことですよ」
「もし本当だとしたら、史上最悪な生産者ですね……」
「ええ。まずはその教会からあたってみる予定です。……ですがまず!」
ルーメンの顔が、ぱっと花咲くように満面の笑みを浮かべる。そして、ジャンと無理やり腕を組んだ。
「横浜までの道中にお腹が減っては大変なので、帝都の携帯食を見て回る予定なんです! ジャンヌさんが食べられる物もあるかもしれませんし! ね、ジャンさん!」
ジャンは話を振られたが、日本語なのでまったく理解できていない様子だ。可哀そうなほどに困惑している。
「というわけで、帰国してからも手紙を出しますので、お暇な時にでも返事をくださると幸いです」
「はい、絶対出します! むしろ私の方から送ります!」
そう伝えると、ルーメンは心底嬉しそうに目を細める。
「あの、最後に……その、実は、お願いがあるのですが……よろしいでしょうか」
「お願い?」
「はい。太宰さんにはもうお伝えしたのですが、この国で出会ったアナタたちのことを、その……友と呼んでもよろしいでしょうか」
「と、友……」
成人してからはあまり聞かない単語に思わず固まってしまう。なんというか、少し、照れくささがあるのだ。
「……ちなみに、太宰は何て返事したんですか?」
「オニカド先生がいいと言うなら、と」
こいつ、逃げやがった。太宰の方に恨めしい視線を向けるが彼は素知らぬ顔だ。いつまでも答えを保留にするわけにはいかず、わざと咳ばらいをしてからルーメンと目を合わせる。
「その、照れくさくはありますが……もちろん喜んで、と返答させていただきます。ちゃんと、手帳に記しておきますね」
あなたが友であることを忘れない。そう言外に伝えれば、ルーメンは安堵した様子でうなずいた。
「ふふ、伝えたいことはきちんと伝えられましたので、ボクたちはそろそろお暇いたしますね。とても刺激的な日々をすごせたこと、いくら感謝してもしきれません。……あぁそうだ! もしもボクの手が必要な時はすぐに便りをください。不肖ルーメン、必ずや友の隣に立つことを約束しましょう」
聞き慣れない口上だが、優雅で品がある。
「長話をしてしまいましたが、これにてボクたちは行きます。また会える日を、とてもとても楽しみにしていますね」
「こちらこそです。道中気をつけて」
日の光を反射する金糸と鼠色が離れていく。しかし、もう一つの鼠色だけはその場に残っていた。
「あれ、太宰は? ルーメンさんたちに帝都を案内しなくていいの?」
「ろくに覚えていられないあたしに案内を頼む人がいたらそいつは大マヌケです」
「そっか。じゃあさ……」
覗き込むようにして、すみれ色の瞳と目を合わせる。
「鍋がおいしいお店があるんだけど、一緒に行かない?」
太宰は一瞬きょとんとし、すぐに笑った。
「いいですよ、先生の奢りなら。それはもうすっごく忙しいですけど、ご相伴にあずかりましょう」
「うそつけ」
シゲルの隣に太宰が立つ。
影は一つしか見えないが、たしかに並んでいる。揃って足を踏み出した――その瞬間、
「よっ、久しぶり! 秋ぶりじゃん!」
そんな言葉と一緒に、鼠色の髪とすみれ色の瞳を持つ男が二人の前に現れた。
足先から伸びる、濃い影を引っさげて。
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